ポロニウム210 (Polonium-210・210 Po) とは、ポロニウムの同位体 の1つ。
天然での存在
210 Poはウラン系列 の中に存在する核種 の1つである。
210 Poは、天然に存在するほぼ唯一のポロニウム の同位体 である[ 1] [ 2] 。半減期 は138.376日という寿命の短い放射性同位体 であるが[ 3] 、天然に豊富に存在する238 U から始まる崩壊系列 であるウラン系列 の中に存在する核種 であるため、常に極微量ながら補充される核種だからである。その量は極めてわずかであり、天然ウラン 1トンに対してわずか74μgしかなく、ウランの約135億分の1であり、地殻 に含まれる割合は約178ppt程度である[ 注釈 1] 。しかし、その量における放射能 は約120億Bq に達する[ 注釈 2] [ 4] 。天然ウラン1トンの放射能は約254億Bqであるため[ 注釈 3] 、天然ウランに含まれる210 Poの比放射能 は天然ウランの約半分に達する。わずかな量でも強い放射能を有する性質が、後述するポロニウムの発見につながった[ 1] 。238 Uから210 Poに至るまで、7回のアルファ崩壊 と6回のベータ崩壊 を経由する。また、大気1m3 には0.2mBqから1.5mBqの210 Poが含まれている[ 4] 。
厳密に述べれば、ウラン系列では214 Po と218 Po 、他の崩壊系列では211 Po 、212 Po 、215 Po 、216 Po が天然に存在する。しかし、半減期が最も長い218 Poでも3.10分、その他の核種は1秒未満しかないため、全くのゼロというわけではないが、実質的に存在しないと見なすことが出来る。また、210 Poより寿命の長い核種に209 Po の102年、および208 Po の2.898年があるが、これらの親核種はいずれも天然には存在し得ない極めて短命な核種しか存在しないため、これらは天然には全く存在しない[ 3] 。
崩壊
210 Poが206 Pb に崩壊する壊変図式 。206m2 Pb に分岐してガンマ線 を放出することはあるが、それは極めてわずかである。
210 Poは、その100%が約5.4M eV のアルファ粒子 を放出し、安定同位体 である206 Pb に変化する[ 3] 。稀に核異性体 である206m2 Pb に分岐し、核異性体転移 での崩壊に伴うガンマ線 を放出することがある。ガンマ線のエネルギーは約4.6MeVであるが、分岐はわずか0.00124%という非常に低確率である。同じようにアルファ崩壊をする核種である239 Pu や241 Am などと異なり、エネルギーピークは1つであることを特徴とする[ 5] 。また、アルファ線の作用により、210 Poの周辺の空気 は励起光を発する[ 2] 。
210 Poの親核種としては、210 Bi が最も著名である。210 Biは先述したウラン系列において210 Poの前に相当する核種であり、半減期5.013日をもって99.99987%がベータ崩壊によって210 Poに変化する。そのほか、214 Rn のアルファ崩壊、210 At の陽電子放出 がある[ 3] 。
また、210 Poには、核異性体 である210m Po がある。210m Poはわずか98.9ナノ秒で核異性体転移 をして210 Poに壊変する[ 3] 。
歴史
ピッチブレンド は210 Poを含む。
210 Poは、初めて発見されたポロニウムの同位体である。210 Poは1898年 にピエール・キュリー とマリ・キュリー 夫妻によって発見された。発見のきっかけは、ウラン やトリウム を含むピッチブレンド の放射線 量を測定した結果、ウランやトリウムから推定される数値の約4倍という、はるかに多くの放射線を測定したことである。キュリー夫妻はこれを未知の元素 によるものと推定し、高価なピッチブレンドの代わりに、ヨアヒムスタール鉱山 で産出したウラン鉱石の残渣数トンから数ヶ月の時間を使って成分の抽出・分離を行った結果である。