ステージチャンプ(欧字名:Stage Champ、1990年5月17日 - 2020年2月7日)
は、日本の競走馬[1]。主な勝ち鞍に1994年の日経賞、1995年のステイヤーズステークス。
中央競馬で長距離戦の名脇役として活躍した。
母は重賞5勝のダイナアクトレス、半妹に札幌3歳ステークス、フェアリーステークスを勝ったプライムステージがいる。
経歴
デビュー前
ステージチャンプは、父がポストノーザンテーストの呼び声が高かったリアルシャダイ、母が1980年代にGI戦線で活躍し毎日王冠等を制したダイナアクトレスで、さらに初仔であった事もあって、良血馬としてデビュー前から注目されていた。
3歳~4歳
3歳11月、東京競馬場でデビュー。初勝利は3戦目、蛯名正義とのコンビで挑んだ中山競馬場でのダート1200mの未勝利戦だった。
明けて4歳になると、ステージチャンプは皐月賞トライアルの弥生賞で3着に入り、皐月賞の出走権を獲得。1番人気に推されたスプリングステークスでは6着となり、1勝馬の身で皐月賞に挑む事になった。
皐月賞では、最後の直線でガレオンに進路を妨害されてしまい、ナリタタイシンの7着[注 1]に敗れた。
皐月賞後、ステージチャンプはダービーの出走権を掛けて、中1週でダービー指定オープンの青葉賞[注 2]に出走。1着となり、ダービーの優先出走権を獲得した。だが、日本ダービーでは終始中団のまま、ウイニングチケットの9着に敗れた。
秋は京都新聞杯から復帰したが6着に終わる。なお、この時、鞍上を蛯名から南井克巳にスイッチしている。
京都新聞杯で凡走した事もあって、菊花賞では9番人気だったが、レースでは勝ったビワハヤヒデには5馬身差を付けられたものの、日本ダービー馬ウイニングチケットとの競り合いを制し、2着と好走した。
5歳
1994年、5歳になったステージチャンプは岡部幸雄の騎乗で金杯(東)、AJC杯、目黒記念と3戦連続で1番人気になるも、金杯は2着、AJC杯は3着、目黒記念は4着と善戦しても勝てなかった。
日経賞では4番人気だったが、1993年の春の天皇賞馬ライスシャワーとの叩き合いを制して、初重賞制覇を遂げた[注 3]。
|天皇賞(春)では、岡部がビワハヤヒデの主戦だったため、鞍上が南井に戻ったが、マチカネタンホイザと同着の5着に終わった。
その後、ステージチャンプは宝塚記念8着、毎日王冠10着、天皇賞(秋)13着、アルゼンチン共和国杯3着、ステイヤーズステークス3着と、5戦したが1つも勝てずに終わった。
なお、アルゼンチン共和国杯から鞍上は蛯名正義に戻っている。
6歳
6歳になったステージチャンプは前年と同じくローテーションを歩んだものの、金杯は6着、AJC杯は3着、目黒記念は8着と凡走する。しかし、日経賞2着を経て挑んだ天皇賞(春)では今までのステージチャンプからは考えられない強烈な追い込みを見せる。鞍上の蛯名は差し切ったと思い、ガッツポーズをしたが、結果はライスシャワーにハナ差[注 4]届かずの2着であった。
秋は京都大賞典から復帰したが6着、天皇賞(秋)は距離不適で13着に敗れるが、アルゼンチン共和国杯で2着になって復調し、年末のステイヤーズステークスで待望の重賞2勝目を挙げた。その後、有馬記念出走を目指していたが調教中に骨折し、休養に入った。
7歳~9歳
半年の休養ののち、ステージチャンプは宝塚記念の前哨戦として施行された芝2500mのオープン特別・エメラルドステークスで復帰した。レースでは61kgの酷量を背負いながら、阪神の坂を猛然と追い込んで2着に入り、健在ぶりをアピールした。しかし、宝塚記念直前に屈腱炎を発症し、再び長期休養を余儀なくされた。
およそ10ヶ月の休養を経て、8歳になったステージチャンプは天皇賞(春)で復帰した。天皇賞(春)では優勝したマヤノトップガン、2着サクラローレル、3着マーベラスサンデーに次ぐ4着と健闘した。しかし、宝塚記念を目指して調教していた最中に再び骨折し、3度目の長期休養に入った。
