ダサリ・ナーラーヤナ・ラーオ(Dasari Narayana Rao、1942年5月4日[1] - 2017年5月30日)は、インドのテルグ語映画で活動した映画監督、映画プロデューサー、脚本家、作詞家、俳優。後半生は政治家としても活動し、第1次マンモハン・シン内閣(英語版)で閣外大臣を務めた。生涯で150本以上の長編映画の製作に携わり、ギネス世界記録とリムカ公式記録(英語版)に「最も多くの映画を製作した監督」として記録されている[2][3]。映画製作者として国家映画賞、ナンディ賞、フィルムフェア賞 南インド映画部門を受賞しており[4][5]、俳優としてテルグ語映画、タミル語映画、カンナダ語映画に出演している[6]。
生涯
生い立ち
イギリス領インド帝国マドラス管区パラコッル(英語版)の上層中産階級の家庭に第3子として生まれる[7]。父は弟と共同でタバコ屋を経営する富裕層だったが、タバコの保管庫を放火されたことで経営が悪化し、所有していた農場を売却するなど家庭は困窮した[7]。ダサリは父の方針で進学したが、6年生の時に学費の支払いが困難になり中退して大工の仕事をするようになったものの[7]、成績優秀者だった彼は担任教師の支援を受けながら教育を受け続けることができたという[7]。大学卒業後は演劇活動に参加した[7]。
キャリア
映画製作者
1973年に『Thatha-Manavadu』で監督デビューする[8]。主にテルグ語映画を製作したが、『Swarg Narak』『Jyoti Bane Jwala』『Pyaasa Sawan』『Prem Tapasya』『Aaj Ka M.L.A. Ram Avtar』『Asha Jyoti』『Yaadgaar』『Zakhmi Sher』『Sarfarosh』『Wafadaar』などのヒンディー語映画も製作している[2][9][10]。『Tandra Paparayudu』『Surigaadu』はインド国際映画祭のパノラマ部門で上映され[11][12]、1998年に製作した『Kante Koothurne Kanu』は国家映画賞 特別賞(英語版)を受賞し、1983年に製作した『Meghasandesam』はインド国際映画祭、タシュケント国際映画祭、モスクワ国際映画祭で上映され、国家映画賞 テルグ語長編映画賞(英語版)を受賞している[13]。晩年はJ・ジャヤラリターの伝記映画の製作を計画していたが、実現せずに終わっている[14]。
雑誌経営者
1984年、ラーモージ・ラーウ(英語版)が所有する『イーナードゥ(英語版)』に対抗して、日刊紙『ウダヤム(テルグ語版)』を創刊する[15]。『ウダヤム』は創刊から1か月後には発行部数22万4000部を記録して、アーンドラ・プラデーシュ州で第2位のシェアを持つ雑誌に急成長した[16]。1991年にマグンタ・スッバラーム・レッディ(英語版)に経営権を譲渡し、その後に廃刊となったが、ダサリは復刊を模索していたという[14]。
政治家
ダサリはN・T・ラーマ・ラオ率いるテルグ・デサム党に批判的な立場を取り、ラジーヴ・ガンディー、ソニア・ガンディー、ナラシンハ・ラーオと親交を持つなどインド国民会議に近い立場を取っていた[17]。1989年インド総選挙(英語版)の際には出身カーストの権利擁護を訴えるカプナードゥ運動(英語版)を展開し、1996年インド総選挙の際にはテルグ・デサム党への対抗勢力として「テルグ・タリ党」の結成を目指していたが、反テルグ・デサム党票が分散することを恐れたインド国民会議の説得を受けて結成を断念したという[17][18]。その後もインド国民会議への支持を訴え続け、同党が2004年インド総選挙に勝利したことで、同年7月に第1次マンモハン・シン内閣(英語版)の石炭大臣(英語版)(閣外大臣)・鉱業大臣(英語版)(閣外大臣)に就任した[18]。2006年2月に鉱業大臣を退任して石炭大臣の職務に専念していたが、2007年11月に石炭採掘の競争入札について「競争入札によって石炭価格が上昇することはありえない」と発言し、インド政府の公式見解とは正反対の発言だったことで物議をかもし、2008年4月の内閣改造で石炭大臣を退任することになった[19]。また、2000年にインド上院議員に選出され[19]、2012年まで務めた[18]。
議員退任後の2013年7月、ダサリは石炭大臣在任中にナヴィーン・ジンダル(英語版)に石炭採掘区域の割り当てに便宜を図る見返りとして2250万ルピーの賄賂を受け取ったとして、中央捜査局(英語版)から告発された[20]。
死去
