■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート
ジェームス・エドウィン・トレーシー(James Edwin "Jim" Tracy、1955年12月31日 - )は、アメリカ合衆国・オハイオ州ハミルトン出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。
1977年にドラフトで4巡目でシカゴ・カブスに指名される。
1980年メジャー昇格。
1983年に横浜大洋ホエールズに入団、1年目は打率3割を記録するなど活躍した。
1984年は開幕早々起用法をめぐり関根潤三監督と衝突し、シーズン途中で帰国し退団[1][2]。この年限りで引退。
モントリオール・エクスポズ、ロサンゼルス・ドジャースのコーチを経て、2001年ドジャースの監督に就任。
2004年にはチームを地区優勝に導く。
2006年から2007年まではピッツバーグ・パイレーツの監督を務めた。
2009年、コロラド・ロッキーズのベンチコーチに就任。同年5月、成績不振により解任されたクリント・ハードル監督の後を受けロッキーズの監督に昇格。若手起用の采配が当たり、驚異的な追い上げを見せ、ワイルドカードでのプレーオフにまで進出。その結果、この年の最優秀監督賞として選出された。
2012年は、地区最下位に沈み、シーズン終了後に辞任した[3]。
2015年6月30日に、2015年パンアメリカン競技大会の野球アメリカ合衆国代表監督を務めることが発表された[4]。同大会では決勝のカナダ戦でサヨナラ負けし[5]、準優勝だった。
ジム・トレーシー
Lokasi Pengunjung: 18.191.59.102