ブジュ・バントン (Buju Banton、1973年 7月15日 - )は、ジャマイカ 、キングストン 出身のレゲエ ディージェイ 、歌手 。本名はマーク・アンソニー・マイリー (Mark Anthony Myrie)。
来歴
幼少期
ブジュ・バントンは1973年 7月15日 、ジャマイカのキングストン市にあるゲットーエリア であるソルト・レーンで5人の姉、1人の兄からなる7人兄弟の末子として生まれた[ 1] 。デナムタウン・セカンダリー・スクール に通っていた[ 1] 。
初期の活動
少年期のブジュはよくデナム・タウンというゲットーエリアでの野外ダンスホール で多くのアーティスト達のショーを鑑賞していた。そして12歳のとき、スウィートラブやランボー・マンゴーといったサウンドシステム でマイクロフォン を握り、トースティング をし始める[ 2] 。1986年、ディージェイ仲間のクレメント・アイリーの紹介でプロデューサーのロバート・フレンチに出会い、彼の下でファースト・シングルとなる"The Ruler"を録音した(発表は1987年)[ 2] 。以後、ブジュはパトリック・ロバーツ、バニー・ピー、ウィンストン・ライリー 、ボビー・ディクソンらの録音にも参加するようになり、1988年、15歳のときに"Boom Bye Bye"を録音する。この曲は1993年に再レコーディングされ、ジャマイカ国内で大ヒットする[ 2] も、ホモフォビア 的で暴力 的であると批判を浴び(後述 )、ブジュのキャリアに大きな影響を及ぼすこととなる。
1990年代
1991年、ブジュはドノバン・ジャーメインのペントハウス・レコーズに参加し、デイブ・ケリーのプロデュースによって多くのヒット曲を生み出してゆく[ 2] 。1992年には"Bogle"と"Love Me Browning"をジャマイカ国内外でヒットさせる。"Love Me Browning"は肌の色が薄い黒人 女性を称揚する内容だったため、黒人が人口の約90%を占めるジャマイカ国内ではこれに対し批判が起きた。ブジュはこれに答える形で黒人女性を称える"Love Black Woman"を発表しこの批判をかわした[ 3] 。
また同年にはキャリア初期のヒット曲を網羅したデビュー アルバム 『Mr. Mention』をリリースする。さらにシングル"Boom Bye Bye"を再レコーディングしリリースするが、アメリカ合衆国 やヨーロッパ ではこの曲の歌詞に対し拒否反応が起き、同年のWOMAD への出演が取り消された[ 2] 。後にブジュは公式な謝罪を表明した[ 2] 。
1992年には自身初の海外ツアーとなる日本 公演を行った[ 1] 。
1993年にはマーキュリー・レコード からセカンドアルバム『Voice Of Jamaica』を発表。このアルバムには海外に移住しながらジャマイカの家族に送金しない者を批判した"Deportees"や、ゲットーエリア間の政治的暴力に対する批判を歌ったリトル・ロイ (en:Little Roy ) の"Tribal War"のリメイク 、コンドーム の使用とセーファーセックス を奨励し、AIDS の子供達を援助するという内容の"Willy, Don't Be Silly"など社会問題を扱った楽曲が収録され、商業的にも成功を収めた[ 2] 。
この成功により彼は当時のジャマイカ首相 、P・J・パターソン に招待されたり、カリビアン・ミュージック・アウォーズ、カナディアン・ミュージック・アウォーズ、トピカ・セレモニーなどを受賞した。
同年夏、ツアーで滞在していた日本の高松市 で作詞され[ 4] 、年末に発表した楽曲"Murderer"はディージェイであり彼の友人でもあったダーツマンとパンヘッド (en:Pan Head ) がそれぞれ別な殺人事件で殺害されたことから着想を得て、銃による暴力やそれらを煽るようなダンスホール・レゲエの歌詞を批判したものであった[ 2] 。この曲の歌詞に賛同した幾つかのクラブ やサウンドシステムは暴力的な歌詞の曲をプレイすることを止めた[ 2] 。この頃からブジュはラスタファリ運動 に傾倒し、ドレッドロックス を伸ばし始めた。
さらに1994年の年末には友人であった歌手ガーネット・シルク が事故により死去[ 5] 。この一件はブジュをさらにラスタファリズムへと傾倒させ、彼のステージングはよりスピリチュアル な色彩を帯びていった。この年、バントンはヨーロッパ、日本、トリニダード・トバゴ でも公演を行った[ 2] 。
