カフー
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この項目では、ブラジルのサッカー選手について説明しています。
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カフー(Cafu)ことマルコス・エバンジェリスタ・デ・モラエス(Marcos Evangelista de Moraes, 1970年6月7日 - )は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロ出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。現役時代のポジションはディフェンダー。
「カフー」はニックネームで、1970年代に活躍したカフリンガ (Cafuringa) という名前のサッカー選手に由来する。長らく活躍したイタリアでは特急列車を意味する「イル・ペンドリーノ(il Pendolino)」という異名で呼ばれたこともあった[2]。史上最高の右サイドバックとも評され、2020年に右サイドバックの歴代1位としてバロンドール・ドリームチームに選出された[3]。
経歴
クラブ
初期
7歳の頃にはナショナル・アトレチコ・クルーベ(英語版)でプレーしていた[4]。1983年から1987年にかけて、SEパルメイラス、サンパウロFC、コリンチャンスなどのトライアウトで9回連続不合格になった[4]。
1988年、18歳の時、サンパウロFCのプリマベーラとの試合で活躍、これが目に留まり、サンパウロの下部組織に入団した[4]。入団後にサイドバックにコンバートされ、1989年にトップデビューを果たした[4]。1992年、トヨタカップでは、FCバルセロナを破り優勝、1993年、トヨタカップのACミラン戦ではパリ―ニャの先制ゴールをアシストし[5]、大会連覇に貢献するなど活躍した。1994年、レアル・サラゴサに優勝への切り札と期待されて移籍するも[6]、攻撃を警戒され、対戦チームに厳しくマークされ[6]、加入後出場した数試合でチームは勝利出来ないなど[6]、レアル・サラゴサでは目立つ活躍が出来ず、1年で退団し、再び地元ブラジルに帰国し、SEパルメイラスに移籍することになる。
ASローマ
1997年、イタリア・セリエAの強豪ASローマに移籍。すぐに適応し、キープレーヤーの一人になり、ファンからペンドリーノ(右サイドの支配者)というニックネームを付けられた[4]。1998年4月11日のインテル戦でセリエA初得点を決めた[4]。2000-01シーズンには、ASローマの18年ぶりとなるスクデット制覇に貢献するなど主力として活躍、218試合に出場8ゴールをあげた[2]。
ACミラン
33歳となった2003年夏にはASローマを退団し、Jリーグ・横浜F・マリノスへの入団合意が伝えられたが[7][8][9]、最終的には違約金を横浜FMに支払う形で、ACミランがカフーを獲得した[10]。ACミラン移籍後は右サイドバックのレギュラーとしていきなり2003-04シーズンのACミランのスクデットに貢献するなど、主力としての変わらぬ活躍を見せることになる。また、この年にペレの選んだ偉大なサッカー選手100人、「FIFA 100」に選ばれている。
2004-05シーズン、チャンピオンズリーグ決勝では、リヴァプールに延長PKで敗れた[4]。2006-07シーズン、チャンピオンズリーグ決勝では、出場機会は無かったものの、優勝を果たした[4]。2007-08シーズン、クラブワールドカップ決勝のボカ戦では、後半途中から出場、現役生活最後のタイトルを獲得した[4]。シーズン終了後、ACミランとの契約満了に伴い退団と同時に現役引退。2008年5月18日、現役最後の試合となった、ウディネーゼ戦で1得点を決めた[4]。
引退後は、指導者には転身せず、夫人と共にスポーツ代理店を経営するなど実業家となった。
ブラジル代表
1990年9月12日のスペイン戦で代表デビューを果たした[11]。その後の1994年のワールドカップでは3試合に出場[11]、決勝のイタリア戦では、試合中のジョルジーニョの故障に伴い、途中交代で[12]、優勝に貢献した。以後、代表のレギュラーとしての地位を確立し、1998 FIFAワールドカップでは決勝で開催国フランスに敗れ連覇を逃したが、出場停止になったオランダ戦以外の6試合に出場、グループリーグ第2戦のモロッコ戦ではリバウドのゴールをアシストした[11]。
2002 FIFAワールドカップではキャプテンとして全試合に出場し、優勝に貢献した。
2006年のドイツ大会ではグループリーグ初戦のクロアチア戦でカカのゴールをアシスト[11]、ラウンド16のガーナ戦ではアドリアーノのゴールをアシストし[11]、準々決勝まで進むが、フランス戦で破れ敗退。
ドイツW杯後は、元ブラジル代表ドゥンガが代表監督に就任し、同監督の構想から外れたことや、年齢のこともあり、これ以後代表招集されることは無かった。
