プロビデンス (USS Providence , CL-82/CLG-6/CG-6) は、アメリカ海軍 の軽巡洋艦 。クリーブランド級軽巡洋艦 の14番艦。後にミサイル巡洋艦 へ改装され、プロビデンス級ミサイル巡洋艦 の1番艦となる。艦名はロードアイランド州 プロビデンス に因む。その名を持つ艦としては4隻目。
艦歴
「プロビデンス」は1943年7月27日にマサチューセッツ州 クインシー のベスレヘム・スチール 社で起工し、1944年12月28日にメアリー・ロバーツ夫人によって進水、1945年5月15日にW. B. ジャクソン艦長の指揮下就役した。1945年6月13日にボストンを出航、グアンタナモ湾 で整調を完了する。9月4日にニューポート に帰還し、10月6日まで巡洋艦及び空母乗組員の訓練を行う。
「プロビデンス」は11月にボストン を出航し、ギリシャ のピレウス を12月に、戦艦 「ミズーリ (USS Missouri, BB-63 ) 」と共にイスタンブール を1946年4月5日から9日まで、5月にエジプト のアレキサンドリア を訪問した。6月16日に地中海 を離れ、6月25日にフィラデルフィア に帰還する。10月にデラウェア岬を離れグアンタナモ湾およびバージニア州 ノーフォーク で訓練を行い、1947年2月3日にハンプトン・ローズ を出航、地中海に向かう。地中海での訓練及び港湾訪問の後、5月にギリシャのアテネ を出港、同月末にボストンに帰還した。
11月にロードアイランド州 ニューポート を出港し、1947年11月20日から1948年3月2日まで地中海で作戦活動を行う。12月にはナポリ 、1月にタラント 、2月にはトリエステ とヴェネツィア を訪問している。
1948年3月にニューポートに帰還し、9月に出港、地中海で第6艦隊 に合流し1948年9月23日から1949年1月14日まで展開した。その間10月にはテッサロニキ 、11月にマルセイユ 、12月にトリエステとベニス、1月にオラン を訪問、1月後半にニューポートに帰還した。プロビデンスは1949年6月14日にボストンで退役し、大西洋予備役艦隊入りする。
1957年5月23日に CLG-6 (ミサイル巡洋艦)に艦種変更され、6月にボストンでプロビデンス級ミサイル巡洋艦 としての転換作業を開始する。作業では新型ミサイル機材、指揮艦としての施設及び核兵器 運用能力が装備され、1959年9月17日にケネス・L・ヴェス艦長の指揮下再就役する。ミサイル巡洋艦に改装された「プロビデンス」の1番砲塔はそのまま残されたが、2番砲塔は連装38口径5インチ砲塔と換装された。艦後部の装備はミサイル発射装置のため大きく変更され、上部構造も完全に新造された。
グアンタナモ湾での整調後、「プロビデンス」は1960年7月29日に新たな母港のカリフォルニア州 ロングビーチ に到着した。第7艦隊 での6ヶ月間の任務の後、1961年3月31日にロングビーチに帰還する。西海岸で演習を行った後、1962年5月に日本 の横須賀 に到着、軽巡「オクラホマシティ (USS Oklahoma City, CLG-5 ) 」と交替して第7艦隊旗艦 となる。
1962年と1963年は第7艦隊と共に演習を行い、1964年1月にはサイゴン へ3日間の訪問を行う。「プロビデンス」は南ベトナム 政府及びアメリカの高官の訪問を受け、人道支援団体の活動に対して38tの資材を送り届けた。1964年7月に横須賀を出航、8月にロングビーチに帰還する。10月には東太平洋で訓練を開始する。
1965年1月から6月までかけて新型の通信機材を装備し、同年の残りは西海岸で第1艦隊と共に演習を行い、様々な港を訪問した。
1966年11月12日にウェストパックに参加、12月1日に横須賀で再び「オクラホマシティ」と交替して第7艦隊旗艦となる。1967年4月1日にはベトナム への大規模艦砲射撃に参加する。5月25日には軍事境界線 沖で敵砲台と砲撃戦を行う。7月には上陸作戦の砲撃支援を行い、10月10日にはダナン 南方の敵補給所を砲撃した。
1968年は6月と12月を除いて毎月ベトナム沖での支援艦砲射撃 を行った。1968年2月、テト攻勢 の間に「プロビデンス」はフエ の敵拠点に効果的な打撃を与えた。1969年には西海岸沖で第1艦隊 と共に作戦活動に従事した。
「プロビデンス」は1973年8月31日に退役し、1978年9月30日に除籍、スクラップとして廃棄された。
注釈
関連項目
外部リンク