1995年に発表されたアルバム『'Til Shiloh』は"Murderer"などの既発ヒット曲に加え、アコースティックギター を使用した"Untold Stories"、ナイヤビンギ ドラム を使用した"'Til I Laid To Rest"など、ラスタファリ運動の主義に基づきルーツロックレゲエ に回帰した楽曲や、ハードコア [要曖昧さ回避 ] なダンスホールのリディムに意識的な内容の歌詞を乗せた楽曲を収録し、他のダンスホール系アーティストとの違いを決定付ける作品となった[ 6] 。
1997年に発表したアルバム『Inna Heights』は前作からのアコースティック路線を継承した"Destiny"や"Hills and Valleys"、さらにトゥーツ・ヒバート 、ベレス・ハモンド (en:Beres Hammond )というベテラン・アーティストと共演した楽曲やボブ・マーリー のカバー曲"Small Axe"を配した[ 7] 。
1998年にはアメリカ合衆国のパンク・ロック ・バンド のランシド と"Misty Days"、"Hooligans"、"Life Won't Wait"の3曲を制作した。"Life Won't Wait"はランシドが1998年に発表したアルバムのタイトル曲にもなった。
2000年代
ニューヨーク市アポロシアター で公演するブジュ・バントン
2000年にはランシド、ルチアーノ (en:Luciano (singer) )、モーガン・ヘリテッジ (en:Morgan Heritage ) らをゲストに迎え、アルバム『Unchained Spirit』をエピタフ・レコード 傘下のアンタイ・レコード より発表し[ 8] 、初期の彼の代名詞であった激しいダンスホールに乗せたトースティングよりもメローなアプローチを見せた。
2003年にはヒップホップ ・アーティストのファット・ジョー らをゲストに迎えた"Good Times"、銃社会 を批判した"Mr. Nine"をはじめマーカス・ガーベイ の演説 をサンプリング したスキット や、ピーター・トッシュ "Mama Africa"のカバーを収録したアルバム『Friends For Life』を発表した[ 9] 。
2006年にはスライ&ロビー 作の"Taxi"リディムに乗せた"Driver A"などを収録し、彼のキャリア初期を彷彿とさせるダンスホールレゲエに立ち返ったアルバム『Too Bad』を発表した[ 10] 。
2007年にはサード・ワールド 、ベレス・ハモンドと共にクリケット・ワールドカップ の開会式 でパフォーマンスを行った。
2008年にはトリニダード・トバゴのソカ ・アーティストであるマシェル・モンターノ (en:Machel Montano )とのコラボレーション曲"Winning Season (Remix)"を発表した。
2009年4月21日にはワイクリフ・ジョン らが参加した9枚目のアルバム『Rasta Got Soul』を発表した[ 11] 。同作は第52回グラミー賞 最優秀レゲエアルバム部門にノミネートされた。
2009年12月10日、後述 のようにコカイン 密輸容疑で逮捕拘留された[ 12] 。
2010年にはアルバム『Before the Dawn』を発表した。ブジュは2010年12月に保釈されると、2011年1月にマイアミ で同作のリリースライブを行い、1万人以上の観衆を集めた[ 13] 。同ライブにはスティーブン・マーリー とダミアン・マーリー 、シャギー 、ショーン・ポール 、DJキャレド 、バスタ・ライムス らもゲスト出演した。『Before the Dawn』は2月13日に発表された第53回グラミー賞 最優秀レゲエアルバム賞を受賞した[ 14] 。
人物
芸名の由来
「ブジュ」という愛称 はマルーン の言葉で「パンノキ の果実 」を表す。これは、マルーンの血を引く母親が、幼少期まるまると太っていたブジュに、丸いパンノキの実からとってつけたものである[ 4] 。「バントン」はジャマイカの言葉で「尊敬されるストーリーテラー」という意味であり、ブジュ・バントンが幼少期に憧れ、そのだみ声を真似ていたDJであるブロ・バントン (en:Buro Banton )から拝借したものである[ 2] 。
大麻栽培
2003年、ブジュのスタジオ前の庭に大麻が生えているのが発見され、2004年4月5日、9000ドル 相当の大麻 の所持と栽培容疑で有罪判決を受けた[ 15] 。ブジュは「長いコンサートツアー から帰ってきたらそこに大麻が自生していた」と釈明した[ 16] 。
