ランシド(Rancid)は、1991年にアメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー(通称イースト・ベイ)で結成されたパンクロック・バンド。
1987年に、ティム・アームストロング、マット・フリーマンが中心となり、ランシドの前身バンドであるオペレーション・アイヴィーが結成される。パンク・ロック・シーンの聖地ともいわれるギルマン・ストリートで活動していたが、「あまりにも人気が出すぎてしまった」ために、わずか3年でバンドは解散してしまう。
目標を失ったティム・アームストロングは、アルコールとドラッグに溺れ、一時はホームレスにまで転落したが、故エリック・ホーガン(アメリカン・グラフィティー・タトゥー。「タイム・ボム」は彼のことを歌っている)や、マット・フリーマンの助けで何とか立ち直る。その後、ダンス・ホール・クラッシャーズを経て、1991年に、当時ルームメイトであったブレット・リードとマット・フリーマンの3人により、ランシドが結成される。
1992年に、シングルEP『Rancid』をルックアウト・レコードよりリリース、翌1993年には、エピタフ・レコードと契約し、ファースト・アルバム『ランシド』をリリースする。このデビュー・アルバムに伴うアメリカ&ヨーロッパ・ツアー後に、元U.K.サブスのラーズ・フレデリクセンがギタリスト兼ボーカリストとして加入する。またこの年には、NOFXのファット・マイクが経営するファット・レック・コーズよりシングルEP『Radio Radio Radio』をリリースする。
1994年には、セカンド・アルバム『レッツ・ゴー』をリリースし、それに伴うワールドツアー後は多くのメジャー・レーベルからオファーが殺到するが、バンドはインディーズ・レーベルにとどまることを選択する。
1995年には、それまでレコーディングに1週間以上費やしたことのなかった彼らが、プロデューサーとしてグリーン・デイなどを手掛けたジェリー・フィンを、ミキサーとしてニルヴァーナ、ソニック・ユースなどを手掛けたアンディ・ウォーラスらを迎え、1ヶ月以上をかけて制作したサード・アルバム『…アンド・アウト・カム・ジ・ウルブス』をリリース。シングルカットされた「タイム・ボム」の大ヒット、ワールドツアーの成功などにより、このアルバムはアメリカや日本など各国でゴールドディスクを獲得する。
1998年にリリースされた4枚目のアルバム『ライフ・ウォウント・ウェイト』では、ブジュ・バントンら多彩なゲストを迎えてニューオーリンズやニューヨーク、ロサンゼルス、ジャマイカなどの各地をまわり、1年以上かけてレコーディングされた。このアルバムではレゲエやダブが積極的に取り入れられ、好評価を得た。
2000年には再度セルフタイトルを冠した5枚目のアルバム『ランシドV』をリリース。このアルバム以降は、ティム・アームストロングが主宰するエピタフ・レコード内のレーベル「ヘルキャット・レコード」からリリースされることとなり、さらにマネージメントからも離れ、まさしくDIYによるアルバム制作を行っていくこととなる。その後、ティム・アームストロングはトランスプランツ、ラーズ・フレデリクセンはラーズ・フレデリクセン・アンド・ザ・バスターズ、マット・フリーマンはデヴィルズ・ブリゲイドなど、各メンバーのソロ・プロジェクトを開始する。
そして、前作から約3年経った2003年に再びランシドとして復活した彼らはアルバム『インデストラクティブル』をリリースする。
2009年6月2日(日本6月3日)、アルバム『レット・ザ・ドミノズ・フォール』をリリース。
また、2014年10月27日には5年ぶり8枚目となるスタジオ・アルバム『…オナー・イズ・オール・ウィー・ノウ』を発売。
その後、2017年6月9日に、現時点での最新スタジオ・アルバムとなる『トラブル・メーカー』の世界同時リリースを行った。
初期メンバーはティム・アームストロング、マット・フリーマン、ブレット・リードの3人である。1994年に元U.K.サブスのラーズ・フレデリクセンが加入(ラーズは古くからの友人であり、ファースト・アルバムのレコーディングには参加しなかったもののツアーには帯同)。しかし2006年11月3日にブレット・リードが脱退を表明。代わりにThe Usedのドラマーであったブランデン・スタインエッカートが加入。かつて、ランシドのギタリストとして現グリーン・デイのボーカルであるビリー・ジョー・アームストロングを誘っていたらしい。
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