谷川 創平(たにかわ そうへい、1962年 - )[1]は、日本の撮影監督。埼玉県出身。埼玉県立朝霞高等学校、日本大学芸術学部 映画学科卒業。血液型O型。趣味は音楽鑑賞、映画鑑賞。
人物
元々は埼玉県在住であったが小学校四年の時に父親の転勤で一時期九州に転居。その後再び埼玉(上福岡市)に戻る。ロックが盛んな街だったこともあり[2]、中学生のころからロックボーカリストとしてミュージシャンを目指し活動を開始。高校時代には手弁当で子供ばんどのローディを経験。しかし、高校2、3年の頃になると自身の才能に限界を感じミュージシャンの道を諦める。当時、たまたまリバイバル上映していた『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』を観て、「キャメラマンになればロックコンサートに行ける」と、単純な発想からカメラマンを目指すことになった。
日大芸術学部映画学科に入学して撮影の基礎を学び[3][4]、卒業後、まずは勉強と経験をかねてドキュメンタリー制作会社に就職し映像制作の世界に飛び込む。当時は16mmフィルムで仕事をこなしていたが、やがて35mmの世界へのステップアップをめざし約5年で会社を退職しフリーランスに。友人の紹介で撮影監督岡崎宏三の元で3rdとして『流転の海』などの撮影に参加するなど約一年間活動する。1991年には五社英雄監督作品『陽炎』の撮影に参加。これ以降、撮影部として様々な作品に関わり映画業界にのめり込む。
40歳の時には岡崎宏三の推薦で、文化庁が実施している「新進芸術家海外研修制度」[5]に応募し、一年間のロンドン留学を経験。この時の経験が後の作品制作に影響を与えていると本人が語っている。
2021年に東京藝術大学大学院 映像研究科 映画専攻 撮影照明領域教授に就任した。
作品
撮影監督作品
撮影チーフ作品
その他
- 子供ばんどのローディーとして活動していたのがきっかけで、彼らのアルバム『WE LOVE 子供ばんど』に収録されている“踊ろじゃないか”という楽曲にコーラスとして参加している。また、アルバムジャケットに名前がクレジットがされている。
- 大学の同級生には映画監督の手塚真、脚本家の長谷川圭一、ミュージックビデオ監督の板屋宏幸等がいる。1983年には手塚真が監督した短編映画『はまぐり』(伊武雅刀主演の16mm作品)で撮影監督を務めた。
- 大学入学と同時に殺陣同志会へ入部し結局4年間在籍。尚、過去には真田広之も所属していた。
注釈
- ^ weblio辞書
- ^ 1970年代後半当時は、子供ばんど、アレレ(後のスターダストレビュー)、スーパーイマージュ(松本孝弘が所属)、スピードウェイ(後のTM NETWORK)、[[アナーキー (バンド)|]]などが当地で活動していた。彼らの活動の場としてライブ喫茶「のらろば」が有名。
- ^ white-screen.jp「転々」撮影監督 谷川創平氏に訊く、HDVでの映画撮影2007.11.09 Friより
- ^ この頃まではまだ映画にそれほど強い興味を持っていなかったと後に本人が語っている。
- ^ この制度は文化庁が実施している芸術方面の人材育成制度。将来の文化芸術の振興を担う人材を育成するため、各分野の若手芸術家等に海外で実践的な研修に従事する機会を提供するため、各研修員が海外の芸術団体や劇場等で実地研修する際の渡航費・滞在費を支援する。渡航先での滞在期間は、1年、2年、3年、80日(特別)から選択可能。
外部リンク