トロイ・ポラマルTroy Polamalu |
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2007年のポラマル |
基本情報 |
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ポジション |
セイフティ |
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生年月日 |
(1981-04-19) 1981年4月19日(43歳) |
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出身地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ガーデングローブ |
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身長: |
5' 10" =約177.8cm |
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体重: |
207 lb =約93.9kg |
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経歴 |
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大学 |
南カリフォルニア大学 |
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NFLドラフト |
2003年 / 1巡目全体16位 |
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初出場年 |
2003年 |
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初出場チーム |
ピッツバーグ・スティーラーズ |
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所属歴 |
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受賞歴・記録
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スーパーボウル制覇(2回) |
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第40回、第43回 |
オールプロ選出(5回) |
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2004, 2005, 2008, 2010, 2011 |
プロボウル選出(8回) |
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2004, 2005, 2006, 2007, 2008, 2010, 2011, 2013 |
その他受賞・記録 |
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NFL 通算成績 |
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タックル |
640回 |
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QBサック |
10.0回 |
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インターセプト |
30回 |
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Player stats at NFL.com |
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Player stats at PFR |
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トロイ・ポラマル(Troy Aumua Polamalu , 1981年4月19日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデングローブ出身の元アメリカンフットボール選手。NFL選手としてのキャリアを一貫してNFLピッツバーグ・スティーラーズで過ごした。現役時代のポジションはストロングセイフティ(SS)。プロボウル選出8回の実績を持つリーグを代表する守備選手であった。サモア系アメリカ人。
2020年、プロフットボール殿堂入りした。
経歴
プロ入りまで
高校時代はアメリカンフットボールだけではなく野球、バスケットボールでも活躍し、野球では中堅手として西海岸全体の優秀選手であった[1]。
