ザ・スタイナー・ブラザーズ(The Steiner Brothers)は、兄リック・スタイナーと弟スコット・スタイナーの兄弟によるプロレスのタッグチームである。ザ・スタイナーズ(The Steiners)の略称でも呼称される。
共にミシガン大学のレスリング選手であったことから、アマレス・スタイルのショルダータイツとスタジアムジャンパーをコスチュームに、アスリート系のベビーフェイスとしてWCWやWWFで活躍した[1]。
来歴
1989年5月、前年末にテッド・ターナーのジム・クロケット・プロモーションズ(NWAミッドアトランティック地区)買収により発足したWCWにおいて、当時マイク・ロトンド&ケビン・サリバンのバーシティ・クラブと抗争中だったリック・スタイナーのパートナーとしてスコット・スタイナーが参戦[2]。7月23日のグレート・アメリカン・バッシュ'89にてバーシティ・クラブを下し[3]、本格的なタッグチームとして始動する。
同年11月1日にはジョージア州アトランタにてマイケル・ヘイズ&ジミー・ガービンのファビュラス・フリーバーズを破り、WCWの管理下に置かれていたミッドアトランティック版NWA世界タッグ王座を獲得[4]。同王座は翌1990年5月19日にブッチ・リード&ロン・シモンズのドゥームに奪われるも、1991年2月18日に再びフリーバーズを破り、後継タイトルとして新設されたWCW世界タッグ王座を獲得している[5](その間、1990年8月24日にはボビー・イートン&スタン・レーンのミッドナイト・エクスプレスからUSタッグ王座を奪取したが、世界タッグ王座戴冠に伴い返上[6])。
1991年3月21日、新日本プロレスの東京ドーム大会に来日し、馳浩&佐々木健介からIWGPタッグ王座を奪取[7]。以降も新日本プロレスへの参戦を続け、1992年6月26日には日本武道館にてビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロを破り、同王座に返り咲いている[7]。WCWではスティング&レックス・ルガー、アーン・アンダーソン&ラリー・ズビスコなどのチームを相手に世界タッグ王座の防衛戦を行ったが、1992年7月5日、テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムスに敗れてタイトルを失い、同年にWCWを離脱[1]。
1993年1月よりWWFに登場。1月24日のロイヤルランブル'93ではボウ&ブレイクのビバリー・ブラザーズ、4月4日のレッスルマニアIXではサムゥ&ファトゥのヘッドシュリンカーズから勝利を収め[1]、6月14日にはオハイオ州コロンバスにて、テッド・デビアス&IRSのマネー・インコーポレーテッドからWWF世界タッグ王座を奪取[8]。翌々日に奪還されるも3日後には奪い返し、9月13日にジャック&ピエールのザ・ケベッカーズに明け渡すまで戴冠した[8]。翌年1月11日のサウスカロライナ州フローレンスでのTVショーでは、ブレット・ハート&オーエン・ハートとの兄弟タッグ対決も行われている[9][10]。
1994年4月にWWFを離れると、同年は新日本プロレスを主戦場に、ヘルレイザーズが保持していたIWGPタッグ王座に再三挑戦[11]。翌1995年はECWに参戦し、ダッドリー・ダッドリー&バンパイア・ウォリアー、クリス・ベノワ&2・コールド・スコーピオ、レイヴェン&スティービー・リチャーズなどと対戦した[12]。
1996年3月よりWCWに復帰し、ロード・ウォリアーズやナスティ・ボーイズとの対戦を経て、7月24日にハーレム・ヒートを破りWCW世界タッグ王座への久々の戴冠を果たす[5]。その後は同王座を巡り、nWoの中心メンバーだったケビン・ナッシュ&スコット・ホールのアウトサイダーズと抗争を展開するが、1998年2月にスコットがヒールターンしてnWoに加入したことにより、スタイナー・ブラザーズは解散[1]。以降、スコットは "Big Poppa Pump" を名乗る筋肉派ヒールに変身、リックとの兄弟抗争を繰り広げた[13][14]。その後、リックもヒールに転向して、2000年8月7日のマンデー・ナイトロにてスタイナー・ブラザーズがヒール・バージョンで復活、スティング&ナッシュと対戦した[1]。以後、スコットはWCW世界ヘビー級王者、リックはUSヘビー級王者となり、2001年にはリック・フレアー率いるユニット "The Magnificent Seven" に揃って加入したが[15]、同年3月にWCWは崩壊した。
2002年5月2日、新日本プロレスの東京ドーム大会でチームを再結成し、佐々木健介&棚橋弘至に勝利。7月19日には札幌にて蝶野正洋&天山広吉のIWGPタッグ王座に挑戦した[16]。以降はインディー団体にて単発的に再結成を行い、2006年にはバージニア州のTNTプロレスリングにて、イートン&デニス・コンドリーの第2期ミッドナイト・エクスプレスやニュー・エイジ・アウトローズと対戦[16]。2007年はTNAに参戦し、チーム3Dやラテン・アメリカン・エクスチェンジ(ホミサイド&ヘルナンデス)と抗争した[1]。2008年1月4日には新日本プロレスの東京ドーム大会に6年ぶりに参戦、ジャイアント・バーナード&トラヴィス・トムコのIWGPタッグ王座に挑戦している[16]。
2010年代も活動を続け、2013年5月31日にはイギリス・プレストンのPCWにてタッグ王座を獲得[17]。2014年11月29日にはノースカロライナ州ウィンストン・セーラムにて行われたリユニオン・イベント "WrestleCade 2014"にて、ロックンロール・エクスプレス(リッキー・モートン&ロバート・ギブソン)、フェイシズ・オブ・フィアー(ミング&ザ・バーバリアン)、トム・プリチャード&ジョージ・サウスとのフェイタル4ウェイ・タッグマッチを征した[18]。
2022年4月1日、WWE殿堂に迎えられた[19]。
獲得タイトル
- ナショナル・レスリング・アライアンス / ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
- ワールド・レスリング・フェデレーション / WWE
- 新日本プロレス
- プレストン・シティ・レスリング
脚注
外部リンク