カウンティ・オブ・ビュート侯爵 (英 : Marquess of the County of Bute )は、イギリス の侯爵 位。グレートブリテン貴族 。通常はビュート侯爵と言及される。スコットランド王 ロバート2世 の私生児を祖とするステュアート王室 の分流が保有する爵位である。この家系は1627年 にノバスコシア 準男爵 位のビュートのステュアート準男爵、1703年 にスコットランド貴族 爵位ビュート伯爵に叙位され、1796年 に第4代ビュート伯爵ジョン・ステュアート がビュート侯爵に叙された。以降は現在に至るまで、彼の男系男子によって継承され続けている。侯爵家の分家にウォーンクリフ伯爵家 がある。
歴史
3代ビュート伯ジョン・ステュアート 侯爵家の邸宅であるマウントステュアート・ハウス
ステュアート朝 の最初のスコットランド王ロバート2世 の私生児でビュート (英語版 ) のシェリフ を務めたジョン・ステュアート(John Stewart) を祖とする[ 1] 。彼は父ロバート2世からビュート島 やアラン島 、グレート・カンブレー (英語版 ) の土地を与えられた[ 2] 。顔色が黒かったので「ブラック・ステュアート」の異名をとった[ 2] 。ビュートの土地については1400年のロバート3世 の勅許状によっても保証され、ビュートのシェリフを世襲することも確認された[ 2] 。スコットランド女王メアリー の時代に『Stuart』のスペルを採用するようになった[ 2] 。
子孫でビュートのシェリフであるジョン・ステュアート (?-1662) は、1627年 にノバスコシア 準男爵 として(ビュートの)準男爵 (Baronet, of Bute) を与えられた。彼はその後スコットランド議会 の議員も務めた[ 3] 。
その孫である3代準男爵ジェイムズ (英語版 ) (?-1710) もターベット (英語版 ) やアーガイルシャー のシェリフ、スコットランド議会の議員、イングランドとの合同交渉のコミッショナーなどを歴任し、1703年 4月14日 にビュート伯爵 (Earl of Bute) を含む3つのスコットランド貴族 爵位を与えられた[ 4] 。
さらに、3代伯ジョン (1713-1792) は、国王ジョージ3世 の信任を背景に1762年 から1763年 にかけて首相 を務め、政党政治 から超越した「愛国王」政治を展開しようとしたが、世論の強い非難を浴びて短命内閣に終わった。
なお、3代伯ジョンの妻メアリー は彼女自身の権利として、グレートブリテン貴族としてヨーク州ウォートリーのマウント・ステュアート女男爵 (Baroness Mount Stuart, of Wortley in the County of York) に叙されている。この爵位は彼女と3代伯の男系子孫に継承を認めたものである[ 6] 。
その息子である4代伯ジョン (1744–1814) はトーリー党 庶民院 議員やスペイン 大使などを歴任した[ 7] 。彼はまず1776年5月20日にカーディフ城のカーディフ男爵 (Baron Cardiff, of Cardiff Castle) に叙された[ 7] 。ついで1796年 2月27日 にカウンティ・オブ・ビュート侯爵 (Marquess of the County of Bute) に陛爵して、侯爵家の始祖となった[ 7] 。この際に併せてウィンザー伯爵 (Earl of Windsor) 及びワイト島のマウントジョイ子爵 (Viscount Mountjoy, of the Isle of Wight) の2つのグレートブリテン貴族 爵位を与えられている[ 7] [ 8] 。そのため、彼以降の当主は自動的に貴族院 に議席を得ることができた。
初代ビュート侯の長男ジョン(1767-1794) はダンフリーズ伯爵クライトン家の女性相続人エリザベス(1772-1797) と結婚した。ゆえに、夫妻の長男である2代侯ジョン (英語版 ) (1793–1848) は、母方クライトン家からダンフリーズ伯爵 (英語版 ) (Earl of Dumfries) を始めとする5つのスコットランド貴族爵位を継承している[ 註釈 1] [ 7] 。また、彼の代に勅許を得て家名を「クライトン=ステュアート」に改めた[ 7] [ 9] 。
その昆孫 にあたる7代侯ジョン・クライトン=ステュアート (1958-2021) はレースドライバーとして活躍した[ 10] [ 11] 。
2021年 現在、その子である8代侯ジョン(1989-) が当代のビュート侯爵である。
従属爵位・準男爵位
現当主である第8代ビュート侯爵ジョン・ブライソン・クライトン=ステュアート は、以下の従属爵位・準男爵位を保有する[ 7] 。
第8代ビュート侯爵 (8th Marquess of Bute) (1796年 2月21日 の勅許状によるグレートブリテン貴族 爵位)
第13代ダンフリーズ伯爵 (英語版 ) (13th Earl of Dumfries) (1633年 6月12日 の勅許状によるスコットランド貴族 爵位)
第11代ビュート伯爵 (11th Earl of Bute) (1703年 4月14日 の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
第8代ウィンザー伯爵 (8th Earl of Windsor) (1796年2月21日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
