ウィーン・フォルクスオーパー (Volksoper Wien) は、オーストリア ・ウィーン 9区(アルザーグルント )にある歌劇場 。ウィーンにおいては国立歌劇場 に次いで2番目に大きな歌劇場であり、着席1,473人・立席102人を収容する。オペラ の他、オペレッタ ・ミュージカル ・バレエ 公演やコンサートなどの会場としても使用され、毎年9月から6月までのシーズン中に約300公演を開催する。劇場名の「Volksoper」とは「大衆オペラ座」のような意味である。ウィーン国立バレエ団 の本拠地でもある。
歴史
開館当時の様子を描いた木版画
1898年 、時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世 の即位50周年を記念し、「Kaiser-Jubiläums-Stadttheater」(カイザー・ユビロイムス・シュタットテアター、「皇帝記念都市劇場」の意)として建築家のフランツ・フォン・クラウス とアレクサンダー・グラフによって建設され、同年12月14日に開館した。当時は演劇を専門に上演する劇場であったが、1903年 よりオペラの上演もされるようになり、1905年 には劇場名を「Kaiserjubiläums-Stadttheater Volksoper」と改称。1908年 からは「Volksoper」となった。
1906年 にはアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー が初代首席指揮者に就任。1907年 に『トスカ 』、1910年 に『サロメ 』が初めて上演され、世界的に有名な歌手であるマリア・イェリッツァ やリヒャルト・タウバー らが出演した。
第一次世界大戦 の時代、フォルクスオーパーはウィーン第2の歌劇場としての地位を守っていたが、1928年 に経営が立ち行かなくなり倒産、翌1929年 からはオペレッタを主な演目とするようになった。1938年 、ウィーン市がフォルクスオーパーを買収し、劇場名を「Städtische Wiener Volksoper」(市立ウィーンフォルクスオーパー)と改称、さらに後に「Opernhaus der Stadt Wien」(ウィーン市オペラハウス)となった。第二次世界大戦 の終盤の数か月間は、フォルクスオーパーは市内で2番目に大きな1,550席の映画館 として使われていた。これは1944年 9月から市内のすべての劇場が公演を禁止されており、また市内の映画館のいくつかが空襲で被害を受けていたことによるものである。
終戦後、フォルクスオーパーはアン・デア・ウィーン劇場 とともに、空襲で壊滅的な打撃を受けた国立歌劇場の代替の役割をしばらく担っていた。1955年 に国立歌劇場が再オープンしてからは、再びオペラやオペレッタ・ミュージカルなどの公演に復帰したが、1991年 9月からはまたも国立歌劇場に属する形となり、演目はそれぞれ独自のものを上演していたものの、出演の歌手などは両方の劇場に所属するという状態になっていた。1996年 からは、独立路線に回帰した。
フォルクスオーパーで上演された演目としては、フランツ・レハール の『メリー・ウィドウ 』『ルクセンブルク伯爵 』、ヨハン・シュトラウス2世 の『ジプシー男爵 』『こうもり 』といったオペレッタ作品、『カルメン 』『トゥーランドット 』『ニュルンベルクのマイスタージンガー 』などのオペラ作品、また『ラ・カージュ・オ・フォール 』『サウンド・オブ・ミュージック 』などのミュージカル作品や舞踏公演がある。
交通
ウィーン地下鉄 U6線 Währinger Straße-Volksoper駅下車
市電 40/41/42
バス 40A
関連項目
外部リンク