当時のパイオニアたちにとって、気球による飛行は危険を伴うものであった。ブランシャール夫人も高空の低温に晒されたことや、沼地に不時着して溺れかけたことや、何度か失神したことがある。1819年、パリのティヴォリ公園 (Jardin de Tivoli) における公開飛行中、気球から打ち出した花火が気嚢の水素ガスに引火。気球は建物の屋根に墜落して彼女は死亡した。航空事故で死んだ最初の女性となった。
通称ブランシャール夫人 (Madame Blanchard)。マリー・マドレーヌ=ソフィー・ブランシャール (Marie Madeleine-Sophie Blanchard)、あるいは旧姓でマリー・ソフィー・アルマン (Marie Sophie Armant) などの名で言及されることもある。
ソフィー・ブランシャールはナポレオンのお気に入りとなり、1804年にはアンドレ=ジャック・ガルヌランの後任に指名された。ガルヌランは、パリで行なわれたナポレオンの戴冠式で無人気球の操縦をしくじったために失脚したのである[7](なおその時の気球はローマまで飛んで行ってブラッチャーノ湖に墜落し、ナポレオンの浪費に関するジョークの格好の題材となった)[8]。ナポレオンからソフィーに与えられた肩書きが何であったかははっきりしない。皇帝が彼女を「公式な祭日のための飛行士」 ("Aéronaute des Fêtes Officielles") に任命し、大きな行事の際に気球のショーを企画する職務を与えたことは確かである[1]が、それだけではなく「気球大臣」に取り上げたようである。この役職上、ブランシャール夫人は「気球によるイギリス侵攻」のプランを提出したことが記録されている[9]。
1810年6月24日、ナポレオンとマリア・ルイーザの結婚を祝い、近衛隊がパリのシャン・ド・マルス公園で祝賀会を開催した。ソフィーはここで気球を飛ばした。ナポレオン2世が誕生した際にもシャン・ド・マルスから飛び立ち、その旨を告げるパンフレットを空から撒いた[10]。1811年6月11日、ナポレオン2世の洗礼を祝ってサン・クルー城 (Château de Saint-Cloud) で開催された公式祝賀会では、気球からの打ち上げ花火を披露した[11]。1811年8月15日、ミラノで行なわれた"Féte de l’Emperor"(皇帝の祭日)でも同じ芸を見せた。1811年にはジョアシャン・ミュラ(ナポレオンの義弟にしてナポリ王)による閲兵式に同行し、悪天候の中をナポリのカンポ・ディ・マルテ (Campo di Marte) から飛んだ[6]。ルイ18世が王位に就き(→フランス復古王政)、1814年5月4日にパリ入りした時、その凱旋行進の一環としてポンヌフで気球を飛ばした。ルイ王はブランシャール夫人の芸に大層感じ入り、彼女を「復古王政の公式飛行士」と呼んだ[12](ちなみにルイはプロヴァンス伯時代には気球家ピラートル・ド・ロジェのパトロンであった)。
1819年7月6日、パリのティヴォリ公園 (Jardin de Tivoli) にて気球ショーを行なうべく上昇を始めた時、積み込んだ花火から気嚢に火が移り、ソフィー・ブランシャールは墜落死した。この日、彼女はいつにも増して神経質な様子だったと言われている。ある報告によると、籠に乗り込む際に « Allons, ce sera pour la dernière fois(行こう、これが最終回だ)» と洩らしていたという[17]。ブランシャール夫人にとってティヴォリ公園での興行はルーティン・ワークであり、パリにいる間は週に2回の飛行を見せていた[2]。彼女は花火を使うことの危険性を繰り返し警告されていたが、それを省みなかった。
プロヴァンス通り (Rue de Provence) の直上まで達した時、気嚢の水素ガスが爆発し、気球はある建物(一説によると15番地ないし16番地にあった建物で、ホテルであった)の屋根に墜落した。その直前までソフィーは生きていたと思われるが、気嚢と籠をつなぐ索具が燃え尽きたことにより(または爆発の衝撃で吹き飛ばされたことにより)彼女は気球の網に絡め取られて身動きが取れなくなった所、まず屋根に、続いて路面に叩きつけられた。
屋根にぶつかる瞬間、彼女が « À moi!(助けて!)» と叫んだとする資料もある[21]。群集はブランシャール夫人を救うべくその元へと駆け集まったが、彼女は首を骨折して即死していた(または、10分ほどしか保たなかった)。
ティヴォリ公園の所有者はソフィーの死を知ると、入場料は彼女の子供たちに寄付されると発表した。若干人の目撃者が門の前に立ち、道行くパリ市民に更なる寄付を募った[22]。これにより2400フランが集まったが、その後、ブランシャール夫妻には生きた子供が1人もいなかったことが判明したため、寄付金は記念碑の建立に使われることになった。記念碑は炎上する気球を象ったもので、彼女の墓標の上部に取り付けられた。墓標はペール・ラシェーズ墓地にあり、« victime de son art et de son intrépidité(自らの至芸と度胸に殉じた女性)» との墓碑銘が彫られている[1]。約1000フランの残金が出たため、ブランシャール夫人が通っていたルター派のビイェット教会 (Église des Billettes) に寄付された[4]。墜落死の時点では、裕福でこそ無かったが彼女は夫が残した負債を全て清算し終わっており、経済的に安定していた。ソフィー・ブランシャールは総計67回の飛行を気球により行なった。
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