第二次世界大戦記念碑(だいにじせかいたいせんきねんひ、英語名National World War II Memorial)は、第二次世界大戦時に徴兵され、そして戦死したアメリカ兵への追悼の意を込めて建造された国立の記念碑の名称。アメリカ合衆国首都ワシントンD.C.の中心部に位置する、ナショナル・モールに建立されている。位置は以前記念碑が建設される前に、リフレクティング・プールの東端にあったレインボープールが設置されていた場所に建てられており、ここはリンカーン記念館とワシントン記念塔の間にあたる。
この記念碑は2004年4月29日に一般公開となり、この年の戦没者追悼記念日(5月の最終月曜日)の2日前にあたる2004年5月29日、アメリカ合衆国第43代大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュによって記念碑の除幕式が正式に行われた。現在同記念碑は国立公園局(National Park Service)が管轄する、ナショナル・モールと記念公園団体(National Mall and Memorial Parks group)によって管理されている。
1994年10月、大統領は第二次世界大戦記念碑がワシントンD.C.の中心街並びに他の記念碑の近隣に建設されることを定めた法律である、共同決議案第227号に署名した。翌1995年1月20日、アメリカ戦闘記念碑委員会と記念碑顧問委員会は、記念碑の建設用地について最初の共同委員会を開いた。この委員会には、美術委員会(Commission of Fine Arts、略称CFA)、アメリカ合衆国首都計画委員会(National Capital Planning Commission、略称NCPC)、アメリカ合衆国首都記念碑委員会(National Capital Memorial Commission、略称NCMC)、そして国立公園局と、合衆国陸軍工兵隊も参加した。
「私達のモール地区を守る国民連合(National Coalition to Save Our Mall)」などの批評家たちは、記念碑のデザインと建設位置に反対の意を表した。論争の中心となったのは、第二次世界大戦記念碑がワシントン記念塔とリンカーン記念館の間の景観を妨げているというものであった。またワシントン大行進をはじめ、歴史的に大規模なデモや抗議が行われた自由な空間を縮めたということへの批判も噴出した。
デザインについての美学的異論もあった。タブロイド紙のボストン・ヘラルド(Boston Herald)は、記念碑を「うぬぼれが強く、余りに多くの注意を引き付け、陳腐な表現に満ちたものである」と評している。また、フィラデルフィアの日刊新聞であるフィラデルフィア・インクワイアラー(The Philadelphia Inquirer)紙は、「こうした尊大な建築形式は、ヒトラーやムッソリーニも好んだ」として皮肉を込めて記念碑を書き記している。
Forgey, Benjamin, "Site-seeking at the Mall: Placing World War II memorial in the grand scheme of things", The Washington Post, 1995 July 1, pp. C1.
Forgey, Benjamin, "No Accord on WWII Memorial; Two Agencies Send Mixed Signals About Location", The Washington Post, 1995 July 28, pp. B3.
Forgey, Benjamin, "WWII Memorial Gets Choice Mall Site; 2nd Panel Approves Location, Clearing Way for Design Phase", The Washington Post, 1995 October 6, pp. B1.