西村 高兄(にしむら たかえ、1900年(明治33年)1月1日 - 1988年(昭和63年)7月5日[3])は、昭和時代前期の拓務官僚、台湾総督府官僚。
経歴・人物
高知県土佐郡地蔵寺村(現・土佐町西部)に生まれる。東京府立第一中学校、第一高等学校[4]を経て、1924年(大正13年)3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業する。翌年11月、高等試験行政科に合格し、さらに翌年の1926年(大正15年)2月に樺太庁内務部殖産課に奉職。1927年(昭和2年)7月より同庁警視警察部警察官練習所長を兼任し、同年9月に同庁事務官長官官房調査課長に転じた。
ついで拓務事務官管理局大臣官房会計課勤務を経て、1931年(昭和6年)9月に台湾総督府に転じ、事務官内務局地方課長に就任。のち殖産局山林課長兼鉱務課長、内務局地方課長兼地理課長、同局防空課長兼総督官房企画部長、官房文書課長を歴任し、1942年(昭和17年)7月に台湾総督府文教局長に就任。2年後の1944年(昭和19年)7月、坂口主税に代わり台北州知事に就任した[7]。ほか、皇民奉公会中央本部生活部長を務めた。戦後、公職追放となった[4]。
著作
脚注
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、944頁。
- ^ a b 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、255頁。
- ^ 『重修台湾省通志』
参考文献
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五州三庁時代 |
- 相賀照郷1920.9.1-1921.9.17
- 高田富蔵1921.9.17-1924.12.23
- 吉岡荒造1924.12.23-1927.7.27
- 三浦碌郎1927.7.27-1928.7.21
- 高橋親吉1928.7.21-1929.4.20
- 片山三郎1929.4.20-1931.5.8
- 宇賀四郎1931.5.8-1931.9.12
- 平山泰1931.9.12-1932.3.15
- 中瀬拙夫1932.3.15-1933.8.4
- 野口敏治1933.8.4-1936.2.26
- 今川淵1936.2.26-1936.10.16
- 藤田傊治郎1936.10.16-1939.1.28
- 戸水昇1939.1.28-1939.12.28
- 川村直岡1939.12.28-1941.5.14
- 三輪幸助1941.5.14-1942.7.3
- 梁井淳二1942.7.3-1943.11.13
- 坂口主税1943.11.13-1944.3.20
- 西村高兄1944.3.20-1945.5.23
- 高橋衛1945.5.23-1945.10.25
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