遠藤 大地(えんどう だいち、1999年〈平成11年〉4月4日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走。宮城県大崎市出身。
大崎市立三本木中学校、宮城県古川工業高等学校卒業。帝京大学陸上競技部所属。
来歴
中学校・高校時代
中学校ではバスケットボール部に所属しており、毎年シーズンオフ時に臨時で陸上部として大会に出場していた[1]。元々走ることは好きではなく、当初はモチベーションこそ高くなかったが、3000メートル競走で宮城県中学校総合体育大会陸上競技大会8位と実績を残していた[1][2]。
高校卒業後に就職を見据えて工業高校である古川工業高校に進み、そこでもバスケをするつもりだったが、古川工業の陸上部の先生から「バスケ部でやるという強い思いがないならうちでやらないか?」と言われ、新しいことに挑戦しようと陸上部に入部した[1]。
高校1年時から県駅伝で1区を担うほどの実力はあったが、2年時まで全国大会とは無縁で、大学進学は諦めようとしていた[2]。
そんな中、高校2年時の秋にチームを見に来た帝京大学の中野孝行監督にスカウトを受け、その時に「がんばったら、箱根を走るチャンスはあるよ」と言われ、「自分も箱根駅伝を目指してもいい立ち位置になったのかな」と思うようになった[1][2]。その思いから親に大学進学を申し出たが、就職してほしいと考えていた親と口論になり、一度は諦めざるを得なかった[1]。
遠藤はその年の冬に5000mで15分切りを果たし、高校3年時に5000mでインターハイに出場したが、結果は14分54秒56で予選敗退だった[1]。しかし、そのインターハイをきっかけに大学から声をかけられる機会が増え[3]、当初は進学に反対していた親も大学進学への背中を押してくれた[1]。
大学時代
大学1年時には、ルーキーながら学生3大駅伝全てに出走し、出雲駅伝は1区区間11位、全日本大学駅伝は4区区間3位、箱根駅伝は3区で8人を抜き、順位を14位から6位に上げる区間3位の成績を残した[1]。トラックでは5000mで3度自己ベストを更新し、10000mではこの年のルーキーでは最速となる28分34秒88の自己ベストをマークした[1][2]。6月に行われた全日本大学駅伝関東地区選考会では1組に登場し、2着以下に100m近い差をつけ1位でゴールした[2]。
大学2年時には、5000mで13分55秒97と自己ベストを更新し、その翌週の出雲駅伝では2区区間9位[1]。全日本大学駅伝には出場しなかったが、箱根駅伝で3区区間2位の快走を見せ、森田歩希が保持していた日本人最高記録を3秒上回る1時間1分23秒で走りきった[2]。
大学3年時では、出雲駅伝の中止により全日本大学駅伝が大学駅伝の開幕となり、4区を走ったが、区間12位と苦しみ、順位を5位から11位に下げた[1]。コロナ禍で練習量が極端に減り、駅伝シーズンに入ってもなかなか調子が上がらなかったが[4]、その後火がつき急ピッチで仕上げ[5]、迎えた箱根駅伝では区間4位ながら8人を抜き、チームを2区の14位から6位に上げる好走を見せた[6][7]。
大学4年時には、大学で陸上競技を引退する予定ということを表明した[2]。競技では前季の反省を踏まえ前半戦から例年以上に走り込み[4]、出雲駅伝では2区で区間5位、全日本大学駅伝では3区で区間6位と奮闘した[8]。
そしてラストレースとなった箱根駅伝では、区間4位の走りで2人を抜き5位から3位に順位を上げて4区に襷を渡した[9]。
大学卒業後は前述の通り陸上を引退し、建設現場や工事現場などの重機をリースする会社に就職予定となっている[10]。
大学駅伝戦績
年度 |
出雲駅伝 |
全日本大学駅伝 |
箱根駅伝
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1年生 (2018年度) |
第30回 1区-区間11位 24分00秒[11] |
第50回 4区-区間3位 34分38秒[12] |
第95回 3区-区間3位 1時間2分32秒[13]
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2年生 (2019年度) |
第31回 2区-区間9位 16分46秒[14] |
第51回 ー ー ー 出場なし |
第96回 3区-区間2位 1時間1分23秒[13]
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3年生 (2020年度) |
第32回 (開催中止) |
第52回 4区-区間12位 34分56秒[15] |
第97回 3区-区間4位 1時間2分56秒[13]
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4年生 (2021年度) |
第33回 2区-区間5位 16分24秒[16] |
第53回 3区-区間6位 34分28秒[17] |
第98回 3区-区間4位 1時間1分39秒[13]
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人物
- 家族構成は両親と祖父母と姉2人[18]。
- 普段から物静かな性格[18]。
- 名前である「大地」の由来は、生まれた4月4日が遠藤家の「稲の種まきの日」で、大地のように強く育つ願いが込められているというもの[19]。
- スポーツブランドのミズノが大学1年時から遠藤をサポートしており、どんな大会でもミズノのシューズで走っている[20]。
- 高校生の頃は下りが得意だったため、箱根駅伝で6区を走ってみたいと思っていた[8]。
脚注
関連項目
外部リンク