アルベルト・ブニャク

アルベルト・ブニャク
名前
ラテン文字 Albert BUNJAKU
基本情報
国籍 スイスの旗 スイス
コソボの旗 コソボ
アルバニアの旗 アルバニア
生年月日 (1983-11-29) 1983年11月29日(41歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア ジラン
身長 178cm
体重 77kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1996-1998 スイスの旗 シュリーレン
1998-2000 スイスの旗 グラスホッパーズ
2000-2003 スイスの旗 YFユヴェントス英語版
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2005 スイスの旗 シャフハウゼン 39 (3)
2006 ドイツの旗 パーダーボルン 10 (1)
2006-2009 ドイツの旗 エアフルト 74 (34)
2012-2014 ドイツの旗 カイザースラウテルン 31 (13)
2014-2017 スイスの旗 ザンクト・ガレン 64 (1)
2017-2018 ドイツの旗 エルツゲビルゲ・アウエ 23 (1)
2018-2022 ドイツの旗 ヴィクトリア・ケルン 89 (34)
2022 ドイツの旗 ボナー 11 (1)
通算 383 (110)
代表歴
2004-2006 スイスの旗 スイス U-21 15 (7)
2009-2010 スイスの旗 スイス 6 (0)
2014-2016 コソボの旗 コソボ 6 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アルベルト・ブニャクAlbert Bunjaku, 1983年11月29日 - )は、ユーゴスラビア連邦コソボ自治州(後のコソボジラン出身で元コソボ代表サッカー選手。現役時代のポジションはFWアルバニア人である。

経歴

8歳の時に家族とともにスイスへ移住。グラスホッパー・クラブ・チューリッヒの下部組織を経て、2003年、当時チャレンジリーグ(2部)所属だったFCシャフハウゼンでプロデビュー。2003-04シーズンにはチームをスーパーリーグ(1部)昇格へと導いた。その後は、ブンデスリーガ2部SCパーダーボルン07FCロートヴァイス・エアフルトでプレー。2009年には1部に昇格したばかりの1.FCニュルンベルクへ移籍すると、移籍初年度にチーム最多の12得点を挙げる活躍を見せた。しかし翌年以降は怪我の影響もあり出場機会、得点ともに激減。2012-13シーズンからは当時2部に在籍していた1.FCカイザースラウテルンへ移籍した。カイザースラウテルンでは移籍初年度からキャプテンを務め、自身も13得点を挙げるなどチームを牽引。プレーオフに出場するもののTSGホッフェンハイムに敗れ1部昇格はならなかった。2013-14シーズン終了後、FCザンクト・ガレンに移籍し[1]、再びスイスでプレーすることとなった。

2017年1月12日FCエルツゲビルゲ・アウエに移籍した。

2022年5月、現役引退を表明した[2]

代表

2009年11月14日ノルウェー戦でA代表デビュー。2010 FIFAワールドカップでは当初はバックアップメンバーとしての登録だったが、マルコ・シュトレラーの負傷でエントリーメンバーに選出され[3]、グループリーグ第2戦のチリ戦に出場した[4]

2014年3月5日、自らのルーツであるコソボ代表がFIFA承認の初の国際試合となるハイチ代表戦を主催し、同代表に招集された。ブニャクは既にスイス代表での出場歴があったが、同試合は国際Aマッチ扱いにはならないため出場が可能となった。

脚注

  1. ^ FCSG verpflichtet Albert Bunjaku FCザンクト・ガレン公式ウェブサイト 2014年6月4日付
  2. ^ “Sechsfacher Schweizer Nationalspieler beendet seine lange Karriere [Six-time Swiss national player ends his long career]” (German). sport.ch. (19 May 2022). https://sport.ch/fussball-international/963444/sechsfacher-schweizer-nationalspieler-beendet-seine-lange-karriere 2024年10月8日閲覧。 
  3. ^ スイスの最終メンバーが決定”. uefa.com (2010年6月1日). 2014年5月17日閲覧。
  4. ^ Chile 1-0 Switzerland”. BBC Sport. 2014年5月17日閲覧。

外部リンク