カレッジフットボールの名門南カリフォルニア大学(USC)にフットボールの奨学生として進学。USCではカーソン・パーマー(シンシナティ・ベンガルズ)、マット・キャセル(ニューイングランド・ペイトリオッツ)とルームメイトだった[1]。1年次は控え選手としてセイフティやラインバッカーとして8試合に出場し2サック、2ファンブルフォース、パントブロック1回の成績を残した[2]。2年次からは先発ストロングセイフティとなり、チーム2位の83タックル、チームトップタイの2インターセプトを記録し、オールパシフィック・テン・カンファレンスに選出された[3][2]。3年次にはチームトップの118タックル(そのうち13回はロスタックル、サック1回を含む)、6パスブロック、3インターセプト、2タッチダウン、3パントブロック、2ファンブルフォースの成績をあげた[3]。彼のあげたタックル数は大学のセイフティとしては1986年にティム・マクドナルドがあげた140以来の数字であった[3][2]。この年チームはラスベガスボウルに出場し、ユタ大学との試合で彼は自己ベストの20タックル(12ソロタックル)をあげた。チームは6-10で敗れたが彼はMVPに選ばれた[3]。
大学ではマーク・キャリアー以来となるオールアメリカンファーストチームのセイフティとなった[3][2]。またプロフットボール・ニュース・ウィークリー、NFLドラフトレポートでファーストチームに、AP通信のセカンドチーム、フットボール・ウィークリーのサードチームにも選ばれた[3]。
2002年も1試合を除き先発出場し、68タックル(9ロスタックル)、4パスブロック、1インターセプトを記録したが足首の負傷でアイオワ大学とのオレンジボウルは2プレーだけ出場し試合の大部分はサイドラインで過ごした。チームはディフェンスが相手を17点に抑え38-17で勝利した[3]。この年もAP通信、ウォルター・キャンプ財団、ESPNのファーストチーム、スポーティング・ニュースのセカンドチームに選ばれた。大学からオールアメリカンに2度選ばれたのはトニー・ボセリ以来であった[2]。この年もPac10のファーストチームに選ばれ全米(カレッジフットボール)ベストのディフェンスバックに与えられるジム・ソープ賞のファイナリスト[2]にもオハイオ州立大学のマイク・ドス、カンザス州立大学のテレンス・ニューマンと共に名前が残った[3]。4年間で36試合に先発出場、278タックル(29ロス多タックル)、6インターセプト、13パスブロック、パントブロック4回が彼の残した成績であった[3]。
NFLドラフト
2003年のNFLドラフトでピッツバーグ・スティーラーズから1巡目(全体16位)指名を受けて5年間で827万5000ドルで契約し入団した。スティーラーズは当初、タンパベイ・バッカニアーズに所属する第37回スーパーボウルMVPとなったデクスター・ジャクソンを獲得しようとしていたがアリゾナ・カージナルスに奪われた結果、ポラマルの獲得が決まった[4]。彼はドラフト候補のセイフティのトップ5と見られており、ロドニー・ハリソンを失ったサンディエゴ・チャージャーズ(15番目に指名権利があった。)による指名も考えられたがチャージャーズはトレードで指名権をフィラデルフィア・イーグルスに渡しスティーラーズが指名権を獲得した。スティーラーズは1巡目27番目、3巡目92番目、6巡目200番目のドラフト指名権と引き換えにカンザスシティ・チーフスの持っていた全体16番目の指名権を得ていた[2]。スティーラーズからこの時トレードされた指名権でラリー・ジョンソン、ジュリアン・バトル、ブルックス・ボリンジャー(この指名権はニューヨーク・ジェッツにトレードされていた。)が指名された。スティーラーズがドラフト1巡目でディフェンスバックを指名したのは初のことであった[5]。
大学最後の試合となるアイオワ大学とのオレンジボウルの試合開始前のウォームアップでハムストリングを痛めてほとんど出場できなかった彼はシニアボウルとNFLコンバインに参加することができなかった[6]。彼はUSCのプロデイにパフォーマンスを見せてドラフトでの指名を得た。
ピッツバーグ・スティーラーズ
1年目の2003年シーズンは主にスペシャルチームでの出場だった。彼はスペシャルチーム中最多のタックルをあげた[2]。2年目の2004年シーズンから先発メンバーの座を確保し、プロボウルに初選出された(同年から5年連続で選出中)。翌2006年シーズンにはセイフティとしての1試合3サックのNFLタイ記録を達成し、大学時代のチームメートであるローファ・タトゥプのいるシアトル・シーホークスを破りスーパーボウル制覇を経験した。この年にはAP通信が選ぶオールプロのセカンドチームに選出された。2006年にはAP通信が選ぶオールプロファーストチームに選ばれ、翌年開催されたプロボウルでは初めて先発出場を果たし同地区のライバルであるボルチモア・レイブンズのエド・リードとコンビを組んだ。
2007年7月23日、トレーニングキャンプ開幕前に2011年まで当時NFLのディフェンスバックとしてトップの3019万ドルで契約を結んだ[7]。ESPNのインタビューに対して彼は自分は何度も移籍するような選手にはなりたくないと明かした。このシーズンは膝やわき腹の故障に苦しみ、11試合の出場、QBサック、インターセプト共に0という結果に終わったが4年連続でプロボウルに選出された。シーズン終了後には、膝の手術を受けた。ポラマルは故障の原因を前年の無理なウェイトトレーニングだと考え、オフにチームから離れてUSC時代のトレーナーと専属契約を結び、ロサンゼルスで独自のトレーニングを行った[8]。このシーズン中にスティーラーズ75周年記念で選ばれたオールタイムチームに彼も選出されている[2]。
