ハイメ・ガルシア (野球)
ハイメ・オマー・ガルシア・ロドリゲス(Jaime Omar García Rodríguez, 1986年7月8日 - )は、メキシコ合衆国タマウリパス州レイノサ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。愛称はJ Gar[1]。 経歴プロ入り前アメリカ合衆国テキサス州との国境沿いのレイノサで育った。野球好きの父ハイメ(同名)から野球を教わった。メキシコとの国境沿いのテキサス州ミッションのシャリーランド高等学校に進学した。高校時代にはメキシコのジュニア代表にも選ばれた。 2004年のMLBドラフト30巡目(全体889位)でボルチモア・オリオールズから指名されたが契約には至らなかった。 プロ入りとカージナルス時代2005年のMLBドラフト22巡目(全体680位)でセントルイス・カージナルスから指名され、プロ入り[2]。 2008年7月10日にマーク・マルダーの故障者リスト入りに伴ってメジャー昇格を果たし[3]、翌11日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。しかし、8月26日の登板を最後にシーズンを終え、9月8日にトミー・ジョン手術を受けた[4]。この手術の後、新しい変化球の習得やフォームの修正が自身の成長につながったことから、手術を「人生最高の出来事」と振り返っている。 2009年はメジャーで登板することなくシーズンを終えた。 2010年のスプリングトレーニングでカイル・マクレランやリッチ・ヒルらとの先発5番手に争いに勝ち、先発ローテーション入り[4]。規定投球回に到達する163.1イニングを投げ13勝・防御率2.70を記録した。新人王の投票ではバスター・ポージー、ジェイソン・ヘイワードに次ぐ3位だった[5]。 2011年5月6日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では8回1アウトまで完全試合の好投で2安打・1四球の完封勝利だった[6][7]。前半だけで9勝・2完封などの好調で7月にカージナルスと4年総額2750万ドルで契約延長した(2016年は1150万ドル、2017年は1200万ドルの球団オプション)[8]。このシーズンは13勝7敗・防御率3.56を記録した。K/9が7.27から7.21とほとんど変わらないのに対し、BB/9が3.53から2.31に、K/BBが2.06から3.12になった。2011年のワールドシリーズではクリス・カーペンターに次ぐ2番手投手として2先発(10イニング)で防御率1.80を記録し、勝利投手にはなれなかったものの、優勝に貢献した。 2012年は6月5日に肩を痛めて故障者リスト入りし、復帰に2カ月以上もかかった。復帰後は順調だったもののワシントン・ナショナルズとのディビジョンシリーズ第2戦で再び肩を痛め降板した。結局、この年は20試合の先発登板に留まり、規定投球回にも届かなかったが、投げた試合では好投して7勝7敗、防御率3.92という数字を記録した。被本塁打率も低く、1212⁄3回で7被本塁打であった。 2013年は序盤から好投が続いたが、突然崩れるようになった[9]。これは肩の関節唇を負傷していたのが原因で、その修復手術を受けるため、6月以降は戦線離脱した[9]。そのため、同年は9試合の登板に終わり、5勝2敗、防御率3.58、WHIP1.30という成績だった。 2014年は、前年に受けた手術もあって肘頭滑液包炎を発症し、復帰が5月18日にずれ込んだ[10]。更に、6月下旬に胸郭出口症候群に起因する肩痛を発症し、故障者リスト入りして手術を受ける羽目になった[10]。このように故障を頻発し、2年連続で10試合未満に留まる7試合の登板に終わった。 2015年、完全復活とはならなかったが、3年ぶりとなる20試合に先発登板。防御率2.43、自身3度目の2桁勝利となる10勝6敗、WHIP1.05を記録した。 2016年4月14日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では1安打・1四球の完封に加えて13奪三振を記録した。カージナルスの左投手が13奪三振以上を記録したのは1970年5月21日のスティーブ・カールトン(16)以来だった[11]。このシーズンは久々に先発ローテーションどおりに32試合に登板して規定投球回にも達した。防御率4.67、2年連続2桁勝利となる10勝13敗・WHIP1.38を記録した。 ブレーブス時代2016年12月1日にジョン・ガント、クリス・エリス、ルーク・ダイクストラとのトレードで、アトランタ・ブレーブスへ移籍した[12][2]。 2017年開幕前の2月8日に第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のメキシコ代表に選出された[13]が、3月2日に辞退した[14]。 シーズンでは7月までに18試合に先発して4勝7敗、防御率4.30であった。7月21日のロサンゼルス・ドジャース戦で4勝目を記録したが、これがブレーブスでの最後の登板となった[15]。 ツインズ時代2017年7月24日にワスカル・イノアとのトレードで、アンソニー・レッカー、金銭10万ドルと共にミネソタ・ツインズへ移籍した[16][2]。7月28日のオークランド・アスレチックス戦に移籍後初先発登板し、6.2回3失点で勝利投手となったが、これが結局ツインズでの唯一の登板となった[15]。 ヤンキース時代2017年7月30日にディートリック・エンス、ザック・リッテルとのトレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[17]。8月4日のクリーブランド・インディアンス戦で移籍後初先発登板を果たした。3試合連続で異なる球団で先発登板したのは1891年以来128年ぶりのことだった[15]。移籍後は8試合に先発したが、0勝3敗、防御率4.82に終わった。オフの11月2日にFAとなった[18]。 ブルージェイズ時代2018年2月15日にトロント・ブルージェイズと1年800万ドル(2019年は1000万ドルの球団側オプション、バイアウトは200万ドル、出来高は最大200万ドル)で契約を結んだ[19]。迎えたシーズンは25試合(先発13試合)に投げたが、3勝6敗、防御率5.93と振るわず、8月25日にDFAとなり[20]、29日に自由契約となった[2]。 カブス時代2018年8月31日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結び、傘下のAAA級アイオワ・カブスへ配属された[21]。9月4日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[22]。移籍後は8試合に投げ、防御率4.70であった。オフの10月29日にFAとなった[2]。 投球スタイルオーバースローから、最速95mph(約153km/h)[24]・平均90mph(約145km/h)のシンカーとフォーシームの速球系を中心に、決め球である平均82mph(約132km/h)のチェンジアップと、平均84mph(約135km/h)のスライダー、その他に平均74mph(約119km/h)のカーブ、平均88mph(約142km/h)のカッターなどを使用する。GB%がメジャー通算57%と高く、多彩な球種でゴロを打たせて取るピッチングスタイル[25]。 通算成績は、奪三振率7.33、与四球率2.93、FIP3.77。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
表彰
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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