劇場のロゴ(2006年から)
アン・デア・ウィーン劇場(2003年)
1815年の劇場
パパゲーノ門
パパゲーノ門。左下にベートーヴェン の記念プレートが見える
劇場の裏側(レハールガッセ通り側)。この部分は1801年の開館当時の外観を保存している。
1900年頃の正面の様子(カール・ヴェンツェル・ザイチェク画)。1901年の改築前の最後の姿が見える。
アン・デア・ウィーン劇場 (アン・デア・ウィーンげきじょう、Theater an der Wien)は、オーストリア ・ウィーン にある歌劇場 。
概要
ミュージカル やオペラ を上演する劇場として、1801年 の開館以来、多くの市民・観光客を集めている。ウィーン劇場協会 (Vereinigte Bühnen Wien )に加盟しており、運営はウィーン市の100%出資企業であるウィーン・ホールディング(Wien Holding )が担当する。
市内中心部、ウィーン6区(マリアヒルフ )のリンケ・ヴィーンツァイレ(Linke Wienzeile 、ウィーン川左岸通り)沿いに位置する。劇場名の「アン・デア・ウィーン」とは「ウィーン川に面した」という意味であり、ドナウ川 の支流で劇場の傍を流れるウィーン川 に由来するものである。今日では、ウィーン川は劇場付近が暗渠 化されており、直上はナッシュマルクト と呼ばれる市場 になっている。
建築・劇場施設
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト のオペラ『魔笛 』の台本で成功したエマヌエル・シカネーダー が、1791年 に皇帝の認可を受け、建築家フランツ・イェーガー による帝政様式 の設計をもとに1798年 より建設を開始、1801年に落成した[ 1] 。
歴史
18世紀のウィーンと歌劇場
18世紀のウィーンでは、特権的な貴族や裕福な市民は市壁城門内の2つの宮廷劇場(ブルク劇場、ケルントナートーア劇場)で劇場趣味を満たす一方で、下層の市民は市壁門外の郊外地区で開かれる巡回劇団の公演を楽しんでいた。郊外では長い間、仮設の舞台が作られては短期間で撤去されることの繰り返しで、常設劇場がなかったが、18世紀末近くになると、1781年開場のレオポルトシュタット劇場、1787年のフライハウス劇場 、1788年のヨーゼフシュタット劇場の3つの常設劇場が相次いでオープンし、しのぎを削っていた[ 2] 。
このうち、1787年開場のフライハウス劇場がアン・デア・ウィーン劇場の前身となった劇場で、1799年には財政破綻を喫していた。モーツァルトの「魔笛」の台本作者でこの劇場の支配人を務めていたエマヌエル・シカネーダーは、1799年3月1日、劇場活動への強い情熱を抱いていた商人のバルトロメウス・ツィッターバルト(1751-1806)に対して、63,266グルデンでフライハウス劇場を譲渡することになった。ツィッターバルトはその頃までにこの劇場に130,000グルデンを投資しており、この買収により、1786年からシカネーダーが保有していた新劇場建設の特権も合わせて取得できるものと見込んでいたが、これについては却下されたため、2人は共同経営者となって歩調を合わせることになった。この間に1799年、ツィッターバルトが新劇場の用地として、フライハウス劇場からウィーン川を挟んで至近距離にあった土地を取得する一方で、シカネーダーは計画段階にあった新劇場の建築許可を請願し、1800年4月1日付で皇帝フランツ2世 より許可を取得した[ 3] 。この後、わずか13ヶ月の建築期間で新劇場は完成し、1801年6月13日、杮落しを迎えた[ 4] 。
当時の建物は限られた部分しか現存しておらず、ミレッカー通り(Millöckergasse)に面した「パパゲーノ門」(Papagenotor)はその一部である。これは劇場を建てたシカネーダーを記念する門であり、『魔笛』で自ら「パパゲーノ」役を演じるシカネーダーと、彼と共に出演した3人の息子たちの姿を見ることができる。
開館よりほどなくしてシカネーダーは破産し劇場を手放すものの、保持していた皇帝の認可によって芸術監督の座を守り、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン を音楽監督として招聘。ベートーヴェン作のオペラ『フィデリオ 』などを上演した。劇場内には、ベートーヴェンを記念する部屋が残っている。
19世紀のウィーンと歌劇場
19世紀には、劇場はヨハン・ネストロイ などに代表されるウィーン大衆演劇(Alt-Wiener Volkstheater )、その後ヨハン・シュトラウス2世 やフランツ・レハール 、カール・ミレッカー などによるオペレッタ 作品を数多く上演して、ウィーン市民の人気を博した。世紀末ウィーン とも重なるシュトラウスの時代は「オペレッタの黄金時代」、レハール・ミレッカーの時代は「銀時代」と呼ばれる。この時期、アドルフ・ミュラー1世 とアドルフ・ミュラー2世 が親子で劇場楽長を務めた。