なお、1902年 には別の化学者が同じくピッチブレンドから放射性のテルル を発見し一時論争となったが、後に同じ物質である事が確認された。ポロニウムの名はマリ・キュリーの故郷であり、当時ロシア帝国 の占領下にあったポーランド に因んでいる。マリは当時ポーランドを独立・解放する運動に強い関心を寄せていた。その後12月にキュリー夫妻によって発見されたラジウム に因み、名称が決定するまでは暫定的に「ラジウムF (Radium F) 」と呼ばれた。なお、発見されたポロニウムの原子量 は、ドミトリ・メンデレーエフ が1891年 に発表した周期表 で予測した原子量である212に近い数値であった。周期表の発表時は未発見であったため、暫定的に「エカテルル (ekatellurium) 」と呼ばれた。エカテルルすなわちポロニウムの化学的性質は、周期表で予測されたとおりテルルと類似していた。1911年 にマリに贈られたノーベル化学賞 は、ポロニウムおよびラジウムの発見の功績に対して贈られた[ 1] [ 2] [ 6] 。
生成・用途
先述したとおり、210 Poはウラン鉱石中にわずかしか含まれていないため、鉱石からの抽出は現実的ではない。人工的に210 Poを得るには、209 Bi に中性子線 を照射し、中性子捕獲 で210 Biになったものが210 Poにベータ崩壊して生じたものを使用する。1kgの209 Biを原子炉で1ヶ月間照射して得られる210 Poは3000億Bqであり、質量で約1.7mgである。厚さ0.1mmの209 Bi板に加速した10MeVの重陽子 を10日間照射して得られる210 Poは400億Bqであり、質量で約0.2mgである[ 4] 。
83
209
B
i
+
0
1
n
⟶ ⟶ -->
83
210
B
i
→
5.012
d
a
y
s
β β -->
− − -->
84
210
P
o
{\displaystyle \mathrm {^{209}_{\ 83}Bi\ +\ _{0}^{1}n\ \longrightarrow \ _{\ 83}^{210}Bi\ {\xrightarrow[{5.012\ days}]{\beta ^{-}}}\ _{\ 84}^{210}Po} }
210 Poが崩壊して放出されるアルファ線は強い電離作用を持つため、静電気 を除去する装置に使われている。これは一般人でもごく普通に入手できる装置である。アルファ線の装置は、コロナ放電 、X線 、紫外線 を用いた装置よりもいくつか優れた性質を持つといわれる[ 7] 。後述するとおり210 Poは極めて毒性が強いが、210 Poが外部に漏れ出さないように、金 や銀 など、別の金属の間に209 Biを挟み、先述した中性子線の照射における中性子捕獲によって210 Poを発生させる事によって安全性を保っている[ 2] [ 8] 。
210 Poは、放射性物質が崩壊する際に出す熱をゼーベック効果 によって電力に変える放射性同位体熱電気転換器 (RTG) に使われる事がある。これは1950年代にアメリカ原子力委員会 によって作られた初期のRTGのいくつかに使用された。210 Poはわずか1gで約140Wという驚異的な出力を生み出す[ 2] 。これは現在主流に使われている238 Pu の260倍である。ただし、自発核分裂 などの他の崩壊モードが全く存在せず、極めてわずかなガンマ線以外は遮断が容易なアルファ線しか放出しない性質は優秀なものの、出力の高さに起因する半減期が短いことから短期間しか使えず、また適切な冷却系がないと、210 Po固体の温度は500℃に達し[ 6] 、自己の熱で融解・蒸発してしまうことから[ 注釈 4] 、用途が限られてしまう。現在のRTGはより優秀な核種である238 Puや90 Sr などに置き換わっている[ 9] 。
また、1945年 に長崎市 に投下された原子爆弾 であるファットマン をはじめとして、初期のインプロージョン方式 原子爆弾の中性子点火剤に用いられた。これは、爆縮によって9 Be と210 Poが混合され、210 Poが放出したアルファ線を9 Beが受け取り核反応を起こす。すると9 Beは12 C に変化し、余った中性子はアルファ線と同じ方向に周期的にたたき出すことを利用している[ 10] 。現在でもその性質を利用して、携帯用の中性子線源として利用される[ 6] 。