ホモフォビア
ブジュのホモフォビア (反同性愛)的な歌詞と言動はしばしば批判の対象とされている。
例えば、彼の1988年のヒット曲"Boom Bye Bye"はゲイ を苦しめ、殺害するという内容の歌詞を含んでいた。これについてニューヨークタイムス 紙のケレファ・サネー記者は「よろめくようなビート と殺意を感じるコーラス の、控えめに言っても血の凍るような曲」と評した[ 17] 。
ブジュのプロダクション であるガーガメル・ミュージック・プロダクションは同楽曲への批判に対して、以下の理由を挙げ釈明している。
この曲は1988年、ブジュがまだ15歳のときに作ったものである。
この曲は当時ジャマイカ国内で社会問題 化していた男性による少年へのレイプ 事件を批判する意図があった。
この曲がアメリカ合衆国などで世界的に知られるようになったのは再リリースされた1992年のことであった。
ブジュは後に同性愛者 権利団体のリーダーとディベート を行い、以後ホモフォビア的な歌詞の歌を作詞したことはなく、また自らのショーでこれを披露したこともない[ 18]
また、2004年にはキングストン市内にあるブジュのレコーディングスタジオ の近くで、6名のゲイの疑いがある男性グループを約12名が襲撃し、被害者の一人は片目を失明する大怪我を負った事件があったが、ブジュはその襲撃者グループと関係があったとする容疑で告訴 された。しかし2006年1月、裁判所 は証拠 不十分として訴えを棄却 した[ 19] [ 20] 。
2007年には「レゲエ思いやりの決意表明 (en:Reggae Compassionate Act )」に署名し、ホモフォビア的な曲を作らないことと、ホモフォビア的な言動をしないことを誓ったと報道されたが[ 21] 、彼は後にそれを否定している[ 22] 。
2009年にはブジュの歌詞への抗議が殺到したため、ツアー・プロモーターのAEGライブ 社とライブ・ネーション 社はブジュの全米ツアーを中止した[ 23] 。
コカイン取引疑惑
2009年12月10日、アメリカ・マイアミ にてブジュは5キログラム以上のコカイン を配送している疑いがあるとして友人二人と共にアメリカ合衆国麻薬取締局 (DEA) によって逮捕、拘留された[ 12] 。2010年9月27日、12名の陪審員 による審理 が行われたが、有罪・無罪の判断が6対6に割れたため、意見不一致による未決定審理となった[ 24] 。検察 側は再起訴をする予定であると発表した[ 25] 。同年12月、音楽家仲間のスティーブン・マーリー とダミアン・マーリー が中心となって保釈金を支払い、ブジュは一旦保釈された[ 13] 。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
Stamina Daddy (1992年) ※後に『Quick』として再発
『ミスター・メンション』 - Mr. Mention (1992年)
『ヴォイス・オブ・ジャマイカ』 - Voice of Jamaica (1993年)
『ティル・シャイロ』 - 'Til Shiloh (1995年)
Inna Heights (1997年)
『アンチェインド・スピリット』 - Unchained Spirit (2000年)
『フレンズ・フォー・ライフ』 - Friends for Life (2003年)
『トゥー・バッド』 - Too Bad (2006年)
『ラスタ・ガット・ソウル』 - Rasta Got Soul (2009年)
Before the Dawn (2010年)
Upside Down 2020 (2020年)
Born for Greatness (2023年)
主なシングル
"Make My Day" (1993年)
"Champion" (1995年)
"Paid Not Played" (2003年)
"Driver A" (2007年)
"Holy Mountain" (2019年) ※DJキャレド ・フィーチャリング・ブジュ・バントン、シズラ 、マヴァド & 070 Shake名義
"Memories" (2020年) ※フィーチャリング・ジョン・レジェンド
参加作品
ベレス・ハモンド - "Just say no"/In Control (1993年)収録
ランシド - "Life Won't Wait"/Life Won't Wait (1998年)収録
ファット・ジョー - J.O.S.E. (2001年)
