この項目では、ヴェーダの宗教の用語について説明しています。仏教用語としての我については「我 」を、関東地方で展開する生活雑貨店については「京王アートマン 」をご覧ください。
アートマン (आत्मन् Ātman )は、ヴェーダの宗教 で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我 とも訳される。
インド哲学 の様々な学派における中心的な概念であり、アートマン、個人の自己(Jīvātman)、至高の自己(Paramātmā)、究極の現実(Brahman)の関係について学派によって異なる見解を持っている。これらは、完全に同一である(Advaita, 非二元論者)[ 2] 、完全に異なる(Dvaita, 二元論者)、非異なると同時に異なる(Bhedabheda, 非二元論者+二元論者)[ 3] 、などといった見解らがある。
ヒンドゥー教の6つの正統派では、すべての生命体(Jiva)にはアートマンが中に存在しているとの見解を持ち、これは「体と心の複合体」とは異なるものである。この見解は仏教 と大きく異なる点であり、仏教では常一主宰 ( じょういつしゅさい ) (永遠に存続し・自主独立して存在し・中心的な所有主として全てを支配する)な我の存在を否定して無我 説を立てた[ 4] 。
語源
梵 : ātman の本来の語義は「呼吸 」であったが、そこから転じて生命 、自己 、身体 、自我 、自我の本質 、物一般の本質自性、全てのものの根源に内在 して個体を支配し統一する独立の永遠的な主体 などを意味する[ 4] 。
最も内側 (the innermost) を意味する サンスクリット 語の Atma(アートマ)を語源としており、アートマンは個の中心にあり認識 をするものである。それは、知るものと知られるものの二元性 を越えているので、アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。
概念の発展
ヴェーダ
アートマンの語は『リグ・ヴェーダ 』以来用いられた[ 4] 。『シャタパタ・ブラーフマナ 』では、言語 、視力、聴力などの生命現象はアートマンを基礎としアートマンによって統一されているとされ、またアートマンは造物主 (Prajāpati)と全く同一ともされた[ 4] 。
ウパニシャッド
ウパニシャッド の時代には、アートマンが宇宙 を創造したと説かれた[ 4] 。また、アートマンは個人我(小我)であるとともに宇宙の中心原理 (大我)であるともされた[ 4] 。ブラフマン (宇宙原理、梵 : brahman )とアートマンが一体になることを求めたり、ブラフマンとアートマンが同一である(梵我一如 )とされたり、真の実在 はアートマンのみであって他は幻(梵 : māyā 、マーヤー )であるとされた[ 4] 。
また、アートマンは、宇宙の根源原理であるブラフマン と同一であるとされる(梵我一如 )[ 5] 。それは、宇宙の全てを司るブラフマン は不滅のものであり、それとアートマンが同一であるのなら、当然にアートマンも不滅のものであるという考えであった[ 5] 。
ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。これに従うならば、個人の肉体が死を迎えても、自我意識は永遠に存続するということであり[ 5] 、またアートマンが死後に新しい肉体を得るという輪廻 の根拠でもあった[ 5] 。
インド哲学において
ヒンドゥー教 正統派
アートマンはヒンドゥー教 徒にとって形而上学的・精神的な概念であり、しばしば聖典の中でブラフマンの概念と一緒に語られる[ 6] [ 7] [ 8] 。ヒンドゥー教の主要な正統派(六派哲学 )である、サムキヤ派、ヨーガ派、ニャーヤ派、ヴァイセシカ派、ミマムサ派、ヴェーダンタ派のすべてが、「アートマンは存在する」というヴェーダやウパニシャッドの基礎的前提を受け入れている[ 9] 。
ヒンドゥー哲学 、特にヴェーダンタ学派では、アートマンは第一原理 である[ 9] 。ジャイナ教もこの前提を受け入れているが、その意味するところは独自の考えを持っている。これに対して、仏教およびシャルヴァカ派は、「アートマン/魂/自己」というものの存在を否定している。
仏教
仏教では常一主宰な我 を否定し、無我 の立場に立つ。無我 を知ることが悟り の道に含まれる。
パーリ仏典 無記相応 の『アーナンダ経』では、釈迦はヴァッチャゴッタ姓の遊行者の以下の問いかけに対し、どちらにも黙して答えなかったと記されている[ 11] 。
我 (attā)はあるか?
我はないのか?
この問いに答えなかった理由は、あると答えれば常住論者 (sassatavādā)に同ずることになり、ないと答えれば断滅論者 (ucchedavādā)に同ずることになるからと説いている[ 11] 。一切漏経 でも同様に説く。
脚注
^ Richard King (1995), Early Advaita Vedanta and Buddhism, State University of New York Press, ISBN 978-0791425138 , page 64, Quote: "Atman as the innermost essence or soul of man, and Brahman as the innermost essence and support of the universe. (...) Thus we can see in the Upanishads, a tendency towards a convergence of microcosm and macrocosm, culminating in the equating of atman with Brahman".
^ * Advaita: “Hindu Philosophy: Advaita ”. Internet Encyclopedia of Philosophy . 9 June 2020 閲覧。 and “Advaita Vedanta ”. Internet Encyclopedia of Philosophy . 9 June 2020 閲覧。 * Dvaita: “Hindu Philosophy: Dvaita ”. Internet Encyclopedia of Philosophy . 9 June 2020 閲覧。 and “Madhva (1238—1317) ”. Internet Encyclopedia of Philosophy . 9 June 2020 閲覧。 * Bhedabheda: “Bhedabheda Vedanta ”. Internet Encyclopedia of Philosophy . 9 June 2020 閲覧。
^ a b c d e f g 総合仏教大辞典編集委員会(編)『総合仏教大辞典』 上巻、法蔵館、1988年1月、158-159頁。
^ a b c d 吹田隆道『ブッダとは誰か』2013年、41-44頁。ISBN 978-4393135686 。
^ A. L. Herman (1976). An Introduction to Indian Thought . Prentice-Hall. pp. 110 –115. ISBN 978-0-13-484477-0 . https://archive.org/details/introductiontoin00alhe
^ Jeaneane D. Fowler (1997). Hinduism: Beliefs and Practices . Sussex Academic Press. pp. 109–121. ISBN 978-1-898723-60-8 . https://books.google.com/books?id=RmGKHu20hA0C
^ Arvind Sharma (2004). Advaita Vedānta: An Introduction . Motilal Banarsidass. pp. 24 –43. ISBN 978-81-208-2027-2 . https://archive.org/details/advaitavedanta00arvi
^ a b Deussen, Paul and Geden, A. S. The Philosophy of the Upanishads. Cosimo Classics (June 1, 2010). P. 86. ISBN 1616402407 .
^ a b 魚川祐司『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』新潮社、2015年4月、84-88頁。ISBN 978-4103391715 。
参考文献
Plott, John C. (2000), Global History of Philosophy: The Axial Age, Volume 1 , Motilal Banarsidass, ISBN 978-8120801585
関連項目
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神々・英雄
リシ
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