ウミト・ダヴァラ(Ümit Davala, 1973年7月30日 - )は、西ドイツ・マンハイム出身の元トルコ代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDFで、右サイドバックが主戦場だがサイドハーフやウイングもこなした。
2002年のワールドカップで日本を破る決勝ゴールを挙げた選手としても知られ[1]、当時のモヒカンスタイルは話題となった[2]。
クラブ歴
地元マンハイムのユースクラブで育ち、ドイツ国内のトルコ系やトルコのクラブでプレー。イスタンブルスポルを経て、1997年にガラタサライSKに入団。スュペル・リグ3連覇を経験する。2000年にテュルキエ・クパス決勝でベシクタシュJKと対戦し、2ゴールを挙げ優勝に貢献した。同年にはUEFAカップでアーセナルFCを、UEFAスーパーカップでレアル・マドリードを破り、いずれもクラブの初優勝メンバーの一員となった。
2001年9月、ガラタサライ前監督ファティ・テリムの後を追って500万ユーロの移籍金でACミランへ加入[3]。11月にテリムが解任されカルロ・アンチェロッティが新監督に就任するとポジションを失う。
2002年夏、ダリオ・シミッチとトレードされる形でインテルナツィオナーレ・ミラノに移籍[4]。直後にガラタサライへシーズンローンとなる[5]。
2003年7月にトーマス・シャーフ監督率いるヴェルダー・ブレーメンへレンタルされると、翌年7月から完全移籍へ移行する[6]。22試合に出場しブンデスリーガとDFBポカールのダブルに貢献した。2004-05シーズンは負傷によりリーグ戦1試合の出場に止まる。2005年8月10日のFCバーゼル戦以降は出場機会がなく、同年10月に腰部を故障すると2005-06シーズンのウィンターブレイク明けまで回復が見込めなかったため12月にクラブとの契約を解除[7]。2006年に現役を引退した[8]。
代表歴
トルコ代表としてはUEFA EURO 2000、2002 FIFAワールドカップのメンバーに選出。日韓W杯では決勝トーナメント1回戦で日本を破る決勝点を挙げた[1]。また準々決勝では、セネガルに対してイルハン・マンスズの決勝点となるクロスを上げ勝利[9]。チームの3位入賞に貢献した。
現役引退後
現役引退後はフットサルの道へ進み、UEFAフットサル選手権では主将を務めた[10]。
2007年からU-21トルコ代表の監督を1年間務める[8]。2008年6月からガラタサライSKのアシスタントコーチに就任したが、同年10月に解任されている[11]。2011年6月にガラタサライでアシスタントコーチに復帰するが、2013年9月にテリム監督と共にクラブを退団した[12]。
2016年12月に2. リグ(英語版)(トルコ3部リーグ)のトゥズラスポルでディレクターに就任すると、翌年2月から3か月間は同クラブを率いる[13]。2018年1月にはガラタサライで3度目のアシスタントコーチを務めることが発表された[14]。
人物
現役を引退して以降、ラッパーとして数曲リリースしている[15]。
タイトル
- ガラタサライ
- ブレーメン
脚注
外部リンク