ウィリアム・V・プラット (USS William V. Pratt, DDG-44 ) は、アメリカ海軍 の駆逐艦 。ファラガット級駆逐艦 の1隻。艦名は海軍大学長および作戦部長 を歴任したウィリアム・V・プラット 大将にちなむ。
艦歴
ウィリアム・V・プラットは1958年3月7日にフィラデルフィア海軍造船所 で起工する。1960年3月16日にウィリアム・V・プラット夫人により命名、進水し、1961年11月4日に艦長ボイド・E・グスタフソン中佐の指揮下就役した。
西インド諸島 での整調訓練およびフィラデルフィア での信頼性試験後、ウィリアム・V・プラットは1962年9月に第18駆逐戦隊に加わった。バージニア州 ノーフォーク 沖での作戦活動に従事し、大西洋 および西インド諸島を巡航、1963年8月4日にノーフォークを出航しヨーロッパ 海域でNATO の演習「リップタイド IV」作戦に参加した。9月にノーフォークに帰還、第2艦隊 の通常任務を再開する。1964年2月8日に初めての地中海 配備に赴き、第6艦隊 と活動する。ノーフォークに8月9日に帰還し、東海岸および西インド諸島での通常任務を再開した。9月から10月にかけて再びヨーロッパを訪れNATOの演習「マスターストローク」および「チームワーク」に参加した。10月20日にノーフォークに帰還し第2艦隊の通常任務を再開、11月にはノーフォーク海軍造船所 に入渠し最初のオーバーホール が行われた。作業は1966年3月26日に完了し、海上公試が行われた。
4月15日、ウィリアム・V・プラットは新たな母港のフロリダ州 メイポート海軍ステーション に到着した。グアンタナモ湾 の作戦海域において5月から6月にかけて回復訓練を行い、7月3日にメイポートに帰還する。東海岸での通常任務を8月27日まで行い、再び地中海へ展開する。4ヶ月間の配備は12月17日に完了し、母港に帰還した。続く6ヶ月間、メイポート沖で活動する。西インド諸島を2度訪れ、メキシコ湾 も訪れた。また、バージニア岬沖で短期間の活動も行う。1966年7月、3回目の地中海配備に赴く。続く5ヶ月間を第6艦隊と共に活動し、12月10日に帰路についた。10日後、母港のメイポートに帰還した。
東海岸沿いおよび西インド諸島での6ヶ月間の通常任務に続いて、ウィリアム・V・プラットは1967年6月20日にメイポートを出航、ベトナム 海域に展開した。途中パナマ運河 を通過し、サンディエゴ 、真珠湾 、ミッドウェー島 、グアム に寄港、7月28日にフィリピン のスービック湾 に到着する。8月初めにフィリピンを離れ、トンキン湾 での任務に就く。8月12日にバークレー (USS Berkeley, DDG-15 ) と任務を交代し、9月まで同湾のステーションに留まった。スービック湾での維持作業の後、月末にトンキン湾に戻り救助任務を再開した。11月後半に香港 、台湾 を訪問し、南部救助ステーションでの任務の後横須賀 、ミッドウェー島、真珠湾を経由し帰国の途についた。12月31日にサンディエゴに到着、1968年1月2日にメイポートに向けて出航した。1月10日にパナマ運河を通過し、母港には16日に帰還した。
艦首のMk 42 5インチ砲 およびASROC ランチャー
1968年2月、ウィリアム・V・プラットはサウスカロライナ州 チャールストン へ移動、定時のオーバーホール準備に入る。3月1日にチャールストン海軍造船所 に入渠、6ヶ月間の作業が始められた。作業完了後9月6日にチャールストンを出航、2日後にメイポートに帰還した。西インド諸島での回復訓練後に任務を再開し、第2艦隊および第6艦隊での任務に交互に従事した。続く4年にわたってウィリアム・V・プラットは毎年ヨーロッパ海域に展開した。1969年1月7日、メイポートを出航し地中海に向かう。1月18日に第6艦隊と合流し、続く5ヶ月にわたって親善訪問および通常訓練に従事した。6月1日にスペイン のロタ に到着、3日に北に向けて出航し一連の対潜水艦戦訓練および北部ヨーロッパの港湾訪問に従事した。同任務は7月7日まで続けられ、その後ポーツマス を出港、帰国の途についた。7月15日にメイポートに帰還すると、第2艦隊での通常任務を再開した。任務は4月30日まで続き、その後再び地中海に向けて出航する。この配備では通常の演習および港湾訪問に加え、9月に発生したヨルダン内戦 に対して軍事介入を行ったシリア への牽制としてイスラエル 沖で警戒を行った。
