源 相方(みなもと の すけかた、生年不詳 - 長徳4年(998年))は、平安時代中期の貴族。宇多源氏、左大臣・源重信の子。官位は従四位上・権左中弁。
経歴
蔵人を経て、伊賀守・備後守・播磨守と一条朝前期頃に受領を歴任する。
長徳2年(996年)8月に正左中弁の藤原忠輔が右大弁に昇ると、その後任に一旦は相方が任ぜられるが、一条天皇の意向で正左中弁・源相方と権左中弁・藤原行成が入れ替えられ、相方は上﨟ながら弁官局では行成の下僚とされた[1]。
長徳4年(998年)7月に左大弁・源扶義が没して右大弁のポストが空くが、これに対して再び相方と藤原行成が競合。相方は縁者[2]である左大臣・藤原道長に右大弁への任官希望を告げる。しかし、行成から播磨守在任中十分に役目を果たさず、任期終了後3年にして官へ未済の事が多いとして相方の任官に反論され、道長もこれを容認[3]。結局、10月になって行成が右大弁に任ぜられた。なお、行成の後任の左中弁には高階信順が任ぜられており、この人事の前に相方は病没したとみられる[4]。
勅撰歌人として、『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に和歌作品3首が入集している[5]。
官歴
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
- ^ 『小右記』長徳2年8月5日条
- ^ 相方は道長の正妻である源倫子の従兄弟にあたる
- ^ 『権記』長徳4年8月16日条
- ^ a b 黒板[1994: 85]
- ^ “源相方”. ネットミュージアム兵庫文学館. 2023年12月18日閲覧。
- ^ 『尊卑分脈』
- ^ a b c 『権記』
- ^ 『広橋本除目』
参考文献