ホワイトは一時期、経験豊かなブルース関係のマネージャーであるアーン・ブロガー (Arne Brogger) のマネジメントの下にあった。フェイヒーとデンソンがホワイトを見つけるのは簡単だった。フェイヒーは「Bukka White (Old Blues Singer), c/o General Delivery, Aberdeen, Mississippi」(高齢のブルース歌手であるブッカ・ホワイト様:ミシシッピ州アバディーン、一般配達係気付)とだけ宛名書きした葉書を出したのである。フェイヒーは、ホワイトの歌「Aberdeen, Mississippi」 から、ホワイトがまだそこか、その近傍に住んでいるものと踏んでいた。この葉書は、テネシー州メンフィスへ転送され、タンク工場で働いていたホワイトのもとへ届いた。程なくしてフェイヒーとデンソンは、ホワイトと会うためにメンフィスへ赴き、フェイヒーはホワイトと、終生の親交を結んだ[6]。ホワイトは、デンソンとフェイヒーのタコマ・レコード (Takoma Records) で新たなアルバムを吹き込み、デンソンのマネジメントの下に入った。
後にホワイトは、やはりミュージシャンであるフューリー・ルイス (Furry Lewis) とも親しくなった。ふたりは、おもにルイスのメンフィスのアパートで、一緒にアルバム『Furry Lewis, Bukka White & Friends: Party! At Home』を制作した。
ホワイトの作品の中でも最も知られたもののひとつである「Parchman Farm Blues」は、ミシシッピ州サンフラワー郡にあるミシシッピ州立刑務所 (Mississippi State Penitentiary)、通称「パーチマン農場 (Parchman Farm)」 のことを歌ったものであり、ハリー・スミスが編集した『Harry Smith's Anthology of American Folk Music, Vol. 4』に収録されて、広く知られるようになった。この曲は、ロイ・ヘッド (Roy Head) の率いたトレイツ (The Traits) が、ジョニー・ウィンターとともに、1960年代の遅い時期にカバーした。様々な吹き込みが存在する[7]「シェイク・エム・オン・ダウン」は、ホワイトの1937年のバージョンが決定版だと考えられており、ホワイト本人がパーチマン刑務所で服役している間にヒット曲となった[8]。
ホワイトが1963年に録音した「シェイク・エム・オン・ダウン」と、ホワイトの語りである「Remembrance of Charlie Patton」(チャーリー・パットンの思い出)は、サンプリングされて、電子音楽アーティストのリコイル(実際にはほとんどが元デペッシュ・モードのアラン・ワイルダー (Alan Wilder) の単独作業)の1992年のアルバム『Bloodline』のトラック「Electro Blues For Bukka White」に使用された。この曲は、さらに造り直しがなされ、2000年にリリースされたEP『Jezebel』にも収録された。
^ abDoc Rock. “The 1970s”. The Dead Rock Stars Club. 2012年12月9日閲覧。
^Kostelanetz, Richard; Reiswig, Jesse, eds (2005). The B.B. King Reader: 6 Decades of Commentary (2nd ed.). Milwaukee, WI: Hal Leonard. p. 4. ISBN0634099272
^Stephen Calt は、スキップ・ジェイムス (Skip James) についての本『I'd Rather Be the Devil』の中で、ホワイトがパットンを知っていると称したのは、ジョン・フェイヒーが、既に死去してから相当の年月が経っていたこのブルースマン(パットンのこと)のファンであったからに過ぎない、と記している。
^ホワイトの「I am in the Heavenly Way」を収録したコンピレーション『American Primitive, Vol. 1』のライナーノーツでジョン・フェイヒーは、ホワイトについて次のように記している。「(ホワイトは)特段信仰心が篤かったわけではない。ビクターはこの録音のために、地元のバプテスト教会へ出向いて女性をひとり雇い入れた。そうして、ブラインド・ウィリー・ジョンソンを真似ようとしたのである。」
^I'd Rather Be the Devil: Skip James and the Blues by Stephen Calt, p. 243
^後にジョン・フェイヒーは、自伝的な回顧録『How Bluegrass Music Ruined My Life』の中で、ホワイトと一緒にナマズ釣りに興じた話などを書き記している。フェイヒーによると、再発見された当時のホワイトはギターの弾き方もほとんど忘れていたというが、歌詞については一層の深みが増していたという。