ドラゴネーラ島 (カタルーニャ語 : Sa Dragonera , カタルーニャ語発音: [sə ðɾəɣoˈneɾə] ) は、地中海 のバレアレス諸島 にある無人島。マヨルカ島 西岸からすぐの場所にある。スペイン ・バレアレス諸島州 アンドラッチ に属する。
地理
アンドラッチのサント・エルム集落から見たドラゴネーラ島(奥の大きなほうの島)
地質学的にはイベリア半島 南東部から続くベティコ山系 の一部が海上に露出した地形である。ベティコ山系はアンダルシア州 マラガ県 からバレンシア州 アリカンテ県 のナウ岬 (英語版 ) を経て地中海 に潜り、イビサ島 で再び海上に現れている。再び海面下に潜り、ドラゴネーラ島やマヨルカ島 のトラムンターナ山脈 として海上に現れている。ドラゴネーラ島の長さは約3,200メートル、最大幅は約500メートルである。標高360メートルのポピア峰が最高峰である。
ドラゴン に似ているとされるシルエットが名称の由来である[ 1] 。島内には多くのリルフォードカナヘビ (英語版 ) が生息している。リャドー海岸には小規模な自然港がある。自然公園 (英語版 ) に指定されている[ 2] 。自然公園の総面積は908ヘクタールであり、うち陸上は274ヘクタールである[ 3] 。マヨルカ島とは約800メートルの海峡で分離されている[ 3] 。
歴史
リャドー海岸と最高峰のポピア峰
アス・リャドー地区には古代ローマ 時代のネクロポリス (墓地)があるものの、その他にはこの島に恒久的な集落が存在した痕跡はみあたらない。
1581年にはポピア塔が建設され、1585年にはリャベイグ塔が建設された[ 4] 。この地域で数多く活動していたバルバリア海賊 を監視するために、18世紀にはドラゴネーラ島に2つの防御用物見櫓が建設された。1811年にはビリャロンガ家が所有者となった[ 4] 。1850年には物見櫓が解体され、ポピア灯台が建設された[ 4] 。19世紀後半にマヨルカ島に住んだオーストリア大公ルートヴィヒ・サルヴァドール (英語版 ) は、著書『バレアレス諸島』(ドイツ語 : Die Balearen )の中でドラゴネーラ島に言及している[ 4] 。ポピア灯台は島内の低地に建っていたが、この場所にはしばしば霧が発生した。このため、1910年には島の北側でトラムンターナ灯台が、南西側でリェベイグ灯台が稼働を開始した[ 4] 。
1934年にはジョアン・マルク・オルディナスがドラゴネーラ島を購入したが、1939年には再びビリャロンガ家が所有者となった[ 4] 。1941年、フアン・フレシャスがドラゴネーラ島を購入し、島内のアス・リャドー地区にて農業活動を始めた。20世紀中頃にはしばしば、非合法活動のために密輸業者によってドラゴネーラ島が使用された。1960年から1975年の間に灯台が自動化され、唯一残っていた灯台守 とその家族もドラゴネーラ島を離れた。
1974年、パメサ社(Pamesa)が観光リゾートを開発するためにドラゴネーラ島を購入した[ 4] 。当初は人口1,200人-3,600人分の邸宅建設や600隻分のマリーナの建設などが行われる予定だったが、生態学者らによる激しい開発反対運動後の1984年、全国管区裁判所 (英語版 ) はこの無人島でのあらゆる建設活動を禁じた[ 4] 。
アガサ・クリスティ 原作でガイ・ハミルトン が監督したイギリス映画『地中海殺人事件 』(1982年)はドラゴネーラ島で撮影された。アドリア海 にあるティラニア島(架空の島)として登場している。1987年、マヨルカ島評議会はドラゴネーラ島を購入した[ 2] 。1995年1月26日、バレアレス諸島州 政府は近くのパンタレウ島 (英語版 ) やメディアーナ島(いずれも無人島)とともに、ドラゴネーラ島を自然公園 (英語版 ) に指定した[ 2] 。
観光
リャドー海岸から上陸する観光客
行政的にはバレアレス諸島州 アンドラッチ に属している。自然港がある南岸のアス・リャドー地区から、東端のトラムンターナ岬、北岸に近いポピア峰、西端のリャベイグ海岸、ナ・ミランダまで、4コースの砂利道が整備されている[ 5] 。マヨルカ島のアンドラッチにあるサント・エルム集落、カルビア にあるサンタ・ポンサ集落とパゲーラ集落の各港から、2社が毎日定期船を運航している[ 6] 。
ギャラリー
脚注
外部リンク
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