第13代エアー子爵 (13th Viscount of Ayr) (1622年 2月2日 の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
第11代キンガース子爵 (11th Viscount Kingarth) (1703年 4月14日 の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
第8代ワイト島のマウントジョイ子爵 (8th Viscount Mountjoy, of the Isle of Wight) (1796年2月21日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
第21代サンカーのクライトン卿 (21st Lord Crichton of Sanquhar) (1488年 1月29日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
第13代サンカー卿 (13th Lord Sanquhar) (1622年2月2日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
第13代サンカー及びカムナックのクライトン卿 (13th Lord Crichton of Sanquhar and Cumnock) (1633年 6月12日 の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
第11代カムラーおよびインチマーノックのマウントステュアート卿 (11th Lord Mount Stuart, Cumra and Inchmarnock) (1703年4月14日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
第9代ヨーク州ウォートリーのマウント・ステュアート男爵 (9th Baron Mount Stuart , of Wortley in the County of York) (1761年 4月3日の勅許状による創設グレートブリテン貴族爵位)
第8代カーディフ城のカーディフ男爵 (8th Baron Cardiff, of Cardiff Castle) (1776年 5月20日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
第13代(ビュートの)準男爵 (13th Baronet, of Bute) (1627年 3月28日 の勅許状によるノバスコシア 準男爵位)
一覧
ビュートのステュアート準男爵 (1627年)
ビュート伯爵 (1703年)
ビュート侯爵 (1796年)
現当主に子はいない。そのため、男子に相続を求めるビュート侯爵位の推定相続人 は6代侯の次男アンソニー・クライトン=ステュアート (英語版 ) 閣下(1961-) 。
他方、女系継承可能なダンフリーズ伯爵位の推定相続人は先代の娘カロライン・クライトン=ステュアート女史(1984-) 。
脚注
註釈
^ 2代侯が母方から継承した爵位は、ダンフリース伯爵、エアー子爵、サンカーのクライトン卿、サンカー卿及びカムノックのクライトン卿の5つで、すべてスコットランド貴族爵位。
出典
^ Lundy, Darryl. “Sir John Stewart ” (英語). thepeerage.com . 2020年2月4日 閲覧。
^ a b c d Stewart Clan Scots Connection (2020年2月4日閲覧)
^ Lundy, Darryl. “Sir James Stuart of Ardmaleish, 1st Bt. ” (英語). thepeerage.com . 2015年8月3日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “James Stuart, 2nd Earl of Bute ” (英語). thepeerage.com . 2015年8月3日 閲覧。
^ “No.10092 ”. The Gazette 31 March 1761. 2019年11月25日 閲覧。
^ a b c d e f g “Bute, Marquess of (GB, 1796) ”. Cracroft's Peerage. 2019年11月25日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “John Stuart, 1st Marquess of the County of Bute ” (英語). thepeerage.com . 2015年8月3日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “John Crichton-Stuart, 2nd Marquess of the County of Bute ” (英語). thepeerage.com . 2015年8月3日 閲覧。
^ Johnny Dumfries: Ex-F1 driver & Le Mans 24 Hours winner dies aged 62 - BBC Sport・2021年3月22日
^ “Ex-Formula 1 driver Marquess of Bute dies aged 62 ” (英語). STV News (2021年3月22日). 2021年3月26日 閲覧。
参考文献