フロイデンタール (ドイツ語 : Freudental )は、ドイツ連邦共和国 バーデン=ヴュルテンベルク州 ルートヴィヒスブルク郡 に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。この町は、シュトゥットガルト地域 (ドイツ語版 、英語版 ) (1992年まではミットレラー・ネッカー地域)およびシュトゥットガルト大都市圏 (ドイツ語版 、英語版 ) に含まれる。この町にはフロイデンタールの他に地区はない。
地理
位置
フロイデンタールは、シュトロムベルク東端のネッカー盆地への移行部、エンツ川 最下流部左岸の支流シュタインバッハ川の谷の、海抜 275 - 310 m に位置している。最寄りの大きな都市は、南東約 16 km の郡庁所在地ルートヴィヒスブルク や北東約 19 km のハイルブロン である。
隣接する市町村
フロイデンタールは、北はベニヒハイム 、北東はエルリヒハイム 、南東はレヒガウ 、南西はザクセンハイム と境を接している。これらの市町村はいずれもルートヴィヒスブルク郡 に属す。
土地利用
土地用途別面積
面積 (km2 )
占有率
住宅地および空き地
0.38
12.4 %
産業用地
0.03
1.1 %
レジャー用地
0.09
3.0 %
交通用地
0.18
6.0 %
農業用地
1.32
43.0 %
森林
0.97
31.7 %
水域
0.02
0.5 %
その他の用地
0.08
2.3 %
合計
3.07
州統計局の2018年12月31日現在のデータによる[ 1] 。
歴史
1648年頃にアンドレアス・キーザーによって描かれたフロイデンタール
フロイデンタールは、1304年 にエスリンゲン・アム・ネッカー のシュピタール(病院)の土地台帳に初めて記録されている。ビシンゲン やレヒガウ と同様、バーデン辺境伯領 に属したが、1504年 のバイエルン継承戦争 でヴュルテンベルク公ウルリヒ の所有となり、ベージヒハイムのフォークト (代官)コンラート・シェンク・フォン・ヴィンターシュテッテンがこれを治めた。領主権(1590/92年から1685年までシャフェリツキー・フォン・ムカデル家)が入れ替わり分割された後、1685年 にこれらの集落はすべて再びヴュルテンベルク公フリードリヒ・カール の所有となったが、フロイデンタールはすぐにまた売却された。1710年 にギーベルシュタット男爵ゴットロープ・ツォーベルが相続人としてこの集落の所有者となった。この相続領は1727年 に、公爵の愛人ヴィルヘルミーネ・フォン・ヴュルベン (ドイツ語版 、英語版 ) にまたもや売却された。1731年 にエーバーハルト・ルートヴィヒ公 と別れた後、公爵は協定によりこの村を得た。しかしこの村はヴュルテンベルク公領に併合されず、ヴュルテンベルク官房行政府の官有地となった。ヴュルテンベルク王国 の成立に伴い、1806年 にフロイデンタールは初めてオーバーアムト・ビーティヒハイムに編入され、次いで1810年 にオーバーアムト・ベジヒハイムに移管された。1938年 にヴュルテンベルクのオーバーアムトが廃止され、フロイデンタールはルートヴィヒスブルク郡の一部となった。
住民
人口推移
各時点の町域における人口を示す。数値は推定値、人口調査結果 (*)、バーデン=ヴュルテンベルク州統計局の公的研究結果に基づいている。
時期
人口(人)
1871年12月1日 *
774
1880年12月1日 *
786
1890年12月1日 *
737
1900年12月1日 *
628
1910年12月1日 *
556
1925年6月16日 *
606
1933年6月16日 *
598
1939年5月17日 *
565
1950年9月13日 *
835
1961年6月6日 *
955
時期
人口(人)
1970年5月27日 *
1,412
1980年12月31日
1,940
1987年5月25日 *
2,076
1990年12月31日
2,089
1995年12月31日
2,380
2000年12月31日
2,390
2005年12月31日
2,399
2010年12月31日
2,430
2015年12月31日
2,440
フロイデンタールの福音主義教会
宗教
フロイデンタールは、宗教改革 以後福音主義 が根付いている。現在もこの町は福音主義の町である。これに加えて、小さな新使徒教会 (ドイツ語版 、英語版 ) のコミュニティが存在する。カトリック 信者はベジヒハイムのローマ=カトリック教会組織に属している。
フロイデンタール・ユダヤ教会 は、18世紀前半に発足し、19世紀半ばには町の住民の 40 % 以上が属していた。フロイデンタールは1832年からフロイデンタール・ラビ 管区の本部所在地であった。ユダヤ人コミュニティは、他のユダヤ地方教会と同様に、19世紀末頃から衰退し、それに続く国家社会主義 時代のユダヤ人 排斥によって消滅した。かつて重要であったこの組織の遺構としては、1770年に建設されたシナゴーグ と、これに隣接する1723年からユダヤ人6家族が住んでいたユーデンシュレスレ(直訳: ユダヤ人の小城)、ユダヤ人墓地(ベニヒハイムの市域内)がある。迫害され、殺害されたユダヤ人住民を追悼する記念プレートが城館近くに掲げられている。シュトロムベルク通りの両端に1988年から設けられた記念プレートは、何世紀もの間ユダヤ人街で1933年まで「ユーデンガッセ」(ユダヤ人通り)と呼ばれていたことが記されている[ 3] 。
行政
フロイデンタールの町役場
