「私のお父さん 」(わたしのおとうさん、イタリア語 : O mio babbino caro )は、ジャコモ・プッチーニ が作曲し、ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ がリブレット(オペラ台本) を書いた1918年初演 のオペラ 『ジャンニ・スキッキ 』の中で、ソプラノ が歌うアリア 。比較的短いアリアであるため、アリエッタ (arietta) として言及されることもある[ 1] 。
ラウレッタの父スキッキと、彼女が想いを寄せる青年リヌッチョの家族との緊張が高まり、彼女とリヌッチョの仲が引き裂かれそうになったところで、ラウレッタが歌う曲である。中世フィレンツェ の偽善、嫉妬、裏切り、争いといった雰囲気とはまったく対称的に、素朴な情感と愛が詩情をもって歌われる。通作形式によるこのオペラ作品の中でも、一番の聴かせどころとなっている定番曲である。『ジャンニ・スキッキ 』の中でも最も広く知られた曲である[ 1] 。
日本語では、「わたしのお父さん [ 2] 」、「私のお父様 [ 3] 」、「わたしのいとしいお父さん [ 2] 」、「私のやさしいお父さん [ 4] 」、「わたしの優しいお父さん [ 5] 」、「オオ・ミオ・バッビーノ・カーロ [ 3] 」、「オ・ミオ・バッビーノ・カロ [ 6] 」などの曲名で言及されることがある。
おもな演奏、録音
1918年 12月14日 、『ジャンニ・スキッキ 』の世界初演でラウレッタを演じたフローレンス・イーストン 。
このアリアを公演で最初に披露したのは、1918年 12月14日 、ニューヨーク のメトロポリタン歌劇場 における『ジャンニ・スキッキ 』の世界初演に出演したフローレンス・イーストン (英語版 ) で[ 7] 、彼女はその少し前の時期にあたるエドワード朝 のイングランド で人気の高いソプラノ歌手だった。以降、多数のソプラノ歌手がこの曲を歌っている。
イギリス のソプラノ歌手、デイム ・ジョーン・ハモンド (英語版 ) が英語の歌詞で「O My Beloved Daddy」として歌ったバージョンは、78回転盤(SP盤)の時代から45回転盤シングルの時代にかけて長く流通した[ 8] 。彼女は、この曲のレコードを百万枚以上売り上げたとして1969年 にゴールドディスク を獲得した[ 9] 。
このアリアは、ポピュラー音楽 やクロスオーバー の歌手たちもしばしばコンサートで取り上げ、リサイタルのアンコール などで歌っている。
マルコム・マクラーレン は、オペラの楽曲のリミックスを集めた1984年のアルバム 『ファンズ (Fans )』に、この曲をもとにしたトラック「Lauretta」を収録した[ 10] 。
音楽
この短いアリアは、32小節から成り、2分あまり[ 1] 、ないしは、2分半から3分ほどで演奏される。変イ長調 、8分の6拍子 で書かれており、速度記号 は「andantino ingenuo 」 ( = 120 ) となっている。声域 は、E♭ 4 からA♭ 5 を要し、テッシトゥーラ は F4 からA♭ 5 の範囲である。オーケストラ による5小節の前奏は変ホ長調 、4分の3拍子で、ストリングス によるオクターブ のトレモロ で構成されている。オペラの作中では、この5小節は、リヌッチョとのやり取りの後で、ジャンニ・スキッキの台詞が徐々に弱まっていくところにかかる。リサイタルなどで単独の曲として演奏される場合の編曲では、主題となる旋律 の提示で始まることが多い。伴奏にはストリングスに加え、アルペッジョ を奏でるハープ が用いられる。
歌詞
イタリア語 原詞
大意
O mio babbino caro,
mi piace, è bello, bello,
Vo'andare in Porta Rossa
a comperar l'anello!
Sì, sì, ci voglio andare!
E se l'amassi indarno,
andrei sul Ponte Vecchio ,
ma per buttarmi in Arno !
Mi struggo e mi tormento!
O Dio, vorrei morir!
Babbo, pietà, pietà!
Babbo, pietà, pietà!
ああ、私の愛しいお父さん
私は彼を愛しているの、彼は素敵、素敵
ポルタ・ロッサへ行きたいの
指輪を買いに
そうよ、そうなの、私は行きたい
そしてもし、彼への愛が無駄になったら
私はヴェッキオ橋 に行って
アルノ川 に身を投げてしまいたい
私は苦しんで、耐えてきたの
ああ、神様、私は死にたい
お父さん、許して、許して
お父さん、許して、許して
脚注
外部リンク