ネーデルラント連合王国
Verenigd Koninkrijk der Nederlanden
国の標語: Je maintiendrai我守り続けん 国歌 : Wien Neêrlands bloed ネーデルラント連合王国の位置(1815年) ルクセンブルク大公国
ネーデルラント連合王国 (ネーデルラントれんごうおうこく、蘭 : Verenigd Koninkrijk der Nederlanden 、仏 : Royaume-Uni des Pays-Bas 、独 : Vereinigtes Königreich der Niederlande 、英 : United Kingdom of the Netherlands )は、ナポレオン戦争 中にフランス帝国 領となっていたネーデルラント に、1815年 のウィーン会議 によって成立した国家である。正式な国名はネーデルラント王国 (蘭 : Koninkrijk der Nederlanden 、仏 : Royaume des Pays-Bas 、独 : Königreich der Niederlande )である。
その領域は現在のオランダ とベルギー とルクセンブルク に相当し、フランス革命戦争 以前のネーデルラント連邦共和国 と南ネーデルラント 、およびリエージュ司教領 から作られた。この新しい国の国王には、共和国の総督 を代々務めてきたオラニエ=ナッサウ家 の当主が就いた。
概要
最初の設立の意図は、フランス がこの方面に野望を持った際に対抗できる国を、その北方に作ることであった。連合王国は、1830年 のベルギー独立革命 の結果、南部がベルギー王国 として独立が承認されるまで続いた。ベルギーの独立は1839年 のロンドン条約 まで認められなかったが、独立革命後は北部の諸州のみをネーデルラント王国と呼ぶようになった。ルクセンブルク大公国 は、1890年のウィレム3世 の死までオラニエ=ナッサウ家による統治が続いた。ルクセンブルク大公 位は女子の相続に関して規定していなかったことからナッサウ=ヴァイルブルク家 に継承され、同君連合 を解消して完全に独立した。これは、1783年のナッサウ家 の協定に基づいたものである。
州
オランダ王国とルクセンブルク大公国の新しい地図、1815 年
ネーデルラント連合王国は、以下の17の州およびルクセンブルク大公国から構成された。現在のオランダとベルギーの州は、これらの州をほぼそのまま継承、あるいは分割したものである[ 注釈 3] 。
現オランダ領
現ベルギー領
現オランダとベルギーで分割
現ルクセンブルクとベルギーで分割
ルクセンブルク大公国 → ベルギー独立時に西部をリュクサンブール州 としてベルギーに割譲、残余の領域が大公国として存続、1890年に完全独立
ネーデルラント、ベルギー、ルクセンブルク、リンブルク(1839年) ネーデルラント連合王国(1830年まで) 1 と2 :ネーデルラント王国 (1830年以降) 2 :リンブルフ公国 (1839年ワールス・ルクセンブルクの代償として1839年以降ドイツ連邦 に) 3 と4 :ベルギー王国 (1830年以降) 4 と5 :ルクセンブルク大公国 (1830年までの国境) 4 リュクサンブール州 (ワールス・ルクセンブルク。1839年にベルギーに割譲) 5 :ルクセンブルク大公国 (1839年以降のドイツ・ルクセンブルク国境) 青の線は、ドイツ連邦 との国境
脚注
注釈
^ フランス語が公用語とされたのは1823年以降(ワロン地方のみ)[要出典 ] 。
^ 首都は公式には定められなかったが、この2都市で交互に議会を開催するとされた[要出典 ] 。
^ 20世紀のゾイデル海開発 で誕生したオランダのフレヴォラント州 、ドイツ帝国 領あるいは中立地帯 からベルギーのリエージュ州に編入された現ドイツ語共同体 の地域を除く[要出典 ] 。
参考文献
この節の
加筆 が望まれています。
(2016年3月 )
関連項目