代表通算キャップ数は142を数えており、これはブラジル代表における歴代最多記録である。また、1994年、1998年、2002年、2006年の4度のFIFAワールドカップに出場しているが、このうち2006年を除く3回はいずれも決勝まで進んでおり(優勝2回、準優勝1回)、決勝戦の試合出場を3度経験した唯一の選手である。
エピソード
- サッカー界きっての"ガム好き"を公言している[13]。
- セリエAにおいて、最も嬉しかったのは、ASローマ時代のスクデットだと答えている[14]。
- 2019年9月、友人や息子のダニーロとサッカーで遊んでいたところ、試合中にダニーロが昏倒。カフー自ら病院へ搬送したが、30歳という若さでそのまま帰らぬ人となった。ダニーロは元々、冠動脈硬化症を患っており、数日後に手術を受ける予定だった。
個人成績
所属クラブ
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シーズン
|
番号
|
リーグ戦
|
出場
|
得点
|
1990 |
サンパウロ |
2 |
20 |
2
|
1991 |
20 |
1
|
1992 |
21 |
1
|
1993 |
18 |
1
|
1994 |
16 |
2
|
1994-95 |
サラゴサ |
16 |
0
|
1995 |
パルメイラス |
19 |
0
|
1996 |
16 |
0
|
1997 |
0 |
0
|
1997-98 |
ローマ |
31 |
1
|
1998-99 |
20 |
1
|
1999-00 |
28 |
2
|
2000-01 |
31 |
1
|
2001-02 |
27 |
0
|
2002-03 |
26 |
0
|
2003-04 |
ミラン |
28 |
1
|
2004-05 |
33 |
1
|
2005-06 |
19 |
1
|
2006-07 |
24 |
0
|
2007-08 |
15 |
1
|
通算
|
428
|
15
|
代表での成績
- 出典
ブラジル代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
1990 |
3 |
0
|
1991 |
9 |
0
|
1992 |
2 |
0
|
1993 |
12 |
0
|
1994 |
7 |
1
|
1995 |
5 |
0
|
1996 |
3 |
0
|
1997 |
20 |
0
|
1998 |
12 |
2
|
1999 |
12 |
0
|
2000 |
10 |
2
|
2001 |
6 |
0
|
2002 |
12 |
0
|
2003 |
7 |
0
|
2004 |
9 |
0
|
2005 |
8 |
0
|
2006 |
5 |
0
|
通算 |
142 |
5
|
タイトル
代表
クラブ
サンパウロFC
ASローマ
ACミラン
個人
脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、 カフーに関連するカテゴリがあります。
タイトル・受賞歴 |
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1970年代 |
- 70: モンテイロ, ブリット, レジェス, エヴェラウド
- 71: モンテイロ, ペスクマ, ヴァントゥール, カルリンド
- 72: アラーニャ, フィゲロア, ベット・バカマルテ, マリーニョ・シャガス
- 73: ゼ・マリア, アンチェッタ, モスタルダ, マリーニョ・シャガス
- 74: ロロ, フィゲロア, ミゲウ, ヴラジミール
- 75: ネリーニョ, フィゲロア, アマラウ, マルコ・アントニオ
- 76: ペリバウド, フィゲロア, フスコン, ヴラジミール
- 77: ゼ・マリア, オスカル, ポロッジ, マルコ・アントニオ
- 78: ロゼミーロ, ロンジネッリ, デオドロ, オジルレイ
- 79: ネリーニョ, オスマール, マウロ・ガウボン, ペドリーニョ
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1980年代 |
- 80: ネリーニョ, ジョアンジーニョ, ルイジーニョ, ジュニオール
- 81: ペリヴァウド, モイゼース, ダリオ・ペレイラ, マリーニョ・シャガス
- 82: レアンドロ, フォンセカ, エジーニョ, ヴラジミール
- 83: ネリーニョ, マルシオ・ロッシーニ, ダリオ・ペレイラ, ジュニオール
- 84: エジソン・ボアロ, イヴァン, ウーゴ・デレオン, ジュニオール
- 85: L.C.ヴィンク, レアンドロ, マウロ・ガウボン, バビ
- 86: アウフィネッテ, リカルド・ローシャ, ダリオ・ペレイラ, ネウシーニョ
- 87: L.C.ヴィンク, アロイージオ, ルイジーニョ, マジーニョ