年が明けて9歳になったステージチャンプは1998年2月に復帰を期して、再び美浦に入厩したが、天皇賞を目指しての追い切り中に再び屈腱炎を発症。遂に引退した。現役時の活躍内容から淀の名助演男優と呼ばれた[2]。
競走成績
以下の内容はnetkeiba.comの情報[3]に基づく。
競走日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
距離(馬場) |
頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 |
タイム (上り3F) |
着差 |
騎手 |
斤量 [kg] |
1着馬(2着馬) |
馬体重 [kg]
|
1992.11.07
|
東京
|
3歳新馬
|
|
芝1600m(良)
|
10
|
8
|
10
|
002.60(2人)
|
06着
|
R1:37.8(36.9)
|
-1.2
|
0柴田政人
|
54
|
ダイイチリカー
|
458
|
0000.11.21
|
東京
|
3歳新馬
|
|
ダ1600m(不)
|
9
|
4
|
4
|
002.00(1人)
|
02着
|
R1:40.1(38.2)
|
-0.0
|
0柴田政人
|
54
|
ゴールドリュート
|
456
|
0000.12.06
|
中山
|
3歳未勝利
|
|
ダ1200m(良)
|
9
|
4
|
4
|
001.90(1人)
|
01着
|
R1:13.5(38.7)
|
-0.8
|
0蛯名正義
|
54
|
(スティールアロン)
|
454
|
1993.02.20
|
東京
|
カトレア賞
|
500万下
|
ダ1600m(良)
|
16
|
1
|
2
|
058.7(10人)
|
06着
|
R1:39.0(38.5)
|
-1.2
|
0蛯名正義
|
55
|
ホクトベガ
|
452
|
0000.03.07
|
中山
|
弥生賞
|
GII
|
芝2000m(良)
|
11
|
6
|
7
|
090.6(11人)
|
03着
|
R2:00.4(35.5)
|
-0.3
|
0蛯名正義
|
55
|
ウイニングチケット
|
450
|
0000.03.28
|
中山
|
スプリングS
|
GII
|
芝1800m(稍)
|
14
|
5
|
8
|
003.70(1人)
|
06着
|
R1:50.6(38.0)
|
-0.7
|
0蛯名正義
|
56
|
マルチマックス
|
446
|
0000.04.18
|
中山
|
皐月賞
|
GI
|
芝2000m(良)
|
18
|
7
|
13
|
033.00(6人)
|
07着
|
R2:00.9(35.7)
|
-0.7
|
0蛯名正義
|
57
|
ナリタタイシン
|
448
|
0000.05.01
|
東京
|
青葉賞
|
OP
|
芝2400m(良)
|
16
|
2
|
3
|
002.60(1人)
|
01着
|
R2:27.7(36.0)
|
-0.1
|
0蛯名正義
|
56
|
(ラリーキャップ)
|
448
|
0000.05.30
|
東京
|
東京優駿
|
GI
|
芝2400m(良)
|
18
|
6
|
12
|
022.60(7人)
|
09着
|
R2:27.6(38.3)
|
-2.1
|
0蛯名正義
|
57
|
ウイニングチケット
|
448
|
0000.10.17
|
京都
|
京都新聞杯
|
GII
|
芝2200m(良)
|
10
|
7
|
7
|
022.60(8人)
|
06着
|
R2:14.3(35.6)
|
-1.0
|
0南井克巳
|
57
|
ウイニングチケット
|
448
|
0000.11.07
|
京都
|
菊花賞
|
GI
|
芝3000m(良)
|
18
|
7
|
15
|
033.50(9人)
|
02着
