第三次朝鮮スパイ事件(だいさんじちょうせんスパイじけん)とは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)によるスパイ事件[1][2][3]。1955年(昭和30年)6月26日、警視庁摘発(検挙)[1][2][3]。北朝鮮工作機関が工作員の獲得工作、大韓民国国軍の情報、日朝貿易開始のための政治・経済情勢等を収集していたことが発覚した[1][3]。
概要
竹村基こと韓載徳は1953年(昭和28年)4月に北朝鮮工作員に採用され、スパイ訓練を受けた後、1953年8月、長崎県南高来郡小浜町冨津港(現、雲仙市)より無線技士工作員とともに無線機器4台を携行して日本に密入国した[3]。指示したのは北朝鮮内務省第3処第7部であった[1][注釈 1]。密入国後は、
- 工作員の獲得工作による在日スパイ網の埋設
- 日本の政治・経済・軍事情報の収集
などの任務を行っていた[3]。
のちに、北朝鮮より新たに派遣された工作員より、
の新しい任務を与えられて活動した[3]。
警視庁は、1955年6月26日、他の北朝鮮工作員を脱出させようとしていた韓載徳(当時40歳)を逮捕するとともに、1956年(昭和31年)までに関係者22名を逮捕した[3]。
1957年(昭和32年)5月13日、東京地方裁判所は、スパイ網を組織していた韓載徳に対し、出入国管理令・外国人登録法違反で懲役1年6カ月、執行猶予4年の判決を下した[3]。韓は1959年(昭和34年)、韓国に出国した[2]。
脚注
注釈
出典
参考文献
関連文献
外部リンク