第二次世界大戦 後、 劇場は空襲の被害を受けたウィーン国立歌劇場 の代替としての役割をしばらく担った。カール・ベーム の指揮で『フィガロの結婚 』『ドン・ジョヴァンニ 』『魔笛』といったモーツァルトオペラ作品が上演され、その一部は録音が残されている。
しかし、国立歌劇場が移転・再オープンした1955年 、劇場は安全上の理由で一時閉鎖を余儀なくされた。数年間利用がされないまま、劇場を大駐車場に転換する計画も浮上するなど、一時は閉館の危機にあったものの、結局は存続が決まり、最新の設備を導入、改装を施してミュージカル劇場として生まれ変わることになった。
1962年 より、劇場は毎年5・6月に開かれる文化フェスティバル 「ウィーン芸術週間」(Wiener Festwochen )のメイン会場となっている。なお、ハンス・クナッパーツブッシュ が1962年と1963年の同フェスに出演した映像のDVDは、この劇場で収録されたものである。
ミュージカル劇場としての成功
劇場はその後、ミュージカル公演の会場として有名になった。これは1983年 より総監督を務めたペーター・ヴェックによるところが大きい。ヴェックのもと、1983年にアンドリュー・ロイド=ウェバー 作『キャッツ 』のドイツ語版初演がこの劇場で幕を開けた。心理学者 ジークムント・フロイト の生涯を描いたエリック・ウルフソン 作『Freudiana』こそ芳しくなかったものの、ミヒャエル・クンツェ とシルヴェスター・リーヴァイ による『エリザベート 』は500万人以上の観客を集める大ヒットを記録し、全世界で史上もっとも成功したドイツ語ミュージカルとなった。2003年 秋の再演の際には、オーストリア国内で記念の郵便切手 が発行されている。
『エリザベート』のロングランヒット後は、同じくクンツェ・リーヴァイのコンビによるミュージカル『モーツァルト! 』が1999年 10月より2001年 5月まで上演された。この作品は「2000年最優秀ミュージカル」に選出された。
オペラハウスの復活
モーツァルトの生誕250周年に当たる2006年 、劇場は「新しいオペラハウス」(Das neue Opernhaus)を名乗り、再びオペラを上演するようになる。これにより、劇場は国立歌劇場およびウィーン・フォルクスオーパー に次いでウィーン3館目の歌劇場となった。ただし、前二者と異なり専従の歌劇団(カンパニー)は存在しない。歌劇場として復活して最初の公演は、プラシド・ドミンゴ らが参加したガラ・コンサートであった。
総監督に就任したローラント・ガイヤーは、他2館のように日替わりで違った演目を用意するレパートリーシステム ではなく、同じ演目を一定期間にわたって上演する形態であるスタジオーネシステム を採用。モーツァルト作品やウィーン古典のほか、バロック・オペラや現代もののオペラを主な柱に据えるとしている。オペラ公演のオーケストラはウィーン交響楽団 、ウィーン放送交響楽団 およびウィーン・コンツェントゥス・ムジクス が務めている。
ウィーンのオペラファンの中には、規模・構造ともにウィーン古典オペラの上演に最適なこの劇場が、これまでミュージカル公演という“間違った使われ方”をされてきたと感じ、この方向転換を待ち望んでいたものも多かった。その一方で、長い伝統である「最新の、娯楽性の高い演目の初演が行なわれる劇場」としての位置づけ(「こうもり」などは今日でこそ国立劇場にも完全定着して久しいが、同劇場での初演当時は宮廷歌劇場のオペラと一線を画した作品だった先端娯楽作品だった)が消えることを惜しむ声も聞かれた。
主な初演作品
本文中で触れたものも含む。
交通
ウィーン地下鉄 U1・U2・U4線 Karlsplatz駅下車
バス 59A Bärenmühldurchgang/57A Laimgrubengasse下車
ギャラリー
ウィーン観光連盟による案内板
ベートーヴェンとその作品の世界初演の案内板
シカネーダーの星型記念プレート
モーツァルトの星型記念プレート
ベートーヴェンの星型記念プレート
脚注
^ de:Theater an der Wien によれば、皇帝の認可、建設開始ともに1800年とされている
^ Anton Bauer: 150 Jahre Theater an der Wien. Amalthea-Verlag, Zürich/Wien (u. a.) 1952, OBV , S.15f.
^ Bauer: 150 Jahre Theater an der Wien, S. 26–35.
^ Tadeusz Krzeszowiak: Freihaustheater in Wien, 1787–1801, Wirkungsstätte von W. A. Mozart und E. Schikaneder. Sammlung der Dokumente. Böhlau, Wien (u. a.) 2009, ISBN 978-3-205-77748-9 , S. 355, online .
関連項目
外部リンク
特記のない限りドイツ語・英語対応。