議会
フロイデンタールの町議会議員は12議席である。町議会はこれらの選出された名誉職の議員と、議長を務める町長で構成される。町長は町議会において投票権を有している[ 4] 。
紋章と旗
頂部は金地 でその中に黒い シカの角。主部は赤地 で金色の「F」の文字が書かれている。フロイデンタールは、1980年10月9日に黒 - 黄の配色の町の旗を認可された[ 5] 。しかし実際にこの町は赤 - 黄の配色の旗を用いている。
姉妹自治体
文化と見所
グレーヴェニツシェ城
グレーヴェニツシェ城(またはフロイデンタール城)は1729年にヴィルヘルミーネ・フォン・グレーヴェニッツ (ドイツ語版 、英語版 ) のために、パオロ・レッティによって建設された[ 6] 。1816年に増築されたこの城館は1903年までヴュルテンベルクの官房行政局が利用し、その後病院、サナトリウム、老人ホームとして利用された。広大な城館庭園を含めこの施設は2007年から個人の所有となり、立ち入ることができない。
福音主義教会は、古いマリエン礼拝堂を起源とし、1686年に現在の姿になった。この教会には 13世紀に鋳造された鐘がある。この鐘はルートヴィヒスブルク郡で最も古い鐘の1つに数えられる。
町内には、かつて領主が所有していた建物がいくつかある。モイゼ塔は町の中心にあった城館の遺構で、19世紀半ばまで村の拘置所として利用された。いわゆるユーデンシュレスレは、1614年に村の高台に建つ城館の奉公人棟として建設され、1723年からユダヤ人家族が住んだ。
かつてオーベーレ・シュロスの敷地に1770年に建設されたシナゴーグ は、ルートヴィヒスブルク郡に現存する唯一のシナゴーグである。
ユダヤ人墓地は1811年から1970年まで埋葬に用いられていた。それ以前は、アレーンフェルトのユダヤ人墓地が、ユダヤ人コミュニティの埋葬所であった。
ベニヒハイムの市域にあるアルター塔は、平らな石で築かれた円形の建物で、ヴュルテンベルク王が狩りの拠点として利用した。
記念碑
シュトゥーテン記念碑と呼ばれているのは、ヴュルテンベルク王フリードリヒ の愛馬へレーネ号の墓石である。これは町の西部、シュトゥーテンヴェーク沿いにある。
フロイデンタールでは、2017年10月6日に初めて、芸術家グンター・デムニヒ (ドイツ語版 、英語版 ) によるストルパーシュタイン (躓きの石)が初めて設置された。プフォルツハイマー通り25番地の建物前の歩道に埋設されたこの小さな真鍮製のプレートは、ここで里子として暮らしていたアルベルト・エルンスト・グライナーを記念するものである。仕事中の事故で重い障害を負ったグライナーは、1940年6月にヴュルテンベルクのヴァイセナウ療養所に移され、同年12月5日にT4-安楽死作戦 に基づきグラーフェネック安楽死施設 (ドイツ語版 、英語版 ) で国家社会主義者 によって殺害された[ 7] [ 8] 。
経済と社会資本
町の面積が非常に狭いため、農業が支配的な地位を占めたことは一度もなかった。2005年現在も、主にワイン 造りを営む専業農家が1軒と、兼業農家が数軒あるだけである。フロイデンタールは、職人と日雇い労働者の村であったが、第二次世界大戦 以後、住宅地として発展した。
ワイン造り
フロイデンタールは、ヴュルテンベルク・ワイン地区のヴュルテンベルク・ウンターラント地域シュトロムベルク大地区に属すワインの産地で[ 9] 、ヴュルテンベルク・ワイン街道沿いに位置している[ 10] 。
公共施設
郡立クレーブラット養護ホームの老人・養護ホームがある[ 11] 。
教育
フロイデンタールには、幼稚園 2園と基礎課程学校 1校がある。最寄りの本課程学校はレヒガウ に、その他の上級の学校はベージヒハイム とベニヒハイム にある。
ライフライン
この町の電力網は EnBW レギオナル AG が運営している[ 12] 。天然ガスの供給は行われていない。ヴォルフスベルク地区とガルゲネッカー地区では、液化ガスの供給が行われている[ 13] 。フロイデンタール町は2005年まで飲料水の完全な自給自足を行っていたが、2006年からフロイデンタールの水とボーデン湖 の水を混合している。上水道は、地元の水 70 % にボーデン湖水供給会社からの水 30 % の比率である[ 14] 。塵芥処理は、ルートヴィヒスブルク郡の 100 % 子会社のルートヴィヒスブルク郡塵芥処理会社 (AVL) が行っている。AVLは、ルートヴィヒスブルク郡の委託を受けてゴミの削減、再利用、廃棄といった処理を行っている[ 15] 。
交通網
フロイデンタールは、3つのバス停留所によってシュトゥットガルト交通・運賃連盟と結ばれている。さらに、ハイルブロナー・ホーエンローアー・ハラー近郊交通との共同運行のクレーブロン 行きバス路線がある。最寄りの鉄道の駅は、ベジヒハイム駅とビーティヒハイム=ビシンゲン駅で、後者はシュトゥットガルトSバーン およびカールスルーエ・シュタットバーン に直接接続している。
人物
出身者
参考図書
Königl. Statist.-Topograph. Bureau, ed (1962). Beschreibung des Oberamts Besigheim . Die württembergischen Oberamtsbeschreibungen von 1824–1886; 32. Stuttgart 1853. Magstadt: Nachdruck durch Bissinger. ISBN 3-7644-0031-5
出典
外部リンク