エウスカルテル・エウスカディ(Euskaltel-Euskadi)は、かつて国際自転車競技連合(UCI)の主催するUCIプロツアーに参加していた自転車ロードレースのチームである。スペインに本拠を置いていた。チーム名はメインスポンサーであるエウスカルテル(通信事業会社)とサブスポンサーであるエウスカディ(バスク州自転車基金)に由来していた。
歴史
1994年、バスク自治州に拠点を置くペトロノール(石油会社)がメインスポンサーとなってエウスカディ・ペトロノールが設立された。1995年シーズンからはエキポ・エウスカディに名称変更し、ペトロノールは3年間メインスポンサーを務めた。1998年にはバスク自治州で事業を行うエウスカルテル(通信事業会社)がメインスポンサーとなり、チーム名はエウスカルテル・エウスカディに変更された。他の自転車ロードレースに参加するチームとは異なり、「バスク人のバスク人によるバスク人のためのチーム」であり[1]、2012年シーズンまでは所属選手が基本的にバスク人に限定されていた。例外としてオビエド出身のサムエル・サンチェスなどがいたが、リーガ・エスパニョーラ(サッカー)のアスレティック・ビルバオ同様、国際色豊かなスポーツ界の中で独自の特色を示していた。
2003年のツール・ド・フランスでアイマル・スベルディアが総合5位、イバン・マヨが総合6位に入る好成績を挙げ、2007年にはサムエル・サンチェスがブエルタ・ア・エスパーニャにて総合3位に入り、チーム初となるグランツールの表彰台を獲得した。またサムエル・サンチェスは北京オリンピック男子ロードレースにおいて金メダルを獲得した。ツール・ド・フランスやブエルタ・ア・エスパーニャなどでピレネー山脈を通過するときには多くのエウスカルテルファンの姿が見られ、沿道はエウスカルテルのチームカラーであるオレンジ色に染まった。
2013年にはメインスポンサーのエウスカルテルが4年間の支援継続を約束していたが、UCIプロチームとして生き残るために多国籍化を図り、スロベニア、モロッコ、ポルトガル、ドイツ、ロシア、ギリシャなど様々な国籍の選手を受け入れたことから、サブスポンサーの市民団体からの資金供出が困難となった[2]。2013年8月20日、セカンドスポンサーの離脱により2013年シーズン限りで解散するという公式リリースを発表した[3]。その後、スペイン出身のF1ドライバーであるフェルナンド・アロンソがチームライセンス買取と運営資金援助を発表し、チームは存続へと向かった[4]。しかし、9月23日にはアロンソとチームの交渉が決裂したことが発表され、チームは2013年シーズン限りで解散した[5]。
尚、2020年シーズン途中から当チームと全く同じ名称で活動しているUCIプロチームのエウスカルテル・エウスカディはスポンサーこそ同じだが別組織である。
使用機材
オルベア社のフレーム「ORCA」にシマノ社のコンポーネント「DURA-ACE」を装着して使用していた。
2012年陣容
- 2012年1月26日更新[6]
- 2012年動向[7]
チーム名称の変遷
- 1994年 エウスカディ・ペトロノール
- 1995年-1997年 エキポ・エウスカディ
- 1998年-2013年 エウスカルテル・エウスカディ
歴代チーム陣容
脚注
- ^ スポンサー探しが頓挫 スペインのエウスカルテルが19年間の歴史に幕 cyclo wired, 2013年8月20日
- ^ オレンジ集団終焉の時、さらばエウスカルテル・エウスカディ、チームは解散を発表、就活をする選手たちをめぐり激しい選手争奪戦の予感! Cycling Time, 2013年8月23日
- ^ 公式リリース エウスカルテル・エウスカディ, 2013年8月20日(バスク語)[リンク切れ]
- ^ フェルナンド・アロンソがエウスカルテル・エウスカディを買収 チーム存続へ cyclo wired, 2013年9月2日
- ^ フェルナンド・アロンソとエウスカルテルの交渉が決裂 チームは解散へ cyclo wired, 2013年9月24日
- ^ Euskaltel - Euskadi 2012(英語)
- ^ The Cyclingnews guide to rider transfers 2011-2012 cyclingnews.com 2011年11月18日付記事(英語)
外部リンク