高山 優希(たかやま ゆうき、1998年5月17日 - )は、大阪府大阪市出身[2]の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
経歴
プロ入り前
城東小学校在籍時に森之宮キャッスルで野球を始め、城陽中学校では大阪東ボーイズに所属[3]。同地区の箕面ボーイズには寺島成輝(元東京ヤクルトスワローズ)がおり、中学時代からしのぎを削っていた[4]。中学3年時には、野茂英雄が総監督を務め、アメリカへの遠征を行うNOMOジャパンに選出された[5]。この時共に選ばれた選手に、藤嶋健人や岩田将貴がいる[5]。
高校は大阪桐蔭に進学。1年秋にベンチ入りを果たし[6]、秋の近畿大会ベスト8に貢献した[4]。出場した2年春の第87回選抜高等学校野球大会では、準決勝の敦賀気比戦で甲子園デビュー。10点ビハインドの2回2死から登板し、4回1/3イニングを投げ、無失点に抑える好投を見せた[7]。2年秋からエースを任されると、秋の大阪大会では、準決勝の履正社の寺島に投げ勝つなど、優勝に貢献[4]。そのまま秋の近畿大会も制して、第46回明治神宮野球大会出場を決め、第88回選抜高等学校野球大会出場を確実なものとした[4]。明治神宮大会では、初戦(2回戦)で木更津総合の早川隆久に投げ勝つと[8]、続く準決勝では高松商業と対戦。9回に登板して三者凡退に抑え、自己最速となる150km/hを記録したが、チームは敗れた[9]。その後、出場が決まっていた3年春の第88回選抜高校野球大会直前で、腰に違和感を発症[4]。初戦の土佐戦では8回2安打無失点に抑えたが[10]、続く木更津総合戦では7回4失点で降板し、敗戦した[11]。春の大阪大会では、腰の違和感の影響でベンチ入りメンバーから外れ、治療に専念[12]。選手権大阪大会には間に合い、エースとしてメンバー入りするが、3回戦の関西大北陽戦に敗れ、3年夏を終えた[13]。
2016年10月20日に行われたドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズから5位指名を受け、11月17日に契約金3000万円、年俸520万円(金額は推定)で入団に合意した[14]。背番号は48。
プロ入り後
2017年から2019年のプロ入り3年間で一軍出場はなく、二軍での通算成績は72試合の登板で5勝6敗、防御率6.25に留まり[15]、2019年10月24日に戦力外通告を受けた[16]。その後、11月19日に育成選手として再契約した[17]。背番号は148。
しかし、2020年は21試合の登板で0勝1敗、防御率13.00[18]、2021年は35試合の登板で2勝1敗、防御率3.83[19]、2022年は22試合の登板で0勝2敗、防御率10.57(いずれも二軍戦績)と[20]、結果を残すことができず、2022年10月3日に戦力外通告を受けた[21]。
このことを機に一時は引退を決意し[22]、12球団合同トライアウトにも参加しなかった[23]。しかし、2022年1月に結婚した妻から後押しされ、翌2023年の12球団合同トライアウトを受験し、NPB復帰を目指すことを決意[22]。2023年シーズン中は、都内の施設で自主トレを重ねた[22]。7月26日からは、関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)の堺シュライクスに所属し[24]、7試合に登板して1勝0敗1H、防御率3.60を記録[25]。リリーフでは6試合の登板で防御率1.29の成績を残した[25]。シーズン終了後の12月1日に、堺を自由契約となったことが発表された[26]。同月27日に放送された『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達』に出演し、トライアウト後に四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスからオファーがあったものの、目標としていたNPB球団からのオファーがなかったため現役引退を決断し、広告関係の仕事に就職したことが明らかになった[27]。
選手としての特徴・人物
最速150km/hの速球が持ち味[2]。球種はスライダー、カーブ、SFF。
日本人の父親、フィリピン人の母親を持つハーフである[28]。2020年2月10日には第5回ワールド・ベースボール・クラシック予選のフィリピン代表に選出された[29]。しかし、COVID-19の影響で予選が延期となり、2020年9月に行われた予選では、フィリピン代表は予選招待国から外され、出場しなかった。
詳細情報
年度別投手成績
独立リーグでの投手成績
出典は一球速報.com[30]。
背番号
- 48(2017年 - 2019年、2023年7月 - 同年終了)
- 148(2020年 - 2022年)
脚注
関連項目
外部リンク