チャウルでの最初のポルトガル人の入植は1521年に行われ、クンダリカ川の南岸に最初の砦が建設された。1531年10月、ポルトガル人はサンタマリア・ド・カステッロという名前の新しい要塞を建設した。この要塞には、120人分の住居と教会と住居があった。要塞の周りに町が発展したが、1558年に結ばれた条約により町の要塞化が禁止された。町はアフマドナガルのニザーム・シャーヒーによる1570年-1571年の包囲戦で破壊されたが、包囲を解除する条約が締結され、町は再建され、壁と要塞に守られるようになった。町の反対側の川岸にある岩だらけの岬、モロ・デ・チャウルに砦(コーライ砦。en:Fortaleza do Morro de Chaul)が建てられた。町はさらに何回かの攻撃に耐え、1613年には城壁が拡張された。