『クレージーの殴り込み清水港』(クレージーのなぐりこみしみずみなと)は、1970年に制作されたクレージーキャッツ主演作品。前作『クレージーの無責任清水港』の続編であり(東宝クレージー映画では唯一の続編[1])、「時代劇シリーズ」最終作である。本作が制作・公開された時期、世間的には大阪万博が開催を目前に控えていたこともあり、未来志向のムード一色であったが、ミュージシャン時代の古巣である国際劇場で催された浪曲のイベントを観覧に訪れた際、満員御礼の大盛況であったことにヒントを得た当時の渡辺プロ社長・渡辺晋の“鶴の一声”により、時代の逆を行くかのような本作の制作は決定したという[2]。本作はまた、クレージーのメンバー7人が顔を揃えた最後の東宝クレージー映画でもある[3]。同時上映は、松林宗恵監督の『社長学ABC』(森繁久彌主演の“社長シリーズ”の1本)。
ストーリー
ある日、清水の次郎長一家のもとに、お葉という娘が駆け込んで来た。お葉は、以前次郎長が世話になった下張戸(ゲバルト)村の親分・仏の友吉の手紙を持ってきたのだ。友吉は、下張戸に住み着く鮫造という男からの借金150両を返すため、金を貸して欲しいと言ってきたのだ。早速、使いとして森の石松が150両を持って下張戸を目指すが、その道中で追分の三五郎と再会する。2人は再会祝いに酒を酌み交わすが、食事代や宿泊代を払えない三五郎は石松の荷物を盗り、石松の格好になって逃走。しかしその先で出会った女・お銀に、石松から盗った150両をスられて一文無しになってしまう。行き着いた下張戸村の飯屋でタダ食いをしている最中に、友吉と鮫造一家の揉め事を知り、石松の代わりに一肌脱ぐ事に。しかし、あと少しで万事解決というところで、荷物を盗まれ怒り心頭に発した本物の石松が現れてしまい、正体がバレた三五郎は鮫造一家を敵に回してしまう。友吉が「化け物」と呼ぶ、盲目の居合抜き名人・座頭吉や、悪代官・鬼熊玄蕃のもとに居候中の用心棒・荒船五十郎など強敵が次々と現れる中、三五郎はどうやってこの揉め事を解決するのか…。
スタッフ
キャスト
挿入歌
- 『旅の空』
- 作詞:塚田茂
- 作曲:萩原哲晶
- 歌:植木等(谷啓が歌ったバージョンも存在するが、劇中では未使用に終わった。後年CD化されている。)
- 『馬鹿は死んでも直らない』
撮影
当時各社で女ヤクザものが当たっていたため[5]、内藤洋子に娘ヤクザをやらせた[5]。しかし東宝にヤクザ映画のノウハウがないため、内藤を東映東京撮影所に行かせて、鶴田浩二と高倉健に仁義の切り方を教えてもらった[5]。監督の坪島によると、本作は「彼女(内藤)のお気に入りの一本だと聞いている」とのこと。また、「お嬢さん役が多かった彼女に、まったく違うタイプの役柄をやってもらおうと思った」とも語っている[6]。
脚注
- ^ 『ニッポン無責任時代』と『ニッポン無責任野郎』にも部分的な関連性はあるが、ストーリー上のつながりは無い。
- ^ 田波靖男・著『映画が夢を語れたとき』(1997年・広美出版事業部、ISBN 4877470077)P.179
- ^ 翌1971年4月29日にも、メンバー勢揃いの『だまされて貰います』が公開されているが、同年1月にクレージーから独立した石橋エータローは出演しなかった。東宝映画以外では1988年の『会社物語』に7人が揃っているが、石橋のみは短い別撮りで、バンクフィルム使用と誤記されることも多い[要出典]。
- ^ 布施は当時クレージーと同じ渡辺プロに在籍し、『シャボン玉ホリデー』などで数多く共演してきた後輩の歌手だが、本作には布施の歌唱シーンは無い。なお、坪島監督によれば「彼は走るシーンで、よく転んでましたね」とのこと(『クレージーの無責任清水港』DVD音声特典・坪島監督のオーディオコメンタリーより)。
- ^ a b c 「今度は内藤洋子がムスメやくざ」『週刊文春』1969年11月17日号、文藝春秋、20頁。
- ^ 『クレージーの無責任清水港』DVD音声特典・坪島監督のオーディオコメンタリーより。
外部リンク