マイク・イーノス(Mike Enos、1963年6月11日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミネソタ州ミネアポリス出身。
AWAやWWFではウェイン・ブルームとの金髪タッグチーム「デストラクション・クルー」および「ビバリー・ブラザーズ」で活躍[1]。チーム解散後の1990年代中盤は、中堅外国人ヒールとして新日本プロレスに度々来日した[2]。
来歴
ジェシー・ベンチュラ、ロード・ウォリアーズ、リック・ルードらを輩出したエディ・シャーキー(英語版)のトレーニングを受け、1988年に地元ミネアポリスのAWAにてデビュー。"ミーン" マイク・イーノス("Mean" Mike Enos)をリングネームに、1989年に兄弟子のウェイン "ザ・トレイン" ブルームと組んでデストラクション・クルー(The Destruction Crew)を結成。ジョニー・バリアントをマネージャーに迎え、ヒールの大型タッグチームとして頭角をあらわす[3]。
同年10月1日、空位となっていたAWA世界タッグ王座の争奪トーナメント(4チーム参加)にて、1回戦でサージェント・スローター&バロン・フォン・ラシク、決勝でグレッグ・ガニア&ポール・ダイヤモンドを破り、新王者チームとなった[4]。同王座は翌1990年8月11日にザ・トルーパー&D・J・ピーターソンに敗れるまで保持し、王座陥落直後にブルームとのコンビで新日本プロレスに初来日[5]。8月19日の両国国技館大会にて武藤敬司&蝶野正洋のIWGPタッグ王座に挑戦した[6]。
AWA崩壊後の1991年、ビバリー・ブラザーズ(The Beverly Brothers)のチーム名でブルームと共にWWFに移籍。ブルームは長兄役のボウ・ビバリー(Beau Beverly)、自身は弟役のブレイク・ビバリー(Blake Beverly)を名乗り、富裕層のゲイの兄弟を新しいギミックとして活動。マネージャーはザ・ジニアスが担当し、リージョン・オブ・ドゥーム、ザ・ロッカーズ、ザ・ブッシュワッカーズ、ナスティ・ボーイズ、スタイナー・ブラザーズなどのチームと抗争を展開した[7][8]。1992年8月29日にロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催されたサマースラムでは、アースクエイクとタイフーンのナチュラル・ディザスターズが保持していたWWF世界タッグ王座に挑戦[9]。同年には日本のSWSとWARにも参戦している[10]。
1993年のWWF離脱後はブルームとのコンビを一旦解消し、同年11月に新日本プロレスに再来日。以降も新日本の常連外国人選手となり、1994年10月の『SGタッグリーグ戦IV』にはロード・スティーブン・リーガルと組んで出場。1995年7月の来日時はAWA時代の盟友スコット・ノートンのパートナーとなって、橋本真也&平田淳嗣とIWGPタッグ王座決定戦を争った[11]。
1996年よりWCWに参戦し、ディック・スレーターとのタッグチームなどで活動後、ブルームとのデストラクション・クルーを再結成。ジ・アウトサイダーズ(ケビン・ナッシュ&スコット・ホール)、クリス・ベノワ&ディーン・マレンコ、レイヴェン&ペリー・サターンなどのチームのジョバーを務めた[1][12]。ブルームが引退した1999年以降もジョバーとしてWCWに単発出場し、2000年は3月と6月に新日本プロレスに来日した[13]。
得意技
獲得タイトル
脚注
外部リンク