藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3日[1] - 1996年(平成8年)5月27日)は日本の実業家、政治家。フジタ、藤和不動産各相談役[1]。広島地方区選出の自由民主党参議院議員。第16代参議院議長(在任期間・1986年7月22日 - 1988年9月30日)、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、自由民主党参議院議員会長を歴任。
経歴
広島県広島市出身[2]。父・定市は広島県賀茂郡黒瀬町(現:東広島市)出身で、広島市で土木建築請負業を営んでいた[3]。
修道高校卒業。1944年、早稲田大学商学部卒業[1][2]。藤田組(現:フジタ)入社[2]。1945年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、東白島町の藤田家は倒壊した[4]。1962年、同社副社長に就任[1][2]。
1965年、参院選広島県地方区で初当選、以降連続4度当選。大平派(のち鈴木派)に所属し大蔵政務次官、参院大蔵委員長などを歴任。参院の反三木運動の中心人物として知られ、参院国会対策委員長や自民党参院幹事長などで与野党伯仲下の参院運営に力を発揮した。
1976年、総理府総務長官兼沖縄開発庁長官[2]。1986年、参議院議長に就任、比例代表制の改革に意欲的だったが、病気のため1988年9月辞任した。
人物
政治家として
政治家志望の青年を集めて勉強会を主宰。勉強会の参加者には藤和不動産の給料の名目で資金援助があり、森喜朗が政治家になる前の失業中に面倒を見てもらったと話している[5]。
スポーツとのかかわり
正明はサッカーと競馬に関わり、修道高、早大といずれもサッカー選手だった。正明は自身あるいは関連企業を通じてサッカーや競馬に深くかかわった。日本サッカーリーグ (JSL) で3度優勝した「フジタ工業サッカー部(現:湘南ベルマーレ)」、皇后杯全日本女子サッカー選手権大会で優勝した「フジタ天台SCマーキュリー」の創部[6]。正明自身は広島フジタSCのオーナーでもあった。
競馬の馬主としても活動し日本馬主協会連合会会長も務めた。トウショウ産業株式会社を立ち上げ、藤正牧場(現:トウショウ牧場)を設置、「トウショウ」の冠名で知られる。存命中に活躍した著名馬には「天馬」と呼ばれるトウショウボーイ、桜花賞馬シスタートウショウなどがいる[7]。トウショウ産業代表は実子・藤田衛成が継いだが、平成末期に会社を解散させた。
また、兄の一暁はミュンヘンオリンピック100m平泳ぎで金メダルを獲得した田口信教を輩出するなど1970年代に日本の男子水泳の中心となった「フジタドルフィンクラブ」を創設した。
その他
趣味はゴルフ、囲碁、動物育成[1]。宗教は浄土真宗[1]。住所は広島市南区翠町、東京都渋谷区元代々木町[1][8]。
家族・親族
- 藤田家
- 親戚
略歴
選挙歴
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 山口比呂志、内橋克人、大隈秀夫『財界人国記 中国編・四国編・九州編』サンケイ出版、1978年。
- 『政治家人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
- 人事興信所編『人事興信録 第38版 下』人事興信所、1995年。
- 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。
関連項目
参議院大蔵委員長 (1972年-1973年) |
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第1回 (定数4) |
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†:当選無効、↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。 |