ブールジュ(ブルジュ、Bourges)は、フランスのサントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏のシェール県にある都市。かつてのベリー地方の中心地。
歴史
ケルト人のビトゥリゲス族が設けたオッピドゥム(集落)が起源であり、当時はアウァリクム(ラテン語:Avaricum)と呼ばれていた。共和政ローマ時期のガリア戦争ではカエサル率いるローマ軍とウェルキンゲトリクスらガリア軍との戦いの舞台ともなった(アウァリクム包囲戦)。
ブールジュの名前は「ビトゥリゲス族」からとも、ドイツ語で「城」を意味するBurg(フランス語:bourg)からともされる。
ガリア戦争後も引き続き発展し、道路を通じてカエサロドゥヌム(現トゥール)、ケナブム(現オルレアン)、アウグストリトゥム(現リモージュ)などと結ばれていた。3世紀より司教座がおかれ、のちに大司教座へと昇格した。
1415年、アジャンクールの戦いの結果、ブルゴーニュ派にパリを支配されたシャルル7世がこの地に逃れた。以後、アルマニャック派の拠点となる。1438年、ガリカニスムを謳う「ブールジュの国事詔書」がシャルル7世により公布された。
15世紀の貴族ジャック・クールや19世紀印象派の画家ベルト・モリゾはブールジュの出身である。
人口統計
1962年
|
1968年
|
1975年
|
1982年
|
1990年
|
1999年
|
2006年
|
2011年
|
60 632
|
70 814
|
77 300
|
76 432
|
75 609
|
72 480
|
70 828
|
66 666
|
参照元:1962年から1999年まで人口の2倍カウントなし。自治体人口については以下の日付。1999年までEHESS[2]、2004年以降INSEE[3][4]
観光
1195年から1255年にかけて建設されたゴシック・スタイルのサン=テチエンヌ大聖堂があり、1992年に「ブールジュ大聖堂」の名で世界遺産に登録されている。
大学
関係者
- 出身者
- ゆかりある人物
姉妹都市
ギャラリー
脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
ブールジュに関連するメディアがあります。