紀元前302年頃から580年頃までの古代カルトリ王国については「イベリア王国 」をご覧ください。
カルトリ王国
ქართლის სამეფო (ジョージア語 )
1490年のグルジアの地図
カルトリ王国 (グルジア語 : ქართლის სამეფო 、カルトリス・サメポ )は、1466年 から1762年 までグルジア 中部に存在したトビリシ を首都とする王国である。存在した期間の大半はサファヴィー朝 の封臣 だったが、末期の1747年 にその支配を脱した[ 1] 。
歴史
テイムラズ2世 (英語版 ) 、1732年から1744年までカヘティ王、1744年から1762年までカルトリ王
長い経済的、政治的な衰退を経て、グルジア王国 は15世紀には西に攻撃的な隣国オスマン帝国 を抱え、さらに16世紀には東のサファヴィー朝 が追加された。両国の影響で王国は存在した300年間、長年戦争状態にあるか、ペルシアに統治されている状態にある。
グルジアは社会の不安、封臣たちの分離主義、そして内戦に悩まされた。1463年、王族バグラト6世 (英語版 ) がイメルティ王 (英語版 ) を称して反乱、チホリの戦い (英語版 ) で迎撃したグルジア王ギオルギ8世 が大敗したことでグルジア王国は解体しはじめた。1465年、ギオルギ8世は捕らえられて廃位され、バグラト6世は権力の空白 に乗じてカルトリ王を名乗り、1466年にカルトリを制圧した。バグラト6世の権力が大きすぎることを嫌った貴族たちはギオルギ8世を解放したが、彼は王位を取り戻せずカヘティ王 (英語版 ) しか名乗れなかったことで王国の分裂はさらに進行した[ 1] 。
バグラト6世はそのままカルトリを統治したが、1478年に王族のコンスタンティネ2世 に反乱をおこされ廃位された[ 2] :187, 215 。コンスタンティネ2世も貴族反乱に悩まされ、1483年にアラデティの戦いで貴族に敗北したことでバグラト6世の子アレクサンドレ2世 (英語版 ) はイメルティ王 (英語版 ) を名乗った。コンスタンティネ2世は1489年にイメレティ王国に侵攻しようとしたが失敗し、1490年にグルジア王国の分裂を追認せざるをえなかった。この時点でグルジアにはイメレティ王国 (英語版 ) 、カヘティ王国 (英語版 ) 、カルトリ王国と3つの王国が並立した[ 2] :219 。
この3王国間の平和は長続きしなかった。カヘティ王ギオルギ2世 (英語版 ) が1511年に即位するとすぐにカルトリに遠征した。彼はカルトリ王ダヴィド10世 (英語版 ) を追放してカルトリを併合しようとしたが、ダヴィド10世の弟バグラト1世 (英語版 ) に防がれ、逆に捕虜にされて獄死した。ダヴィド10世は機に乗じてカヘティ全土に侵攻、占領した[ 3] [ 4] 。カヘティ王国は1520年、ギオルギ2世の子レヴァン (英語版 ) (レヴァニ)を支持した貴族たちにより王に推されたことで復活した[ 5] 。カルトリ王国の西もイメレティ王アレクサンドレ2世 (英語版 ) の攻撃に悩まされたが、イメレティがオスマン帝国 の略奪を受けたことで彼は引き返し、まもなく死去した。
16世紀中期から1747年まで、カルトリ王国はペルシア統治をうけ、毎年軍馬や酒などの貢物を献上した[ 6] 。しかし、1747年にアフシャール朝 のナーディル・シャー が暗殺されると、精力的な王エレクレ2世 (英語版 ) がペルシア人を撃退し、父のカルトリ王テイムラズ2世死去後はその領域をも継承して、1762年 、トビリシに都を置くカルトリ・カヘティ王国 を建てた。その後、王国は1783年のギオルギエフスク条約 (英語版 ) でロシア帝国 の保護国 となったが、1795年にガージャール朝 の創始者アーガー・モハンマド・シャー の侵攻を受けたときはロシアが条約を無視して援助せず、グルジアは敗北。ロシアはそのまま衰退したグルジアを1802年に併合し、1813年のゴレスターン条約 でガージャール朝にも認めさせた[ 7] 。
脚注
^ a b Khazanov, Anatoly M. (1996-01-01). Department of Anthropology, University of Michigan. ed. Post-Soviet Eurasia: Anthropological Perspectives on a World in Transition . ISBN 9781889480008 . https://books.google.com/books?id=UCYYAQAAMAAJ
^ a b Toumanoff, Cyril (1949–1951). “The fifteenth-century Bagratids and the institution of collegial sovereignty in Georgia”. Traditio 7 : 169–221. JSTOR 27830207 .
^ Guchua, V.; Oniani, Sh. (1977). "ბაგრატ მუხრანბატონი" [Bagrat Mukhranbatoni]. ქართული საბჭოთა ენციკლოპედია Georgian Soviet Encyclopedia (Georgian). Vol. 2. Tbilisi. p. 132.
^ Rayfield, Donald (2012). Edge of Empires: A History of Georgia . London: Reaktion Books. p. 165. ISBN 1780230303
^ Georgian Soviet Encyclopedia, Vol. 10, pg. 466–469, Tb., 1986
^ Berdzenishvili, ed., 1973, pp. 252–254
^ Timothy C. Dowling Russia at War: From the Mongol Conquest to Afghanistan, Chechnya, and Beyond p 728 ABC-CLIO, 2 dec. 2014 ISBN 1598849484
関連項目