- 88: アウフィネッテ, アギレガライ, ルイス・ペレイラ, マジーニョ
- 89: バル, リカルド・ローシャ, パウロ・セルジオ, マジーニョ
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1990年代 |
- 90: ジウダージオ・バイアーノ, アジウソン, マルセロ・ジアン, ビロ=ビロ
- 91: ジウダージオ・バイアーノ, マルシオ・サントス, リカルド・ローシャ, レオナルド
- 92: カフー, アイウトン, アレクシャンドレ・トーレス, ヴァウベル
- 93: カフー, リカルド・ローシャ, アントニオ・カルロス, ロベルト・カルロス
- 94: パヴォン, クレーベル, G.ルイス, ロベルト・カルロス
- 95: ゼ・マリア, ガマーラ, アンドレイ, マルコス・アドリアーノ
- 96: アウベルト, ガマーラ, アジウソン, ゼ・ロベルト
- 97: ゼ・カルロス, マウロ・ガウボン, ジュニオール・バイアーノ, デデ
- 98: アルセ, ガマーラ, マルセロ・ジアン, ジュニオール
- 99: ブルーノ, ロッキ・ジュニオール, クラウディオ・カサッパ, レアンドロ
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2000年代 |
- 00: アルセ, ルシオ, クリス, ソリン
- 01: アルセ, グスタヴォ, ダニエウ, レオ
- 02: マンシーニ, アレックス, ファビオ・ルシアーノ, アチルソン
- 03: マウリーニョ, アレックス, ファボン, レオ
- 04: パウロ・バイエル, ルガーノ, ロドリゴ, レオ
- 05: シシーニョ, ルガーノ, ガマーラ, ジャジウソン
- 06: イウシーニョ, インジオ, ファボン, クレーベル
- 07: レオナルド・モウラ, チアゴ・シウヴァ, ブレーノ, クレーベル
- 08: ヴィトール, アンドレ・ディアス, ミランダ, ジュアン
- 09: ジョナタン, ミランダ, アンドレ・ディアス, クレーベル
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2010年代 |
- 10: マリアーノ, アレックス・シウバ, シコン, ロベルト・カルロス
- 11: マリオ・フェルナンデス, デデ, パウロ・アンドレ, ジュニーニョ
- 12: マルコス・ローシャ, レオナルド・シウヴァ, レーヴェル, カルリーニョス
- 13: マイキ, デデ, ホドリゴ, アレックス・テレス
- 14: マルコス・ローシャ, ジウ, ラファエウ・トロイ, ゼ・ロベルト
- 15: ハファエウ・ガリャルド, ジェロメウ, ジウ, ドウグラス・サントス
- 16: ジェアン, ジェロメウ, レーヴェル, ファビオ・サントス
- 17: ファグネル, ジェロメウ, バルブエナ, チアゴ・カルレット
- 18: マイキ, ジェロメウ, クエスタ, ヘネ
- 19: ラフィーニャ, ゴメス, ベリッシモ, ジョルジ
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2020年代 |
- 20: イスラ, ゴメス, アロンソ, ギリェルミ・アラーナ
- 21: マリアーノ, アロンソ, オルチス, ギリェルミ・アラーナ
- 22: マルコス・ローシャ, ゴメス, ムリロ, ピケレス
- 23: マイキ, ムリロ, アドリエウソン, ピケレス
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ボーラ・ジ・オーロ - ボーラ・ジ・プラッタ(GK - DF - MF - FW) |
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2012 | |
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2013 | |
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2014 | |
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2015 | |
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2016 | |
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2017 | |
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2018 | |
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