|
R3:05.6(35.3)
|
-0.9
|
0南井克巳
|
57
|
ビワハヤヒデ
|
448
|
1994.01.05
|
中山
|
金杯(東)
|
GIII
|
芝2000m(良)
|
12
|
5
|
6
|
003.20(1人)
|
02着
|
R2:00.8(35.3)
|
-0.1
|
0岡部幸雄
|
56.5
|
ヒダカハヤト
|
462
|
0000.01.23
|
中山
|
AJCC
|
GII
|
芝2200m(良)
|
14
|
2
|
2
|
002.60(1人)
|
03着
|
R2:14.4(35.4)
|
-0.3
|
0岡部幸雄
|
56
|
マチカネタンホイザ
|
464
|
0000.02.20
|
東京
|
目黒記念
|
GII
|
芝2500m(良)
|
13
|
8
|
13
|
001.80(1人)
|
04着
|
R2:34.2(35.4)
|
-0.2
|
0岡部幸雄
|
57
|
ナリタタイシン
|
460
|
0000.03.20
|
中山
|
日経賞
|
GII
|
芝2500m(良)
|
9
|
5
|
5
|
006.00(4人)
|
01着
|
R2:32.8(36.5)
|
-0.0
|
0岡部幸雄
|
56
|
(ライスシャワー)
|
452
|
0000.04.24
|
京都
|
天皇賞(春)
|
GI
|
芝3200m(稍)
|
11
|
7
|
9
|
016.40(4人)
|
05着
|
R3:23.3(36.9)
|
-0.7
|
0南井克巳
|
58
|
ビワハヤヒデ
|
450
|
0000.06.12
|
阪神
|
宝塚記念
|
GI
|
芝2200m(良)
|
14
|
3
|
3
|
035.80(7人)
|
08着
|
R2:12.8(36.0)
|
-1.6
|
0南井克巳
|
56
|
ビワハヤヒデ
|
448
|
0000.10.09
|
東京
|
毎日王冠
|
GII
|
芝1800m(良)
|
11
|
8
|
11
|
025.0(10人)
|
10着
|
R1:45.9(36.2)
|
-1.3
|
0的場均
|
58
|
ネーハイシーザー
|
452
|
0000.10.30
|
東京
|
天皇賞(秋)
|
GI
|
芝2000m(良)
|
13
|
6
|
8
|
068.4(12人)
|
13着
|
R1:59.5(35.1)
|
-0.9
|
0南井克巳
|
58
|
ネーハイシーザー
|
452
|
0000.11.19
|
東京
|
アルゼンチン共和国杯
|
GII
|
芝2500m(良)
|
14
|
1
|
1
|
010.10(5人)
|
03着
|
R2:31.4(34.7)
|
-0.1
|
0蛯名正義
|
57.5
|
マチカネアレグロ
|
454
|
0000.12.10
|
中山
|
ステイヤーズS
|
GII
|
芝3600m(良)
|
10
|
2
|
2
|
003.30(2人)
|
03着
|
R3:42.1(37.2)
|
-0.5
|
0蛯名正義
|
58
|
エアダブリン
|
456
|
1995.01.05
|
中山
|
金杯(東)
|
GIII
|
芝2000m(重)
|
16
|
8
|
15
|
008.10(4人)
|
06着
|
R2:01.7(37.7)
|
-1.2
|
0蛯名正義
|
58
|
サクラローレル
|
460
|
0000.01.22
|
中山
|
AJCC
|
GII
|
芝2200m(良)
|
10
|
8
|
9
|
019.10(5人)
|
03着
|
R2:14.5(35.0)
|
-0.1
|
0蛯名正義
|
57
|
サクラチトセオー
|
462
|
0000.02.19
|
東京
|
目黒記念
|
GII
|
芝2500m(良)
|
12
|
5
|
6
|
008.60(3人)
|
08着
|