Be
4
9
+
He
2
4
⟶ ⟶ -->
C
6
12
+
n
0
1
{\displaystyle {\ce {{}^9_4Be + {}^4_2He -> ^12_6C + ^1_0n}}}
放射能・毒性
210 Poは半減期が短いため、極めて強い放射能 を持つ。1gの210 Poは約166TBqの放射能を有し[ 4] 、これは同質量の天然ウランの約65億倍も強い。なお、天然ウランの330倍という数字は、キュリー夫妻が記録した、ポロニウムを含む生成物の放射活性の数字を誤解したものである[ 11] 。
210 Poを1万Bqを吸引した際の実効線量 は22mSv 、経口摂取した場合は2.4mSvとなる[ 4] 。経口摂取の数値で比較すると、原子力事故 の際問題となる核種である137 Cs の18倍[ 12] 、131 I の11倍も強い実効線量である[ 13] 。比放射能 が強く、アルファ線という電離作用の強い放射線のため、その毒性は放射性物質の中でも極めて強い[ 14] 。体重70kgの成人男性の場合、111MBqで致命的であると推定されている。これは質量に換算してわずか670n g であり、塩粒より小さな程度でしかない[ 8] 。半数致死量 の数値で比較すると、シアン化カリウム [ 注釈 5] の37万倍、人工物で最も毒性の強いVXガス の240倍毒性が強く、知られている中で最も毒性の強い物質であるボツリヌストキシン は、210 Poの約10倍毒性が強い程度である。なお、致死量を10ng[ 2] 、安全負荷量を7p g [ 6] とする資料もある。酸化物、水酸化物、および硝酸塩の形態における210 Poの濃度限度は、排気・空気中で80nBq/cm3 、廃液・排水中で600μBq/cm3 である。μSv/Bq換算での実効線量係数は、吸引摂取した場合は2.2、経口摂取した場合は0.24である[ 4] 。
210 Poはタバコ の葉に含まれており、喫煙により体内に吸引される。その実効線量 や健康に対するリスクには様々な説がある。
一般人が210 Poを体内に摂取する経路は、主に水中に含まれる酸化物、水酸化物、硝酸塩を経口摂取するものであるが[ 4] 、特に健康上の問題を考えるほど大量の場合を想定する場合には、主にタバコ に由来する。ウラン濃度の高いリン鉱石 から作られた肥料には226 Ra が含まれており、肥料を使用すると、226 Raが崩壊して生成される222 Rn が大気中から放出される。そして222 Rnから崩壊した210 Pb がタバコの葉の毛状突起に付着する。そして210 Pbが210 Biを経由して210 Poへと変化する。210 Poは煙と共に体内に吸引される。喫煙に起因する肺癌 の少なくとも2%は210 Poによるものとする推定もある[ 15] 。210 Poのアルファ線は水中で0.04mmという極めてわずかな距離しか進まず、外部被曝は皮膚表面にとどまるため、健康上の問題があるのは内部被曝によるものである[ 4] [ 8] 。UNSCEARの報告では、タバコに付着した210 Poや210 Pbによる放射線 で10μSv/年の実効線量を推定している。しかし、別の推定は、これよりはるかに強く、例えばウルビーノ大学 (英語版 ) は1日20本の喫煙で210 Po由来の被曝 が124.8μSv/年[ 16] 、放射線医学総合研究所 は200μSv/年の被曝を推定している[ 17] 。
体内にある210 Poの総量は約40Bq (240f g ) で、1日あたり0.1Bqを摂取している。肝臓 、腎臓 、脾臓 に多く蓄積し、およそ100日で体外へと排出される[ 4] 。ヒヒ を用いたポロニウムのクエン酸 塩の投与実験では、肝臓 に29%、腎臓 に7%、脾臓 に0.6%が蓄積し、生物学的半減期 は50日から150日と個体差が大きいという[ 1] 。試験は0.1mg以下のレベルで行われており、その化学的挙動は複雑で予測がしにくい[ 4] 。
