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ブランドン・パトリック・マッカーシー(Brandon Patrick McCarthy, 1983年7月7日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡グレンデール出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
2002年のMLBドラフト17巡目(全体510位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名され、6月7日に契約。契約後、傘下のルーキー級アリゾナリーグ・ホワイトソックスでプロデビュー。14試合に先発登板して4勝4敗、防御率2.76、79奪三振を記録した。
2003年はパイオニアリーグのルーキー級グレートフォールズ・ホワイトソックス(英語版)でプレーし、16試合(先発15試合)に登板して9勝4敗、防御率3.65、125奪三振を記録した。
2004年はまずA級カナポリス・インティミディターズ(英語版)でプレーし、15試合に先発登板して8勝5敗、防御率3.64、113奪三振を記録した。7月にA+級ウィンストン・セイラム・ワースホッグス(英語版)へ昇格。8試合に先発登板して6勝0敗、防御率2.08、60奪三振を記録した。8月にAA級バーミングハム・バロンズへ昇格。AA級バーミングハムでは4試合に先発登板して3勝1敗、防御率3.46、29奪三振を記録した。
2005年1月21日にホワイトソックスとマイナー契約で再契約した。AAA級シャーロット・ナイツで開幕を迎え、5月22日にホワイトソックスとメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[2]。同日のシカゴ・カブス戦でメジャーデビュー。5.1回を投げ4安打2失点だったが、勝ち負けは付かなかった。2度目の登板となった27日のテキサス・レンジャーズ戦では、5回を6安打6失点3四球の乱調でメジャー初黒星を喫し、試合後にAAA級シャーロットへ降格した[3]。6月19日にオーランド・ヘルナンデスが故障者リスト入りしたため、メジャーへ昇格[4]。昇格後は3試合に登板したが、防御率9.00と結果を残せず、7月5日にAAA級シャーロットへ降格した[5]。8月30日に再昇格し[6]、同日のレンジャーズ戦のダブルヘッダー2試合目に登板し、7.2回を無失点に抑え、メジャー初勝利を挙げた。この年メジャーでは12試合(先発10試合)に登板して3勝2敗、防御率4.03、48奪三振を記録した。
2006年2月28日にホワイトソックスと1年契約に合意。リリーフとして開幕ロースター入りした。この年は53試合(先発2試合)に登板して4勝7敗、防御率4.68、69奪三振を記録した。
2006年12月23日にジョン・ダンクス、ニック・マセット、ジェイク・ラズナーとのトレード、デビッド・パイサノと共にレンジャーズへ移籍した[7]。
2007年2月26日にレンジャーズと1年契約に合意[8]。移籍後は先発に復帰し、開幕ローテーションに加わった。6月14日に右中指のマメで15日間の故障者リスト入りした[9]。7月2日に復帰した[10]が、8月15日に右肩の故障で再び15日間の故障者リスト入りし[11]、9月11日に復帰した[12]。この年は23試合(先発22試合)に登板して5勝10敗、防御率4.87、59奪三振を記録した。
2008年2月25日にレンジャーズと1年契約に合意[13]。3月30日に右肘の故障で60日間の故障者リスト入りした[14]。8月23日に復帰[15]。復帰後は5試合に登板したが、9月中旬から右手の指の故障で残りの試合を欠場した。この年は故障で5試合の登板にとどまり、1勝1敗、防御率4.09だった。
2009年1月15日にレンジャーズと65万ドルの1年契約に合意[16][17]。開幕後は先発ローテーションの一角として登板し、5月24日のヒューストン・アストロズ戦では9回を9安打無失点に抑え、メジャー初完封を果たした。しかし6月9日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りし[18]、7月7日に60日間の故障者リストへ異動した[19]。その後、9月1日に復帰した[20]。この年は17試合に先発登板して7勝4敗、防御率4.62、65奪三振を記録した。
2010年1月15日にレンジャーズと132万ドルの1年契約に合意[21][22]。3月27日にAAA級オクラホマシティ・レッドホークスへ配属され、そのまま開幕を迎えた。この年は右肩の故障でメジャーへ昇格できず、7月29日に60日間の故障者リスト入りした。AAA級オクラホマシティでは11試合(先発9試合)に登板して4勝2敗、防御率3.36、44奪三振を記録した。オフの11月5日に40人枠を外れ、AAA級オクラホマシティに降格し、同日にFAとなった[23]。ジョン・ダニエルズGMはマッカーシーについて「彼はふたつの不幸な怪我があったが、よく働いてくれた。景色を変えることが彼の助けとなるだろう」と話した[24]。
2010年12月13日にオークランド・アスレチックスと100万ドル+出来高160万ドルの1年契約を結んだ[25][26]。
