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ステファヌ・ギヴァルシュ |
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名前 |
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本名 |
ステファヌ・ピエール・イヴ・ギヴァルシュ Stéphane Pierre Yves Guivarc'h |
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ラテン文字 |
Stéphane Guivarc'h |
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基本情報 |
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国籍 |
フランス |
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生年月日 |
(1970-09-06) 1970年9月6日(54歳) |
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出身地 |
コンカルノー |
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身長 |
184cm |
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体重 |
78kg |
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選手情報 |
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ポジション |
FW (CF) |
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利き足 |
右足 |
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ユース |
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トレガン |
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1984-1989 |
ブレスト |
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クラブ1 |
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年 |
クラブ |
出場 |
(得点) |
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1989-1991 |
ブレスト |
14 |
(1) |
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1991-1995 |
ギャンガン |
110 |
(68) |
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1995-1998 |
オセール |
55 |
(24) |
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1996-1997 |
→ レンヌ (loan) |
36 |
(22) |
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1998 |
ニューカッスル |
4 |
(1) |
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1998-1999 |
レンジャーズ |
14 |
(5) |
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1999-2001 |
オセール |
60 |
(25) |
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2001-2002 |
ギャンガン |
11 |
(1) |
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1989-2002 |
通算 |
304 |
(147) |
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代表歴 |
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1997-1999 |
フランス |
14 |
(1) |
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1. 国内リーグ戦に限る。2020年8月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ステファヌ・ピエール・イヴ・ギヴァルシュ(Stéphane Pierre Yves Guivarc'h, 1970年9月6日 - )は、フランス・コンカルノー出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはFW(センターフォワード)。
ブルトン語においては「Stefan Gwivarc'h」と表記される。また「ch」と「c'h」の発音は明確に区別されるため、ステファン・グィヴァルフ (IPA: [stɛfãn ɡ(ɥ)ivar(x)]) といった発音になる。フランス語においてはギヴァルまたはギヴァルク (フランス語発音: [stefan ɡivaʁ(k)]) となり、ギヴァルシュ (フランス語発音: [ɡivaʁʃ]) とは発音されない。
クラブ歴
1989年にスタッド・ブレスト29からプロデビューした。1991年には同じブルターニュ地域圏のEAギャンガンに移籍。ここでは100試合以上に出場し1試合平均得点数は2を超えた。1995-96シーズンよりギー・ルー率いるAJオセールに加入するが、23試合の出場で3得点に終わった。1996-97シーズン、レンタル移籍したスタッド・レンヌで36試合出場22得点を記録し得点王のタイトルを獲得する。翌シーズンはオセールに復帰し、21得点を記録して2シーズン連続で最多得点に輝いた。UEFAカップにおいては準決勝でSSラツィオに敗れたが、この試合で挙げた2ゴールを含め計7得点を記録し同大会の得点王となった。
フランス・ワールドカップ後にはアーセナルFCやニューカッスル・ユナイテッドFCからオファーが舞い込む。1998年6月にニューカッスルへ3.5百万ポンドの移籍金で加入し、アラン・シアラーのパートナーとして期待された[1]。デビュー戦となる8月30日のリヴァプールFC戦でゴールを挙げるが[2]、自身の獲得を希望したケニー・ダルグリッシュ監督が解任されルート・フリット新監督が就任すると構想外となり、4試合の出場に止まるなど思うような活躍ができなかった[3]。
11月6日、スコティッシュ・プレミアリーグのレンジャーズFCに3.5百万ポンドの移籍金で加入[4]。契約から2日後のセント・ジョンストンFC戦では途中出場ながら2得点を挙げ、7-0での大勝に貢献した[5]。11月29日にはリーグカップにおいて再びセント・ジョンストンと対戦すると、先制ゴールを挙げ2-0で勝利を収めた[6]。ディック・アトフォカート監督の下、トレブル達成の一員となった[7]。
翌シーズンよりオセールに復帰し、同クラブへ3度目の所属となった。現役最終年の2000-01シーズンにはギャンガンに復帰。クラブレコードとなる計69得点を記録した。
代表歴
1996-97シーズンにリーグで得点王となったことを評価され、1997年10月に27歳でフランス代表に初招集される。10月11日の南アフリカ戦でデビューすると以降は代表に定着し、1998年には自国開催のFIFAワールドカップのメンバーに選出。エメ・ジャケ監督から背番号9を与えられる。初戦の南アフリカ戦で先発し26分にクリストフ・デュガリーと交代した。ラウンド16・パラグアイ戦では、オセールでの同僚ベルナール・ディオメドに代わり76分から投入された。準々決勝のイタリア戦以降は先発し65分に途中交代。続く準決勝クロアチアとの一戦では、ダヴィド・トレゼゲとの交代で68分にベンチに下がる。決勝のブラジル戦も66分にデュガリーに代わりピッチを去る。大会を通して無得点ながらチームの優勝に貢献した。
現役引退後
引退後はアマチュアクラブを指導する傍ら、テレビ解説者も務めている[8]。
既婚で3児の父である。また、地元コンカルノーでスイミングプールのセールスマンをしている[9]。
人物
姓は「俊敏な種牡馬」を意味する[10]。
1998 FIFAワールドカップ優勝の功績が認められ、レジオンドヌール勲章シュヴァリエを授与されている[11]
タイトル
- クラブ
- オセール
- レンジャーズ
- 代表
- フランス
- 個人
- ディヴィジオン・アン得点王 : 1996-97(22得点), 1997-98(21得点)
- UEFAカップ得点王 : 1997-98(7得点)
脚注
外部リンク
タイトル・受賞歴 |
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1930年代 | |
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1940年代 |
- 1940-41 WWIIのため中断
- 1941-42 WWIIのため中断
- 1942-43 WWIIのため中断
- 1943-44 WWIIのため中断
- 1944-45 WWIIのため中断
- 1945-46 ビエル
- 1946-47 シニバルディ
- 1947-48 バラテ
- 1948-49 バラテ / フンパール
- 1949-50 グルメロン
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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MVP - 得点王 - GK賞 - 若手選手賞 - 監督賞 |
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