相川 広秋(あいかわ ひろあき、1903年(明治36年)1月1日 - 1962年(昭和37年)1月27日[4])は、昭和期の日本の水産学者。
経歴・人物
1925年(大正14年)、東京帝国大学農学部水産学科を卒業後、農林省(現 農林水産省)水産講習所・水産試験場技師を経て、1942年(昭和17年)より九州帝国大学の教授となり、同大天草臨海実験所長、長崎大学教授、水産庁調査研究部長、津屋崎水産実験所長を兼任[2][3]。その他、中央漁業調整審議会委員、日本学術会議会員などを歴任した[3]。プランクトンの研究に従事し、国内の水産資源学の発展に尽力した[2]。1938年(昭和13年)、「日本産短尾甲殻類ノ幼形ニ関スル研究」で農学博士[3]。
脚注
- ^ 『人事興信録 第20版 上』(人事興信所、1959年)あ22頁
- ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『相川広秋』 - コトバンク
- ^ a b c d 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)『相川 広秋』 - コトバンク
- ^ 『水産年鑑 昭和38年版』(水産週報社出版部、1963年)p.48