210 Poは自然放射性核種として魚介類に多く含まれるが、日本人は魚介類の消費量が多いこととその内臓を食する食習慣のため210 Po の摂取量が220Bq/年と他国より多く、40 Kよりも年間実効線量に対する寄与は大きい[ 18] [ 19] 。UNSCEAR の2000年報告書では食品摂取による210 Poの預託実効線量の世界平均は年間摂取量30Bqについて0.021mSVと評価されているが、日本分析センターの2005年の評価では、日本人一人当たりの食品摂取による210 Poの預託実効線量は年間摂取量85Bqについて0.058mSVである[ 20] 。
先述したとおり、210 Poは崩壊時にほぼ純粋なアルファ線を放出し、ガンマ線 はわずかしか伴わない[ 5] 。210 Poの検出には210 Poを純粋分離した試料からアルファ線を測定するのが普通であるが、床に付着したものは、アルファ線が空気中をほとんど進まないため、2cm以内に検出器を置かないと検出が出来ない[ 4] 。これらの性質は、暗殺目的に210 Poを投与させるには極めて都合が良い。なぜなら、210 Poを含ませた食品等を容器に入れると、アルファ線は紙1枚でも容易に遮断されるほど透過性が低いため外部に漏れず、透過性の強いガンマ線は微量過ぎてガンマ線測定器による検出は不可能であるため、検査を容易にすり抜ける事が可能であるためである。また、同様の理由で運搬者は被曝しないことも都合が良い。2004年に死亡したパレスチナ自治政府 大統領のヤーセル・アラファート (ヤセル・アラファト)、2006年に死亡 した元ロシア連邦保安庁 職員のアレクサンドル・リトビネンコ は、210 Poが暗殺目的で使用されたものと疑われているケースである。両者はどちらも内臓系の障害が原因で死亡しており、体内や遺品から210 Poが検出されている[ 8] [ 21] [ 22] [ 23] 。なお、先述したとおり210 Poは静電気除去装置に使われるが、これの分解によって210 Poを取り出すのは、特殊な装置が必要なことと、量が微量すぎるので現実的ではないとされる。210 Poの投与による急性中毒で死亡させるには一般人には入手不可能なほどの大量の210 Poが必要であり、したがって暗殺目的で210 Poを使用する人は、原子力発電所で生成した多量の210 Poを入手できる環境に関われる、例えば国家機関に従事している人物に限られる事になる[ 8] [ 4] 。なお、体内に摂取された210 Poの推定には、排泄物からのバイオアッセイ が唯一の方法である[ 4] 。また、わずかな量で致死量に達し、自己の熱で容易に揮発し、しかも検出が困難である性質は、テロリストが汚い爆弾 として利用するには都合が良いため、セキュリティの強化が検討されている[ 14] 。
その他
漸近巨星分枝星 の内部で発生する元素合成 であるs過程 において、210 Poは出現する最も重い元素である。実質的な安定同位体 である209 Biが中性子捕獲をすることで210 Biに変化し、それがベータ崩壊することによって210 Poが生成されるが、s過程における中性子捕獲は速度が遅いため、210 Poが更なる中性子捕獲によってより重い元素を生み出す前に、210 Poがアルファ崩壊してしまう。ウランやトリウムのようなより重い元素を生み出すのは、超新星 爆発で発生するr過程 においてである[ 24] 。
脚注
注釈
^ ウランの地殻濃度は約2.4ppm
^ 210 Poの原子量と半減期が既知のため、任意の質量あたりの放射能 の値は計算が可能である。具体的には、1gの210 Poは166兆Bqの放射能を持つ。詳しい計算はベクレル の項目を参照。
^ 天然ウランに含まれる234 U 、235 U 、238 U の1トンあたりの放射能はそれぞれ約230兆Bq、約800億Bq、約124億Bqであり、それらに同位体比をかければ合計の放射能が求まる。
^ ポロニウムの融点は254℃、沸点は962℃である。
^ いわゆる青酸カリ。
出典
関連項目