ヘルベルト・ミューラー・レブマン(Herbert Müller Rebmann [1]、1940年5月11日[1][2] - 1981年5月24日)は、スイスのレーシングドライバー。おもにスポーツカーの耐久レースに出場した。愛称は「Stumpen-Herbie [1]」。
来歴・人物
アールガウ州ライナッハ(英語版)出身。父親はメッキ工場を経営[3]。1959年にオートバイレースでレースキャリアをスタートさせ[3][4]、1961年に活動の場をヒルクライムへ移す[3](1962年とも[2])。
1963年に地元スイスのレーシングチーム、スクーデリア・フィリピネッティ(英語版)に加入[5]。この年ポーで開催された非選手権F1レースに出走して5位に入賞する[1][4]。1970年まで在籍したのち、1971年からはポルシェのワークスチームに加入、それと並行して自らのチームを結成してレースに出場する[3]。
1966年と1973年のタルガ・フローリオで優勝、1971年と1974年のル・マン24時間レースで総合2位を獲得[6]
[7]。大排気量スポーツカーレースのインターセリエでは1974年から1976年まで3年連続のチャンピオンとなった[1][8]。
1981年5月24日に開催されたニュルブルクリンク1000kmにジークフリート・ブルンと組んでポルシェ・908で出場。決勝レース中、ブルンと交代して6周目[3]に入っていたミューラーの908は高速コーナー、ケッセルヒェン[2][9]に差し掛かった際、同地点に降っていた雨によりマシンのコントロールを失いコースアウト[9]。その際1周目にリタイヤしてそのまま放置されていたボビー・レイホールのポルシェ・935に衝突し[1][9]、908は激しく炎上。ミューラーはマシンの中で即死した。41歳没。
レース戦績
ル・マン24時間レース
脚注・出典
関連項目
外部リンク