1962年、27歳のレイナーは、スティーヴ・パクストン、ルース・エマーソンとともにジャドソン記念教会の牧師アル・カーマインズに会い、公演会場としての使用を打診した。この教会は当時すでに、ジャドソン詩人劇場およびジャドソン・アート・ギャラリーを展開していることで知られ、クレス・オルデンバーグ、アラン・カプロー、ロバート・ホイットマン、ジム・ダイン、トム・ウェッセルマンの作品を紹介していた。そして今度は、前衛的なダンスとその公演の会場になったのである。
レイナーは、身体をストーリーや劇を演じる媒体としてではなく、無限に多様な動きの源として扱うダンスへのアプローチで知られる。彼女が採り入れた多くの要素、すなわち反復、タスク、不確定性などは、やがてコンテンポラリーダンスではごく当たり前の特徴となった。1965年、レイナーがその近作 Parts of Some Sextets について『テュレイン・ドラマ・レヴュー(TDR)』に寄稿した文章の末尾で、有名な「ノー・マニフェスト」が書かれた。レイナーは2008年にこれについて「再考」している。
最も有名な作品の1つ、Trio A(1966年)は、元は The Mind Is a Muscle という長編作品の最初のセクションであった。エネルギーを均等に配分しながら動きを行うというTrio A のコンセプトは、因習的な「フレージング」のあり方、すなわち一つの動きあるいは一連なりの動きを行う際のエネルギー配分のあり方に対する批判を意味している。Trio A の革新は、あるフレーズ内でのエネルギー消費や、あるフレーズから別のフレーズへの移行の際のエネルギー消費において変化を消そうとする試みにある。その結果、フレーズの始めに強い「アタック」があって終わりで元に戻る、その途中のどこかでエネルギーが留保されるといった、例えばグラン・ジュテのような古典的な見た目が欠如することになった。この5分ほどの作品のもう1つの特徴は、演者が観客と目を合わせないことである。振付として、ダンサーが観客と向き合わざるを得ない時には、目を閉じるか、頭部が動くようになっている。以前の作品ではレイナーは動きを読みやすくする仕掛けとして反復を使用したが、この作品では動きは一切繰り返されない。Trio A は、こうしたエネルギー配分の仕方により、タスク指向のパフォーマンスと呼ばれることもある。動きの遂行に対するニュートラルで無味乾燥なアプローチや、観客との相互作用の欠如を強調しているためである。初演時は The Mind is a Muscle, Part 1 と題され、レイナー、スティーヴ・パクストン、デヴィッド・ゴードンによって同時に、ただしユニゾンではない形で踊られた。Trio A は広く教えられ、他のダンサーによっても踊られている。
レイナーの振付作品はこれまでに40を超えている。
主な振付作品
Three Seascapes(1961年)は3部構成のソロで、各セクションは動きと音の異なるタイプの関係を探る。[10] 第1部では、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の最後の3分間が流れる中、黒いオーバーコートを着たレイナーはステージの周囲を小走りに移動し続け、 時折横たわって丸くなる。第2部では、空間の中をゆっくりと移動しながら、体を痙攣のように波打たせる。ジャドソン教会での初演時には、ラ・モンテ・ヤングが集団とともに『テーブル、イス、ベンチのための詩』を演奏し、会場の周囲をめぐる回廊のコンクリートの床にこれらの家具をこすって凄まじいノイズを発生させた。第3部はレイナーが叫び声をあげながら黒いオーバーコートと20ヤードの白いチュールを辺りに叩きつけて回るという過激な内容だった。[11]
しばしばダンス作品に映像の要素を取り入れていたレイナーは、1972年に長編映画の製作に注意を向け始めた。[12] 女性の身体が男性の映画監督によってどのように見られ、客体化されているかに焦点を当てる彼女の映画のフェミニスト的な路線は、強い影響力を持ちつつあったローラ・マルヴィの「視覚的快楽と物語映画」などの重要なテキストが示したような、当時の新しいフェミニスト映画理論と共鳴していたのかも知れない。[17] レイナーの初期映画作品は因習的な物語構造に従わず、自伝と虚構、音声と字幕を組み合わせ、社会的かつ政治的な問題を扱っている。Lives of Performers(1972年)、Film About a Woman Who...(1974年)、Kristina Talking Pictures(1976年)などはダンスやパフォーマンスを主題とする実験映画である。これより後の作品には、Journeys from Berlin/1971(1980年), The Man Who Envied Women(1985年), Privilege(1990年), and MURDER and murder(1996)などがある。MURDER and murder は、物語構造においては因習的だが、レイナー自身の乳癌の経験を扱ったレズビアンのラヴストーリーである。
ダンスへの復帰
2000年、レイナーはダンスと振付に復帰し、ミハイル・バリシニコフのホワイト・オーク・ダンス・プロジェクトのために、After Many a Summer Dies the Swan を作った。[18] 2006年には、ジョージ・バランシンの『アゴン』の再解釈である AG Indexical, with a Little Help from H.M. と題した作品を振り付けている。[2] 古典的な作品に基づく振付は続き、ニジンスキー『春の祭典』にヒントを得た RoS Indexical (2007年)もある。 これはビエンナーレ Performa 07 のために委嘱されたもので、運営したパフォーマンスアート団体 Performa は以後レイナーのマネジメントを務めている。[19][20]
その後の作品には、Spiraling Down(2010年)、Assisted Living: Good Sports 2(2010年)、Assisted Living: Do You Have Any Money?(2013年)があり、後者では活人画における演劇的かつ歴史的な主題が、政治・哲学・経済に関するテキストの朗読とともに探求された。[21]
2015年、Performaとゲティ研究所の委嘱により、新作The Concept of Dust, or How do you look when there's nothing left to move? を作った。振付とともに、ダンサーたちとレイナー自身が、政治、歴史、ジャーナリズムに関わる幅広いテキストを断続的に朗読するパフォーマンスである。ニューヨーク近代美術館で初演された後、ヨーロッパを巡演し、イタリアのコモにあるアントニオ・ラッティ財団、フランスのマルセイユ・オブジェフ・ダンス、ルーヴル美術館などで上演された。[20][23] 2016年にはこの作品の改訂版 The Concept of Dust: Continuous Project-Altered Annually が、ニューヨークのザ・キッチンで、また翌年にはマルセイユ、ポルト、バルセロナで上演されている。
^Radical bodies : Anna Halprin, Simone Forti, and Yvonne Rainer in California and New York, 1955-1972. Bennahum, Ninotchka,, Perron, Wendy,, Robertson, Bruce, 1955-, Forti, Simone,, Rockwell, John, 1940-, Subotnick, Morton. Oakland, CA. (2017). ISBN9780520293366. OCLC956633830
Rainer, Yvonne (1974). Work 1961-73. Halifax, Nova Scotia: The Press of the Nova Scotia College of Art and Design, and New York: New York University Press. ISBN0-919616-04-6。
Rainer, Yvonne (1999). A Woman Who ... Essays, Interviews, Scripts. Baltimore, Maryland: The Johns Hopkins University Press. ISBN0-8018-6078-4
The Fales Library at NYU houses the Yvonne Rainer Grand Union performance videotape collection. This collection contains seven videotapes that document a series of Grand Union performances. The performances took place on May 28, 1972 at the Joe LoGiudice Gallery at 59 Wooster Street in SoHo.