17世紀、イングランドで中流階級の主人公による悲劇(家庭悲劇)が作られていた。しかし、イングランドで最初のブルジョワ劇と言えるのは、1731年初演のジョージ・リロ(George Lillo)『ロンドンの商人(The London Merchant; or, the History of George Barnwell)』である。
一方、フランスで最初のブルジョワ劇はポール・ランドワの『シルヴィ(Sylvie)』(1755年)で、少し遅れて、ドゥニ・ディドロの2本の劇、『私生児(Le fils naturel)』(1575年初演)と『一家の父(Le père de famille)』(1576年)がそれに続いた。
ドイツでは、この新しいジャンルは「市民悲劇」と呼ばれ、とくに成功した。一般に、最初のドイツ市民悲劇はゴットホルト・エフライム・レッシングの『ミス・サラ・サンプソン』(1755年初演)と言われるが、クリスティアン・レーベレフト・マルティーニの『Rhynsolt und Sapphira』の方が僅かに早い。レッシングの『エミーリア・ガロッティ(Emilia Galotti)』(1771年)も市民悲劇の古典的例である。さらにレッシングは著書『ハンブルク演劇論(Hamburgische Dramaturgie)』の中で、古い法則を無視したことを理論的に正当化した。ドイツ市民悲劇には他に、ヤーコプ・ミヒャエル・ラインホルト・レンツの『軍人たち(Die Soldaten)』(1776年)、フリードリヒ・フォン・シラーの『たくらみと恋(Kabale und Liebe)』(1784年)がある。