アメリカの牽制によりシリア軍が撤退する前に、ウィリアム・V・プラットは9月前半から10月前半にかけてレバント 沖を巡行した。その後は第6艦隊での通常任務を再開し、11月1日にスペインのバルセロナを出航、帰途についた。
1970年後半から1971年7月までウィリアム・V・プラットはメイポートを拠点として東海岸沿いおよび西インド諸島で活動した。1971年の配備は8月前半に始まったが、北部ヨーロッパ海域での対潜水艦戦訓練およびヨーロッパ北部の港湾訪問で占められた。10月8日にメイポートに帰還、29日には主機を蒸留油対応の物に換装する作業が始められた。改修は1972年1月17日に完了し、沿岸での任務を再開、2月18日に再び第6艦隊での任務に向かった。春から初夏にかけて通常の訓練スケジュールおよび複数艦による演習、港湾訪問を行い、ロタでの式典の後6月28日に帰国の途についた。7月8日にメイポートに帰還、配備後の修理および大規模近代化オーバーホールの準備に入る。9月にウィリアム・V・プラットは対空近代化オーバーホールのためフィラデルフィア に移動し、フィラデルフィア海軍造船所 で退役した。
作業が終わると1973年10月6日に艦長ロドニー・B・マクダニエル中佐の指揮下フィラデルフィアで再就役する。23日、ウィリアム・V・プラットはフィラデルフィアを出航、新たな母港のサウスカロライナ州 チャールストンへ向かった。26日に到着し、その後12月にはオーバーホール後の整調訓練を行う。1974年初めに第2艦隊での任務を再開し、9月23日にチャールストンを出航、地中海配備に向かった。10月2日にスペインのロタ海軍基地 で第6艦隊の配下に入る。翌日地中海入りし、空母 インディペンデンス (USS Independence, CV-62 ) の護衛任務に従事する。続く5ヶ月にわたってウィリアム・V・プラットはインディペンデンス、サラトガ (USS Saratoga, CV-60 ) と共に訓練を行う。1975年3月8日にロタを出航、チャールストンに向かう。19日に母港に帰還し、一か月に及ぶ維持調整作業の後第2艦隊の通常任務を再開した。5月には海軍兵学校生の訓練巡航を行い、6月には即応訓練を行った。1975年7月1日にウィリアム・V・プラットはミサイル駆逐艦へ艦種変更され、DDG-44 の艦番号が与えられた。8月14日にチャールストンを出航、演習「UNITAS XVI」に参加しラテンアメリカ 諸国の海軍艦艇と共に活動した。1975年の大半はそれらの演習で占められ、12月8日にチャールストンに帰還、維持調整作業が行われた。
12月15日にチャールストン海軍造船所に入渠、作業は1976年3月29日まで続けられた。4月7日にチャールストンに戻り、第2艦隊の通常任務を再開する。任務は夏まで続き、独立記念日 にはニューヨーク で行われた国際観艦式 に参加した。10月4日、ウィリアム・V・プラットはジェシー・L・ブラウン (USS Jesse L. Brown, FF-1089 ) 、ジュリアス・A・フューアー (USS Julius A. Furer, FFG-6 ) 、ヴァルデス (USS Valdez, FF-1096 ) と共にチャールストンを出航、第6艦隊との任務に向かった。10月14日にロタに到着、16日に地中海入りする。配備の大半は空母フランクリン・D・ルーズベルト (USS Franklin D. Roosevelt, CV-42 ) の護衛任務であった。配備は1977年4月に完了し、4月11日にロタを出航、帰国の途についた。4月21日にチャールストンに到着、27日にチャールストン海軍造船所に入渠し10週間の信頼性確認作業が行われた。作業は7月8日に完了し、チャールストン沖での第2艦隊の通常任務を再開した。任務は1977年後半から1978年まで継続し、1978年7月11日にチャールストンを出航、南アメリカに向かい演習「UNITAS XIX」に参加する。この巡航で南米大陸 の周航を達成し、南米諸国の海軍部隊と共に即応訓練を行った。ウィリアム・V・プラットは12月3日にチャールストンに帰還、母港でその年の残りを過ごした。
ウィリアム・V・プラットはベトナム戦争 の戦功で1個の従軍星章を受章した。
外部リンク