2017年5月30日、ダサリ・ナーラーヤナ・ラーオは75歳で死去した[21]。葬儀はテランガーナ州政府(英語版)主導で執り行われ、数千人のファンや映画関係者が参列し、ランガ・レッディ県(英語版)ムイーナーバードで火葬された[22]。また、州内の全劇場が映画の上映を停止して、彼への弔意を表した[22]。
フィルモグラフィー
監督
- 映画
- テレビシリーズ
- Vishwamitra (1989)
- Thoorpu Padamara (2007-2010)
- Abhishekam (2008-2022)
- Shivaranjani (2010-2011)
- Kumkuma Rekha (2010-2013)
俳優
脚本
- Mohammed-bin-Tughluq (1972)
- Hantakulu Devantakulu (1972)
- Matrimoorti (1972)
- Panjaramlo Pasipapa (1973)
- Kudi Edama Ayite (1979)
- Bangaaru Koduku (1982)
- Nampally Nagu (1986)
- Rotation Chakravarti (1987)
- Aadivaram Aadavallaku Selavu (2007)
- Maisamma IPS (2007)
- Adi Vishnu (2008)
- Mestri (2009)
- Bangaru Babu (2009)
製作
- 映画
- テレビシリーズ
- Abhishekam (ETV)
- Gokulamlo Sita (ETV)
振付
アソシエイト・ディレクター
- Oke Kutumbam (1970)
- Vintha Samsaram (1971)
受賞歴
出典
外部リンク
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1972-1980年 | |
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1981-2000年 | |
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2001-2019年 | |
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2020-2040年 | |
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1981-2000年 |
- バーラティラージャ (1981)
- U・ヴィシュワシュワール・ラオ (1982)
- ジャンディヤーラ (1983)
- K・ラーガヴェンドラ・ラーウ (1984)
- シンギータム・スリニヴァサ・ラオ (1985)
- K・ヴィシュワナート (1986)
- K・ヴィシュワナート (1987)
- スレーシュ・クリシュナ (1988)
- ラーム・ゴーパール・ヴァルマ (1989)
- クランティ・クマール (1990)
- ラーム・ゴーパール・ヴァルマ (1991)
- U・ウママヘスワラ・ラオ (1992)
- K・ラーガヴェンドラ・ラーウ (1993)
- シンギータム・スリニヴァサ・ラオ (1994)
- K・ラーガヴェンドラ・ラーウ (1995)
- ガンガラージュ・ガナム (1996)
- K・ラーガヴェンドラ・ラーウ (1997)
- ダサリ・ナーラーヤナ・ラーオ (1998)
- ラーム・ゴーパール・ヴァルマ (1999)
- S・V・クリシュナ・レッディ (2000)
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2001-2016年 |
- テジャ (2001)
- クリシュナ・ヴァムシ (2002)
- グナシェカール (2003)
- セカール・カムラ (2004)
- クリシュナ・ヴァムシ (2005)
- セカール・カムラ (2006)
- クリシュナ・ヴァムシ (2007)
- クリシュ (2008)
- S・S・ラージャマウリ (2009)
- スニール・クマール・レッディ (2010)
- N・シャンカル (2011)
- S・S・ラージャマウリ (2012)
- ダヤ・コーダヴァガンティ (2013)
- ボーヤパーティ・シュリーヌ (2014)
- S・S・ラージャマウリ (2015)
- サティシュ・ヴェガスナ (2016)
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