錦織義継

 
錦織義継
時代 南北朝時代
生誕 不明
死没 承久3年6月19日1221年7月10日[1][2]
官位 七条院判官代[1][3]
氏族 錦織氏
父母 父:錦織義高[1][3]
テンプレートを表示

錦織 義継(にしごり よしつぐ)は、鎌倉時代初期の武将

経歴

近江の人[2]。弓馬、相撲を能くした[1]承久3年(1221年承久の乱では上皇方に属し、6月2日に美濃墨俣に出陣する[1]。しかし敗走し、6月19日、北条泰時の居所に討ち入るが、佐野基綱らに手足を斬られ没した[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f 安田 1985, 458頁.
  2. ^ a b 上田ほか 2001, 1434頁.
  3. ^ a b 藤原 1904, 十巻3頁.

参考文献