2008年シーズンはハムストリング痛でトレーニングキャンプに出遅れたが[9]、開幕には万全の状態で間に合い、3年ぶりに全試合出場を果たした。また、自己最多の7インターセプトをマークした[8]。ボルチモア・レイブンズとのAFCチャンピオンシップゲームの第4Qに相手QBジョー・フラッコからインターセプトを奪い、そのまま40ヤードのリターンTDを決めて試合を決定付けた。ラリー・フィッツジェラルド、カート・ワーナーとの対決が注目されたスーパーボウルではアシストタックル2回のみと目立たなかったが、スティーラーズは3年ぶりにスーパーボウル制覇を果たした。
2009年シーズンはテネシー・タイタンズとの開幕戦で左ひざを負傷し退場した。検査の結果内側側副靱帯を故障しており戦線を離脱した[10]。診断の結果、手術の必要はなく3週間から6週間後に復帰できる見通しとなった[11]。
2010年シーズンには第13週のボルチモア・レイブンズとの試合では第4Qにジョー・フラッコをサックしファンブルを誘発[12]、第14週のシンシナティ・ベンガルズ戦では45ヤードのインターセプトリターンタッチダウンをあげる[13]などの活躍により2週連続でAFC最優秀守備選手に選ばれた。AFCの守備選手で2週連続選出されたのは1990年のブルース・スミス(バッファロー・ビルズ)以来のこと[14]。この年アキレス腱の故障で2試合に欠場したものの63タックル、7インターセプト、1ファンブルフォースの活躍でシーズン最優秀守備選手に選出された[15]。
2011年9月10日、スティーラーズと4年間最大3650万ドル(1050万ドルの保障)、2014年まで契約を延長した[16]。9月11日のボルチモア・レイブンズとの開幕戦でのリッキー・ウィリアムズへの危険なタックルにより、NFLから1万5000ドルの罰金を科された[17]。
2012年7月、『ダン・パトリック・ショー』で過去に8回か9回起こした脳震盪について、実際はそれ以上起こしていたが、チームスタッフにその事実を隠したことがあると告白した[18]。
2013年、第12週のクリーブランド・ブラウンズ戦で4タックル、1サック、2ファンブルフォース、1ファンブルリカバーをあげて、週間MVPに選ばれた[19]。プロボウルに選出された[20]。
2015年4月10日、スティーラーズはポラマルが現役を引退することを正式に公表した[21]。
現役時代の選手としての特徴
ボールを保持した選手を豪快なハードヒットで倒す激しいプレイが持ち味のリーグを代表するセイフティ[22]。縦横無尽な動きで相手QBを悩ませ、ランディフェンスでもボールキャリアーの行く所に必ずポラマルの姿があると評された[8]。
ディフェンスバックでありながらラインバッカー(LB)に近いポジションでこそ力を発揮する選手であった。特に、ランストップでは傑出した能力を誇り、「鉄のカーテン」と呼ばれるリーグ屈指のスティーラーズ守備陣の要であった。また、試合終盤に勝負を決めるINTを奪うなど、ここぞという場面で勝負強さを発揮した[23]。
人物
ヘルメットからはみ出すほど長く伸びたドレッドヘアーがトレードマーク。スティーラーズの選手ではエースQBベン・ロスリスバーガーやWRハインズ・ウォードをも凌ぐほどの絶大な人気を誇る[24]。CBSのプレーオフ・プレゲームショーという番組の中で彼が最後に散髪をしたのは2000年であると答えている[25]。
敬虔なクリスチャンであり、アウェーでの試合の前には度々教会を訪れている。巡礼への旅で、かつてギリシャやトルコを訪れたこともある。普段は神を信じる温厚な人柄のポラマルであるが、試合では普段とは違う強く激しい感情を持つように心がけているという[22]。
彼は妻(USC時代のチームメートで元NFL選手のアレックス・ホームズ(英語版)の妹)の影響で正教会のクリスチャンであるがプレー後に十字を切るポーズではその教えどおりに右から左へ十字を切っている。
彼と家族はフットボールシーズンはピッツバーグで、オフシーズンはサンディエゴで過ごしている[26]。
フィールド上での激しいプレーとは打って変わって普段は温厚な性格であり、マスコミのインタビューに対してもあまり姿を現さず、試合後にチームメイトと食事に出かけるよりも家族との時間を優先させるタイプである。趣味はガーデニング、家具作り、ピアノを弾くこと[1]。
第43回スーパーボウル開催中、ミーン・ジョー・グリーンの有名なコカコーラのCMのリメイク版として彼が起用された[27][28]。
マッデンNFL10 のカバーにアリゾナ・カージナルスのラリー・フィッツジェラルドと共に起用された[29][30]。
ミネソタ・バイキングスのRBコーチのケネディ・ポラマル(英語版)は彼のおじにあたり[2]、別のおじはペンシルベニア州立大学でノーズタックルとして1984年から1988年までプレーしていた[31]。また、プロ野球選手(捕手、外野手)で2023年にメジャーデビューしたブレイク・セイボルは親戚に当たる[32]。
脚注
- ^ a b c 生島淳,2008/12/10,寡黙なボンバヘッド、スティーラーズSポラマル,NFL JAPAN.COM(2009年9月12日閲覧)
- ^ a b c d e f g h i j Player Highlights steelers.com 2009年9月14日閲覧
- ^ a b c d e f g h i Troy Polamalu USC 2009年9月12日閲覧
- ^ Steelers Report: 11/6/03 post-gazette.com 2003年11月6日