2011年は開幕ロースター入りしたが、5月20日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りした[27]。7月3日に復帰[28]後は9月3日のシアトル・マリナーズ戦で完封勝利を挙げるなど、完全復活を果たした。この年は25試合に先発登板して9勝9敗、防御率3.32、123奪三振を記録した。
2012年1月17日にアスレチックスと1年契約に合意[29]。3月28日に東京ドームで開催されたマリナーズとの開幕戦に先発した。その後もローテーションを守っていたが、5月20日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りした[30]。6月2日に復帰した[31]が、6月24日に右肩の故障で再び15日間の故障者リスト入りした[32]。8月10日に復帰[33]。9月5日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦に先発した際に、試合中にエリック・アイバーの打球を頭に受けて緊急入院し、手術を受けた[34]。その後プレーオフのロースターから外れた。この年は18試合に先発登板して8勝6敗、防御率3.24、73奪三振を記録した。オフの10月29日にFAとなった。11月14日に練習を再開することが明らかになった[35]。
2012年12月11日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと総額1550万ドルの2年契約を結んだ[36][37]。
2013年は開幕ローテーション入りしたが、6月1日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りした[38]。8月4日に復帰[39]。この年は22試合に先発登板して5勝11敗、防御率4.53、76奪三振を記録した。
2014年は開幕から18試合に先発したが、3勝10敗、防御率5.01と不振だった。
2014年7月6日にビダル・ヌーニョとのトレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[40]。移籍後は14試合の登板で7勝5敗、防御率2.89と復調。この年は2球団で32試合に先発登板して自身初の二桁勝利となる10勝(15敗)を挙げ、防御率4.05、175奪三振を記録した。オフの10月30日にFAとなった。
2014年12月16日にロサンゼルス・ドジャースと総額4800万ドルの4年契約[41]を結んだ[42][43]。
2015年は開幕から4試合に登板して防御率5.87ながら3勝を挙げていたが、肘の故障が発覚し、トミー・ジョン手術を受けることとなり[44]、4月30日に60日間の故障者リスト入りした[45]。
2016年シーズンも、2月19日に前年のトミー・ジョン手術のため60日間の故障者リスト入りした[45]。復帰後、10試合に登板し、うち9試合が先発登板だった。2勝2敗、防御率4.95、WHIP1.38という成績の他、40.0イニングで44奪三振をマークし、2年連続で9.0超となる奪三振率9.9を記録、一定の復活を見せた。また、マイナーでの復帰登板としては、A+級ランチョクカモンガ・クエークス及びAAA級オクラホマシティ・ドジャース[46]で計5試合に先発登板して0勝2敗、防御率6.11、WHIP1.59を記録した。
2017年は開幕から先発ローテーションに入ったが、7月に右手指にできた肉刺によって故障者リスト入りし[47]、約2ヶ月離脱した。結果19試合登板(先発16試合)で6勝4敗、防御率3.98という成績に終わり、完全復活とはならなかった。
2017年12月16日にマット・ケンプとのトレードで、スコット・カズミアー、チャーリー・カルバーソン、エイドリアン・ゴンザレスと共にアトランタ・ブレーブスへ移籍した[48]。
2018年も開幕から先発ローテーション投手として投げ、15試合に先発登板して6勝3敗、防御率4.92、65奪三振を記録していたが、6月28日に右ヒザを痛めて故障者リスト入りした[49]。そのまま復帰できず、8月14日にはこの年限りでの引退を表明した[50]。
2006年は先発ローテーションの充実したホワイトソックスに所属していた為、リリーフで登板していたが、スタミナが比較的ある為、本来は先発向きの投手。投球は、140キロ後半のフォーシーム、145キロ前後のツーシームに切れ味抜群のカーブを組み合わせて投げている。また、チェンジアップも投げる事がある。ただ、投球回に対して被本塁打がかなり多い。
本人のTwitterアカウントではよくジョークを投稿している。投げる球よりもツイートの方がキレがあるという声もある。サッカー好きで、プレミアリーグ・リバプールFCのファンである[51]。また、MLSの下部リーグであるUSLプロフェッショナルリーグ・フェニックス・ライジングFCの少数株主にもなっている[52]。
この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
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