ウェイン・ワンダー - "What you gonna do"/Original Boomshell (2006年)収録
脚注
^ a b c 「ブジュ・バントン インタビュー」『レゲエマガジン』36号、タキオン、1993年、68 - 71ページ。
^ a b c d e f g h i j k Thompson, Dave (2002) "Reggae & Caribbean Music", Backbeat Books, ISBN 0-87930-655-6
^ Barrow, Steve & Dalton, Peter (2004) "The Rough Guide to Reggae, 3rd edn.", Rough Guides, ISBN 1-84353-329-4
^ a b Buju Banton『Friends for life 』ライナーノーツ より。 ビクターエンタテインメント株式会社、2003年。
^ 暗殺説もある。
^ 'Til Shiloh - Allmusic.com
^ Inna Heights - Allmusic.com
^ Unchained Spirit - allmusic.com
^ Friends For Life - allmusic.com
^ Too Bad - allmusic.com
^ Rasta Got Soul - allmusic.com
^ a b Charles, Jacqueline & Weaver, Jay "Buju Banton faces drug conspiracy charges ", Miami Herald , 13 December 2009, retrieved 13 December 2009
^ a b “ブジュ・バントン、アルバム「Before the Dawn Concert」リポート ”. ワールドレゲエニュース (2011年1月19日). 2011年2月14日 閲覧。
^ “ブジュ・バントン、アルバム「Before the Dawn」がグラミー賞獲得! ”. ワールドレゲエニュース (2011年2月14日). 2011年2月14日 閲覧。
^ Pete Brady Jamaican Ganja Tour - cannabisculture.com. January 17 2005.
^ "Buju Banton fined $9,000 for ganja" , Observer Reporter . April 6, 2004.(リンク切れ。2010年1月18日閲覧)
^ Critic's Notebook; Dancehall's Vicious Side: Antigay Attitudes . September 6, 2004. New York Times
^ Vanderhooft, Joselle "Anti-Gay Singer's Salt Lake Performance Cancelled" (2009,September,14) - qsaltlake.com
^ Younge, Gary. "Police seek Jamaican singer after armed attack on gay men" , The Guardian . July 17, 2004.
^ Padgett, Tim. "The Most Homophobic Place on Earth?" , Time . April 12, 2006.
^ Topping, Alexandra. "Victory for gay rights campaign as reggae star agrees to ditch homophobic lyrics" , The Guardian , 23 July 2007.
^ "Immigration minister criticised for letting homophobic artist into Canada" , Pink News, October 9, 2008.
^ "Victory! AEG & Live Nation Silence 'Murder Music' Singer's Concerts ", Los Angeles Gay & Lesbian Center
^ Jurors evenly split on Buju's fate
^ Buju to be re-indicted before grand jury
外部リンク