- ^ Steelers trade for higher first-round pick, select Southern California defensive back post-gazette.com 2003年4月27日
- ^ Kirwan's NFL Draft Analysis By Position: Safeties Archived 2007年9月29日, at the Wayback Machine. グリーンベイ・パッカーズHP 2003年4月17日
- ^ スティーラーズ守備Sポラマルと 4年契約延長 TSPスポーツ 2007年7月23日
- ^ a b c 生沢浩 「ポラマルと終わらない鉄のカーテンコール」 『月刊タッチダウンPRO』2009年3月号、タッチダウン株式会社発行、2009年、雑誌15979-03、2-5頁。
- ^ Steelers Training Camp: Misery remains Polamalu's company post-gazette.com 2008年7月29日
- ^ Sポラマルが左ひざ負傷、1カ月半の戦線離脱へ,NFL JAPAN.COM(2009/09/11),2009年9月12日閲覧
- ^ 左ひざ負傷のSポラマル、「手術の必要なし」 ESPN 2009年9月15日
- ^ “スティーラーズ、宿敵レイブンズ撃破で地区首位に浮上”. NFL JAPAN (2010年12月6日). 2011年2月4日閲覧。
- ^ “スティーラーズ守備陣、2INTリターンTDで勝利演出”. NFL JAPAN (2010年12月13日). 2011年2月4日閲覧。
- ^ “ポラマルが2週連続受賞、週間MVP守備部門”. NFL JAPAN (2010年12月16日). 2010年12月16日閲覧。
- ^ “Sポラマル、最優秀守備プレイヤーに選出”. NFL JAPAN (2011年2月1日). 2011年2月4日閲覧。
- ^ “スティーラーズ、ポラマルと2014年まで契約延長”. NFL JAPAN (2011年9月11日). 2011年9月16日閲覧。
- ^ “スティーラーズSポラマル、危険タックルで罰金”. NFL JAPAN (2011年9月16日). 2011年9月16日閲覧。
- ^ “ポラマル、「脳振とうを隠していた」と告白”. NFL JAPAN (2012年7月19日). 2013年12月30日閲覧。
- ^ “SポラマルとLBデビッドが週間MVPに -守備部門-”. NFL JAPAN (2013年11月28日). 2013年12月30日閲覧。
- ^ “プロボウル選出メンバー発表 -ディフェンス-”. NFL JAPAN (2013年12月28日). 2013年12月30日閲覧。
- ^ “NFL=ポラマルが現役引退、スティーラーズの名セーフティ”. REUTERS (2015年4月11日). 2015年4月16日閲覧。
- ^ a b 神への祈りを欠かさないSポラマル,NFL JAPAN.COM(2009年2月1日付),2009年9月12日閲覧
- ^ リードvs.ポラマルの評価は? 現役Sトップ5,NFL JAPAN.COM(2009/07/04),2009年9月12日閲覧
- ^ 【現地レポート】スーパーボウル前日、タンパの街は大騒ぎ!,NFL JAPAN.COM(2009年2月1日付),2009年9月12日閲覧
- ^ Orsborn, Tom (2006-02-02). "Samoan stars play big roles in big game". San Antonio Express Metro Edition
- ^ Dan Jones (2009年7月4日). “Troy Polamalu still feels at home”. The News-Review. 2009年9月12日閲覧。
- ^ Sneak Preview Of Steelers Troy Polamalu Coke Zero Super Bowl Commercial 2009年9月15日閲覧
- ^ 今年のスーパーボウルは常連の広告主がCM放映を断念 MarketZineニュース 2009年1月30日
- ^ Polamalu, Fitzgerald share game's cover ESPN 2009年4月24日
- ^ Fitzgerald & Polamalu On Madden NFL 2010 Cover Archived 2009年6月15日, at the Wayback Machine. GamerCenterOnline 2009年04月27日
- ^ Football Opens Against Penn State In Kickoff Classic XVIII USC 2000年8月21日
- ^ Maria Guardado (2023年3月1日). “How Samoan roots connect these two new Giants” (英語). MLB.com. 2023年11月12日閲覧。
関連項目
外部リンク
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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