準西国稲毛三十三所観音霊場(じゅんさいごくいなげさんじゅうさんしょかんのんれいじょう)は、江戸時代中期に開創された、武蔵国橘樹郡稲毛領(現在の神奈川県川崎市)の33ヶ所を巡る西国三十三箇所の写し霊場[1]。
発願者の山田平七(やまだへいしち、1725年(享保10年) - 1766年(明和3年)11月)は橘樹郡平村(現在の川崎市宮前区平)の名主。小田原北条氏の家臣・片山弥兵衛の後裔と伝えられる。1754年(宝暦4年)8月に観音称名を始め、翌年7月に西国三十三箇所の巡礼に出立。帰郷後、東国に三十三観音を祀ることを発願し、1763年(宝暦13年)に33ヶ所の札所を定めてご詠歌を奉納し、1764年(明和元年)に『准西国33か所惣縁起』を刊行した[1]。4月15日が大願成就の日とされ、12年に一度の午年の4月15日を中心に本尊の開帳が行われてきた[2]。
霊場が地域に定着して継承されてきたことにより、巡礼者が造立した数多くの石造物が残されている[1]。
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