R2:32.4(37.0)
|
-1.3
|
0蛯名正義
|
57.5
|
ハギノリアルキング
|
454
|
0000.03.19
|
中山
|
日経賞
|
GII
|
芝2500m(不)
|
9
|
2
|
2
|
009.80(4人)
|
02着
|
R2:41.1(37.2)
|
-0.1
|
0蛯名正義
|
58
|
インターライナー
|
454
|
0000.04.23
|
京都
|
天皇賞(春)
|
GI
|
芝3200m(重)
|
18
|
7
|
15
|
014.00(6人)
|
02着
|
R3:19.0(35.3)
|
-0.0
|
0蛯名正義
|
58
|
ライスシャワー
|
452
|
0000.10.08
|
京都
|
京都大賞典
|
GII
|
芝2400m(良)
|
13
|
4
|
5
|
011.30(4人)
|
06着
|
R2:14.3(35.3)
|
-0.5
|
0蛯名正義
|
58
|
ヒシアマゾン
|
454
|
0000.10.29
|
東京
|
天皇賞(秋)
|
GI
|
芝2000m(良)
|
17
|
8
|
16
|
030.60(7人)
|
13着
|
R1:59.6(35.3)
|
-0.8
|
0蛯名正義
|
58
|
サクラチトセオー
|
454
|
0000.11.18
|
東京
|
アルゼンチン共和国杯
|
GII
|
芝2500m(良)
|
13
|
5
|
7
|
008.50(6人)
|
02着
|
R2:31.3(34.5)
|
-0.0
|
0蛯名正義
|
58
|
ゴーゴーゼット
|
454
|
0000.12.09
|
中山
|
ステイヤーズS
|
GII
|
芝3600m(良)
|
9
|
2
|
2
|
002.10(1人)
|
01着
|
R3:47.1(35.9)
|
-0.3
|
0蛯名正義
|
58.5
|
(インターライナー)
|
456
|
1996.06.15
|
阪神
|
エメラルドS
|
OP
|
芝2500m(良)
|
8
|
8
|
8
|
003.40(2人)
|
02着
|
R2:30.6(35.8)
|
-0.2
|
0蛯名正義
|
61
|
カミノマジック
|
458
|
1997.04.27
|
京都
|
天皇賞(春)
|
GI
|
芝3200m(良)
|
16
|
8
|
16
|
055.20(8人)
|
04着
|
R3:15.4(35.5)
|
-1.0
|
0蛯名正義
|
58
|
マヤノトップガン
|
472
|
引退後
ステージチャンプは良血馬だったが、リアルシャダイ産駒のステイヤーだったため、種牡馬としてのオファーがなく、種牡馬にはなれず、ノーザンホースパークで乗馬となった。
脚元が極度に弱い事からしばらくは乗馬としての調教も行われず、悠々自適の生活を送っていたが、2002年に馬術競技馬としてデビューした。2004年に競技馬から引退したステージチャンプはノーザンホースパークを離れ、2009年まで秋田県の角館高等学校で繋養されていた。その後は北海道に戻り、余生を過ごしていたが、2020年2月7日に死亡した[要出典]。
血統表
母ダイナアクトレスは重賞5勝。半妹プライムステージは重賞2勝、その仔アブソリュートは東京新聞杯勝ち。甥マルカラスカルは中山大障害を、同じく甥のスクリーンヒーローはジャパンカップやアルゼンチン共和国杯を勝っている。
脚注
注釈
- ^ 8位入線からの繰り上がり。進路妨害したガレオンは3位入線から8着に降着している。
- ^ 当時、青葉賞はオープン特別だった。
- ^ この時、騎乗していた岡部は「こんなに追わせる馬は自分には向いていない」という趣旨の発言をしている。この発言は「ステージチャンプには切れる脚がない」と言ったのも同然と周囲には受け取られている。
- ^ ライスシャワーとステージチャンプの差は16センチだった。
出典
外部リンク