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この項目では、フィリピンの自治地域について説明しています。2013年の地域での独立活動については「バンサモロ共和国」をご覧ください。 |
バンサモロ
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イスラムミンダナオ・バンサモロ自治地域 フィリピン語: Rehiyong Awtonomo ng Bangsamoro sa Muslim Mindanaw アラビア語: منطقة بانجسامورو ذاتية الحكم فى مسلمى مينداناو 英語: Bangsamoro Autonomous Region in Muslim Mindanao |
旗 | 印章 | |
バンサモロ地域の図 |
国 |
フィリピン |
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旧ARMMからの移行 |
2019年2月26日 |
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政府 |
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• 種別 |
自治地域(英語版)議院内閣制 |
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• 首相(英語版) |
ムラド・イブラヒム(英語版) |
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• 副主席大臣 |
バンサモロ暫定移行機関によって選定 |
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• バンサモロ議会議長 |
バンサモロ暫定移行機関によって選定 |
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• 議会 |
バンサモロ議会(英語版) |
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面積 |
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• 合計 |
12,711.79 km2 |
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人口 |
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• 合計 |
4,944,800人 |
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• 密度 |
390人/km2 |
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族称 |
Bangsamoro |
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等時帯 |
UTC+8 (PST) |
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イスラムミンダナオ・バンサモロ自治地域(イスラムミンダナオ・バンサモロじちちいき、フィリピン語: Rehiyong Awtonomo ng Bangsamoro sa Muslim Mindanaw, アラビア語: منطقة بانجسامورو ذاتية الحكم فى مسلمى مينداناو, 英語: Bangsamoro Autonomous Region in Muslim Mindanao, BARMM)は、フィリピンのミンダナオ島西部からスールー諸島にかけて広がるムスリム(イスラム教徒)の多い地域である「バンサモロ」に2019年に成立した自治地域。1990年に成立したイスラム教徒ミンダナオ自治地域(ARMM)に代えて、「バンサモロ自治地域」を作るという提案は、フィリピン政府(英語版)とモロ・イスラム解放戦線の間で2012年に調印された和平合意準備である、バンサモロ枠組み合意(英語版)に基づくものであった。
この地方は、フィリピンの地方の中では唯一、独自の「政府」を持つ。またキリスト教国のフィリピンの中では独特の歴史・文化を持っているが、経済的には最も貧しく、治安も安定していない[2]。人口は2020年国勢調査で約495万人(スールー州含む[1])。バンサモロの中心都市はコタバト市(Cotabato City)であるが、この都市自体はソクサージェン地方の一部である。
州
6州とコタバト州の一部から構成される[3]。
スールー州は住民投票でバンサモロ基本法の批准に反対したにもかかわらず、成立当初から事実上自治地域の一部として扱われていた。2024年9月9日、フィリピン最高裁判所はスールー州がバンサモロ自治地域に含まれてないと宣言した[4]。離脱は最高裁判所の最終判決後に実施される予定で、それまでは引き続きバンサモロ自治地域の一部として扱われる[5][6]。
歴史
第二次世界大戦前のミンダナオ島
フィリピンの歴史において、ミンダナオ島、特に西部地区は他の地域とは異なった国家を長年にわたり構えており、独自の文化とアイデンティティを育んできた。スペイン人によるフィリピンの植民地化は1565年にセブ島より始まっているが、ミンダナオ島西部はそれに先立つ15世紀以来イスラム教の盛んな地方となっていた。
1380年、スールー諸島の西端にあるタウィタウィ島にアラブ人のイスラム教伝道師が到来し、以来先住民のイスラム教への改宗が進んだ。1457年にはスールー王国が成立、その後ミンダナオ島本土にマギンダナオ王国やブアヤン王国が誕生し、フィリピン北部や中部の部族にもイスラム教は広がったが、16世紀後半以降ミンダナオ島以外はスペインに征服された。
フィリピンの大部分がスペインの植民地だった時代もミンダナオ島西部のスルタンたちは独立を保ち、繰り返されるスペイン人の侵入を防ぎ、ミンダナオ島北岸にスペイン人が築いた植民都市に対する反撃や征服を行ったが、19世紀後半に至りスペインの支配下に置かれ、最後に残ったスールー王国もスペインによる主権を認めた。しかしこの後もスペイン人による統治は完全なものではなく、米西戦争の結果スペインがフィリピンを放棄するまで、植民地支配の及ぶ範囲は軍隊の駐屯地やサンボアンガやコタバトといった都市部に限られた。米比戦争の時期はモロの反乱が起きたが、最終的に1910年代にアメリカ軍に制圧され、次第にフィリピン他地域同様の統治が行われるようになった。またアメリカ植民地政府やフィリピン・コモンウェルスの下で、ミンダナオ島全体にルソン島やビサヤ諸島のキリスト教徒が入植し、ムスリムはミンダナオでも少数派となっていった。
