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オランジュ(フランス語: Orange)は南フランスプロヴァンス地方のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ヴォクリューズ県にある市。人口約2万9千人。アヴィニョンの北方21キロに位置する。英語では"Orange"(オレンジ)、古いオランダ語では"Oranje"([oːˈrɑɲə]、オラニエ)となる。
歴史
古代にはケルト人の居住地でアラウシオ(フランス語版)(Arausio)[1]と呼ばれていた。アラウシオの戦いなどの後にローマ帝国に支配され、この時代の遺跡も残る。12世紀には神聖ローマ帝国の封土として小規模な公国となり、16世紀に婚姻関係によって、元来ドイツとネーデルラントの貴族であったナッサウ家の一族に相続された。
ウィレム1世以降のオランジュ(オラニエ)公の家系をオラニエ=ナッサウ家というが、ウィレム1世以来代々ネーデルラント連邦共和国の統領(総督)を出し、ウィレム3世(ウィリアム3世)はイングランド王も兼ねた。1673年にルイ14世によってオランジュ公の城が破却され、オランジュ公国は1702年にフランス王国に併合されたが、以後もオラニエ公の称号は名目上のものとして用いられた。そしてオラニエ=ナッサウ家を現在まで続く王家としてオランダ(ネーデルラント)王国が成立すると、オラニエ公は王太子に与えられる称号となった。19世紀にオランダ系ボーア人が南アフリカに建国したオレンジ自由国もこのオレンジ=オランジュ(オラニエ)にちなむ。
なお、オランジュの語源はアラウシオが転訛したもので、似た名前だった果物のオレンジとは12世紀ころより結びつけられた。果物のオレンジの西欧への伝来も一説では7世紀ころとされ、古代ローマ時代には存在していない。
世界遺産
オランジュに残るローマ遺跡は「オランジュのローマ劇場とその周辺及び『凱旋門』」として1981年ユネスコ世界遺産に登録されている。ローマ劇場の遺跡では毎年夏に音楽祭が開催される。
姉妹都市
脚注
- ^ 『アラウシオ』 - コトバンク
関連項目
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外部リンク