漢江(ハンガン・かんこう、朝: 한강、英: Han River)は、朝鮮半島、主に大韓民国(韓国)統治圏の北部を流れる河川。全長494 km、流域面積35,770 km2。洛東江に続いて韓国2位の長さであるが、流域面積は洛東江より広く、韓国1位である。
概説
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)統治地域の江原道通川郡に源を発し、春川市など江原特別自治道北部から京畿道北東部を南流してきた北漢江と、江原特別自治道南部の太白市に源を発し、忠清北道東部、京畿道南東部を北流してきた南漢江が、河南市・南楊州市・楊平郡の境で合流し、ソウル特別市の中央部を北西方向へ流れ、坡州市の烏頭山統一展望台付近で臨津江と合流し黄海の江華湾(朝鮮語版)(京畿湾)に注いでいる。ソウル周辺では1 kmを超える川幅があった。
漢江はかつて韓川または阿利水とも言われ、ハンという意味は韓国語で王もしくは大きいという意味である。昔ハングルを使わなかった時代、ハンを表すために「漢江」を借用語として使ったのが定着した[1]。
漢江にはチョウセンイチモンジタナゴ(英語版)、チョウセントゲタナゴ(英語版)、クロヒレヒガイ(英語版)、スナメリ、クロベンケイガニなどの水生生物およびカルガモ、ゴイサギ、シマアオジ、クロツラヘラサギなどの鳥類が生息している。ソウル中心部の中州の栗島とオオタチヤナギ(英語版)の生える高陽市の獐項湿地(朝鮮語版)はラムサール条約登録地である[2][3]。
河口付近(臨津江との合流部より下流)は北朝鮮との軍事境界線が設定されており、民間の船舶は航行が制限されている。
朝鮮戦争中の1950年6月28日、北朝鮮軍の南下阻止のために、この川に架かるソウル市内の漢江人道橋(漢江大橋)が韓国軍によって爆破された際には、多数の避難民が巻き込まれ多くの犠牲者が出た(漢江人道橋爆破事件)。
1960年代以降の韓国の高度経済成長のことを漢江にちなんで「漢江の奇跡」と呼ぶ。
1982~86年には、1988年ソウルオリンピック関連事業を兼ねて、漢江総合開発事業が実施された[要出典]。流路を幅725~1175メートル(m)に拡げ、平均水深を2.5mとした。ここから出てきたバラス、砂利など約7000立方メートル(㎥)のうち約5300㎥を建設資材(骨材)として売却し、骨材に使用しがたい土砂1555㎥は、河川工事の敷地造成、オリンピック道路造成の盛土材として使用された。もし河床整備のために貯水路掘削工事を業者に依頼していれば工事代金で約1500億ウォンを支出する必要があったが、骨材売却のおかげで、逆に業者から2000億ウォンを受け取った。漢江改修事業は、貯水路整備、分流下水管路建設、河川敷地高洲造成、オリンピック道路建設造成、河川敷地の市民公園化で構成された。河川敷地に造成された漢江市民公園は13地区、総面積693㎢だった。体育施設、娯楽施設、釣り場など、ソウル市民が余暇を楽しめる緑地空間と施設が整えられ、漢江を単純な「流れる水」ではなく「水の公園」とする狙いがあった[4]。
2013年3月には、漢江のコンクリート護岸を撤去の上、汝矣島周辺などに「漢江の森」を造成する計画などを盛り込んだ「漢江自然性回復基本構想」をソウル特別市が発表した[5]。
漢江下流の橋一覧
ソウル特別市と京畿道には27の橋が漢江に架かっている。仁川国際空港または金浦国際空港からバスでソウル東部のロッテホテルなどへオリンピック大路に沿って移動する際には、加陽大橋からオリンピック大橋まで19の橋を見ることができる。
夜間にライトアップされる橋もいくつかある。永東大橋については 李成愛(イ・ソンエ)、周炫美(チュ・ヒョンミ)などが歌う流行歌「雨降るヨンドンギョ(永東橋)」が日本でも比較的知られている。
支流
下流より記載
関連項目
脚注
外部リンク
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