イスラム教徒と政府の衝突、ARMMの創立
第二次世界大戦後フィリピンが独立すると、フィリピン政府は国民を統合し単一国家を作ることを目指したが、慣習的なムスリム法のもとで暮らしてきたこの地のモロ人たちはこれを同化政策と見て反発した。1950年代後半からフィリピン政府はムスリムの地域共同体との折衝を図る組織や委員会を設立し、一夫多妻や離婚を禁ずるフィリピンの法律がモロ人には適用されない合意がなされたがこれは表面的なものであった。イスラム教徒とキリスト教徒との軋轢は続き、1970年代からはフィリピンからの分離独立を求めるモロ民族解放戦線(MNLF)とフィリピン国軍との間の武力衝突が続発した。
1986年のエドゥサ革命で、ミンダナオへのキリスト教徒の移民を推進しMNLFとの内戦を行ったマルコス政権が倒れた後、フィリピン政府はムスリム共同体との話し合いやMNLFとの和平協議を進め、1989年に「自治基本法」(Organic Act、Republic Act No. 6734)が成立しミンダナオにムスリム自治区を設ける憲法上の根拠ができた。政治的対立や混乱の中、ミンダナオ島西部・南部一帯の州と市で、新設される「イスラム教徒ミンダナオ自治地域」(ARMM)への加入に賛成するかどうかの住民投票が行われた(バシラン州、コタバト州、ダバオ・デル・スル州、ラナオ・デル・ノルテ州、ラナオ・デル・スル州、マギンダナオ州、パラワン州、南コタバト州、スルタン・クダラット州、スールー州、タウィタウィ州、サンボアンガ・デル・ノルテ州、サンボアンガ・デル・スル州の13州、コタバト、ダピタン、ディポログ、ゼネラル・サントス、イリガン、マラウィ、パガディアン、プエルト・プリンセサ、サンボアンガの9市)。
しかしARMMへの加入に賛成多数だったのはラナオ・デル・スル州、マギンダナオ州、スールー州、タウィタウィ州の4州だけであった。不完全な自治にすぎないというMNLFによる反発の中、ARMMはこの4州だけで1990年11月6日に発足した。式典は自治地域の首都とされたコタバト市で行われた。
フィデル・ラモス大統領のフィリピン政府と、ヌル・ミスアリ率いるモロ民族解放戦線(MNLF)の間では、1997年7月に和平協定が成立し、和平工程が開始された。和平に反対するモロ・イスラム解放戦線(MILF)の勢力の増大、2000年のジョセフ・エストラーダ大統領による和平協定破棄、フィリピン国軍とMILFの武力衝突など、和平に逆行する動きが続いた。2001年、以前の住民投票でARMM入りを否決した州や市へARMMを拡大するための新法が成立したが、マラウィ市とバシラン州(イサベラ市を除く)だけがARMM入りを希望した。
イスラム教徒との和平プロセスと、バンサモロ自治地域の創立
新しい地域は大統領ベニグノ・アキノ3世が「失敗した実験」と称したイスラム教徒ミンダナオ自治地域に代わって形成され、15年に及ぶフィリピンとバンサモロとの和平工程(英語版)を完結させることを目指している[7]。
2012年10月15日、マニラのマラカニアン宮殿でアキノ大統領、フィリピン政府側主席交渉者のマービック・レオネン(英語版)、MILF議長のアル・ハジ・ムラド・イブライム(英語版)、MILF和平交渉団長のモハグハ・イクバル(戦争名[8])、マレーシア人進行役のアブ・ガファル・モハメド、マレーシア首相ナジブ・ラザク、 イスラム協力機構事務総長エクメレッディン・イフサンオール(英語版)
によって歴史的な準備合意であるバンサモロ枠組み合意(英語版)が調印された[9][10]。
この文書では電力、歳入、新たな自治地域に付与される領域などを含む主要問題に関する一般合意を概説している[11][12]。
交渉の第一段階で、進行役としてのマレーシアの関与はフィリピン人メディアによる報道でフィリピン人社会に懸念を生じさせた[13][14]が、マレーシア側はマレーシアの関与はフィリピン政府とMILFの要求によるものだと説明した[15]。
2014年3月27日、政府側のアキノ大統領とMILFのムラド議長に加え、仲介役を務めたマレーシア首相ナジブ・ラザクなどの立会いの下、マラカニアンでバンサモロ包括合意(英語版)が調印された[16][17]。この中で、バンサモロの法的地位を定めるバンサモロ基本法(英語版)の制定などが目指されている。
包括合意以降
2015年1月25日、ママサパノで政府側とMILFの衝突(英語版)が起こり、MILFとモロ・イスラム解放戦線によると、ジェマ・イスラミアのメンバーで「マルワン」の別名を持つズルキフリ・アブディール(英語版)の殺害後、44人の特殊部隊(英語版)が殺害される事件が発生した。 元老院の地方自治委員会会長のフェルディナンド・イメルダ・マルコス・Jr元老院議員は流血の事態からバンサモロ基本法の審理を一時停止し、起草者のアラン・カエタノ(英語版)とJV・エヘルシト(英語版)両元老院議員は法案を撤回した。戦闘で44人の警察部隊、17人のMILF兵士と3人の民間人を含む数十人が死亡している[18]。
元老院では地方自治委員会でのバンサモロ基本法の長い審議の後[19]、2015年8月11日に「バンサモロ自治地域基本法」として知られるバンサモロ基本法の改訂版が提出され[19]、
2015年8月17日に質疑を受ける予定となった[20]。法案の長さと複雑さのため、上院は法案の質疑期間を一時的に延期している[21]。
バンサモロの成立
2018年7月26日、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領が「バンサモロ基本法」(バンサモロ組織法、Bangsamoro Organic Law)に調印、2019年1月21日にARMM住民に対してバンサモロ基本法の成立を問う住民投票が行われ、同時にイサベラ市とコタバト市では新自治地域への編入を問う住民投票が行われた。2月6日にはコタバト州の一部とラナオ・デル・ノルテ州の一部のバランガイで新自治地域への編入を問う住民投票も実施された。投票の結果、バンサモロ自治地域を成立させるバンサモロ基本法は批准され、同時にコタバト州の西部の町村に属する63のバランガイがコタバト州に属したままバンサモロ自治地域に編入されることが決まった。2月22日にはバンサモロ暫定自治政府(バンサモロ暫定移行機関)が発足、2月26日にイスラム教徒ミンダナオ自治地域はバンサモロ自治地域へと移行した。
比較
関連項目
註
外部リンク