長田 克史(おさだ かつし、1957年6月25日 - )は、山梨県南巨摩郡中富町(現:身延町)[1]出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
来歴・人物
山梨・市川高では1年生から遊撃手のレギュラーとなる。2年秋から主将を務め[1]、控え投手もこなした。1974年秋季関東大会準決勝に進むが、小山高に敗退。翌1975年春季関東大会は1回戦で土屋正勝が先発した銚子商に5回コールドで敗れる。同年夏は大会直前に不祥事で大会出場を辞退している[1]。
高校卒業後は社会人野球の日産自動車を経て、1980年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズからドラフト4位指名を受け入団[1]。1983年には3試合に三塁手として先発出場を果たすが、その後は活躍の場に恵まれず、1986年限りで現役を引退[1]。
現在は、中日球団職員で、球団合宿所副寮長やナゴヤ球場管理担当となっている[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
脚注
- ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、128ページ
関連項目
外部リンク